2014年03月28日

昼食はサルディニア料理のLe Virtu In Tavola、夕食はSapore Di Mare

2012年3月24日 教会美術の探索は脚が疲れるし、お腹が空く。

サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂のあとはすぐに食事をしたいと思って探したら、地元の人で混むサルディニア料理の店があった。Le Virtu in Tavola

食卓の徳というたいそうな名前だが、シンプルなレストラン。

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アンティパスタ2種

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旅行中はどうしても足りなくなるサラダ

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この辺はフツウだったが、

お目当てのカラスミのパスタが絶品

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ミニトマトを使うとよいのね。

このラテラン地区は観光客が少ないのでタクシー乗り場もなく、結局歩いてサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂まで行った。

スーパーSmaがあったのでパスタなどの買い物をしてホテルに帰り、一休み。ジェラート屋に行ったり。

夕方になってもお腹が空いてきて、近くのレストランへ。ジェラート屋とレストランの溢れる界隈のホテルにして本当によかった。

Sapore Di Mare

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発砲スチロールが飾ってあって魚河岸風だが、中は修道院を改装したいい感じのレストラン。

客でいっぱいで、ウェイターがきびきびと動き回っていた。

まずは、これでしょ!

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パスタは少し

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ムール貝!

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自分たちの好きなものだけ選んで食べられるのが一番。
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2014年03月26日

サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂のキオストロ(回廊)写真集

2012年3月24日、

サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂のキオストロ(回廊)に一歩入ると、明るい光に満ちていて驚いた。チェリオの丘の端に大聖堂の南側に造られていて大聖堂の陰にならず、一辺が36メートルと広いので光が入るのだ。

13世紀にコズマーティ家の流れを組む大理石職人ヴァッサレットたちによって造られたロマネスク様式からゴシック様式への移行期の建築だ。

なぜ、大聖堂に回廊が付いているのかというと、当時このあたり、アウレリウスの外壁との間にベネディクト派の修道院があり、修道僧たちが聖堂で奉仕していたのだという。

そういえば、サンティ・クワットロ・コロナーティの回廊もベネディクト修道院だった。

このブログは将来私が年を取ってお金がなくなりイタリアに行けなくなったときに楽しむために作っているので、あとは説明なしで写真集にしよう。

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こんなに素晴らしいところなのに人がほとんどいない! 

大聖堂は5分で通っただけで、ここには20分もいられた。
朝からずっと歩きどうしで疲れてしまったので、名残惜しかったけれど外に出た。
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サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂の聖堂の扉

2012年3月24日 サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂はローマにある4つの法王の大聖堂のひとつで最も古いものだ。だから、増設、改築が繰り返され様式が入り混じっていて美しくない。

ラテラーノ聖堂のから時計回りに半周しないと巨大なコンプレックスの玄関にはたどり着かない。せっせと歩く。

広場のオベリスクが青い空に映えて美しい。

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先端には十字架がついている。がっちりした台座の上には星があるような。

今まで見たオベリスクの上には何がついていたか、改めて見てみるとパンテオンの前の広場のオベリスクにもついていた。

こちらのほうが十字架の下の星がはっきりするが、やはりキージ家の紋章だろうか。

ソプラ・ミネルヴァ教会の前の広場のオベリスクを見てみると、あ、俵を積んだような例の山の形が見える。やはり星だけでもキージ家の紋章なのであった。

これらに比べるとナヴォ―ナ広場の四大河の噴水の中央に立つオベリスクには十字架は無くオリーブの葉を加えた鳩のブロンズ像が載っている。

エジプトから盗んできたものの上にさらに十字架をつけるのは冒涜だと思う。

入口の正面は真っ白なネオクラシカルなファサードだった。

ここにフォロ・ロマーノのクーリア、元老院から持ってきた聖堂の扉がある。

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額縁に入れられたみたいだ。

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中に入ると、巨大な大聖堂はごてごてと飾り立てられていて、ぞっとした。
あのボッローミニの執念が感じられる装飾過多である。
こうなると床の細かいコズマーティ様式も装飾過多の一部でしかない。

ふんだんに金をかけて造った教皇の大聖堂は4つとも似たような感じだ。
ヴァチカンのサン・ピエトロ、サンタ・マリア・マッジョーレ、もうひとつのサン・パウロ・フオーリ・レ・ムーラはまだ行ったことがないが、キオストロは見に行きたいと思っている場所。

室内で撮った写真はこれだけ。

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滞在時間5分、というツアー並のスピードで目的であるキオストロ、回廊に入った。

続く

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2014年03月25日

ラテラーノ洗礼堂

2012年3月24日 4世紀に建てられたラテラーノ洗礼堂は素敵だ。

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4世紀に建てられたこの八角形の洗礼堂はしばらくはローマで唯一の洗礼堂であり、その後の洗礼堂のプロトタイプとなった。

中は1637年にウルバヌス8世の命で大規模な改修が行われ立派な造りになっている。
外側とは天と地の差がある。

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洗礼桶のまわりには8本の斑岩の柱が立っている。
その上の古代の柱頭は形がバラバラである。

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その上に白い大理石の細い柱が立っている。

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天井は金ぴか。

こんな内装を見るために、12時半に閉まるからとせっせと歩いてきて損した気分だ。

そのとき、面白いものに気がついた。

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バルベリーニ家の紋章、3匹の蜂である。

ということはウルバヌス8世はバルベリーニ家出身なのだ。
調べると、彼の本名はマッフェオ・ヴィンチェンツォ・バルベリーニというのだった。

洗礼堂を出てもう一度素敵な外観を見ていたら、ここにも面白いものをみつけた。

山の上に星があるキージ家の紋章だ。俵が積んであるみたいだが、山である。

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調べてみると、キージ家出身の法王は1655−67に在位したアレクサンドロ7世だった。

ということは、ウルバヌス8世とアレクサンドロ7世の間にはもうひとりいる。

調べてみると、それはインノケンティウス(インノチェンツォ)10世(1644−55)だった。
ドーリア・パンフィーリ宮殿にベラスケスが描いた肖像画があるあの方!

ということはキージ家の山のとなりの鍵が交差する紋章はパンフィーリ家のものなのね。

ということは、中はウルバヌス8世が造らせたが、外の改修はインノケンティウス10世とアレクサンドロ7世が命じて17世紀半ばにできたってことだろう。

ちなみに、インノケンティウス10世は法王になるとまずバルベリーニ家一族の弾劾から始めた。その後、法王の世襲制がなくなることになる。

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サンティ・クワットロ・コロナーティ聖堂、コズマーティ様式の回廊

2012年3月24日 このサンティ・クワットロ・コロナーティはひとつの教会ではない。

4世紀の聖堂、枢機卿の住居部分、ベネディクト派の修道院、そして13世紀初めに造られた回廊からなるコンプレックスである。

16世紀にアウグスティノ修道会の手に渡り、女子孤児院として利用され、赤ちゃんポストが置かれるなど、尼僧たちによる活動がされていた。暗いジメジメした雰囲気は破壊、再建、荒廃を繰り返した歴史を感じさせる。

私の目的である回廊もゴシックの雰囲気が残るジメッとした場所だった。

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手前に石が置かれているが、20世紀初頭に地域のFine Arts Superintendent Antonio Muñozがこの回廊を修復した際に掘り出した古い美術品である。

彼の働きはイタリアの美術品修復のマイルストーンになったほど素晴らしいものだった。
 
内側のオレンジ色の模様が美しい。

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この回廊は13世紀の初めに造られ、最も古いコズマーティ様式の建築物である。

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中世の回廊好きの私には堪えられない美しさだ。

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細かい石で模様が作られている。素朴でhumbleな装飾だ。

さて、修復から1世紀たち、もっと根本的な修復の必要がでてきた。
それは庭の部分の排水だ。

2002年にポール・ゲッティ財団などの援助を受けWMF(WORLD MONUMENTS FUND)は庭を元のレベルまで掘り起し、歴史的価値のない舗装を取り除き、排水設備を施した。

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一見単純すぎるデザインだが、この下にはそういう設備ができているのだ。

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いつも日陰になってしまう中庭の湿気が建物をだめにするので、必要だった。

しかしこの回廊はまだまだ修復が必要で、少しづつ行われるようだ。

13世紀に造られたときは決して古びた建物ではなかったわけで、美しい13世紀の建築が再現されるのはありがたいことだ。

それで、寄付金を入れるボックスに、私にはめずらしく20ユーロも献金した。

今日は朝から精力的に見たい教会を回った。

サンタ・プデンツィアーナ、サンタ・プラッセーデ、サンタ・マリア・マッジョーレ、サン・クレメンテ、そしてこのサンティ・クワットロ・コロナーティ。

タクシーに3度乗って、時間と体力を稼いで観てきたが、これからは歩いてラテラーノに行く。
歩くのは構わないが、ラテラーノ洗礼堂は12時半で閉まってしまう。

それで、2002年に修道院の旧ゴシック・ホールの修復中に発見されたフレスコ画を見る時間がなかった。次回、もし、ローマにまた来ることがあれば、見に行きたい。




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2014年03月24日

サンティ・クワットロ・コロナーティ聖堂、聖アウグスティノ修道会

2012年3月24日 地図を見るとサン・クレメント教会から細い道が折れ曲がってサンティ・クワットロ・コロナーティ聖堂に続くようになるが、つづら折りの坂を上るのだった。

その先に要塞のような建物が現れた。中世の騎士が出て来そうである。

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チェリオの丘の西端に位置するこの教会はラテラーノの法王を守る要塞の役目をもっていた。

入口を入ると9世紀に造られたコートヤードがある。

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そして、この先にもコートヤードがあるようなのだ。

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2つも中庭があるなんて、面白い造りだが、1084年にロベール・ジスカールの軍隊によって壊滅的に壊されたあと、法王も全部の再建は諦めて、身廊の半分はコートヤードにしたのだった。

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その後、枢機卿の住居部分が増設され、北側は外国の侵入を防ぐために外壁を強固にした。
外から見たときに要塞のようだと思ったわけだ。

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ここは法王がフランス人にかわってアヴィニョンに法王庁を移してからは役目を失い、荒廃した。

法王がアヴィニョンから戻ってから、一時は再建の動きもあったが、法王庁がヴァチカンに移ると全く必要なくなり、1564年に聖アウグスティノ修道会の手に渡った。

16、17世紀にはこのコートヤードの回りは改築され、18、19世紀は孤児院(女子)として使われていた。

ここから古い教会に入る。

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小さなフレスコ画に描かれた4人の人物

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この聖堂の名前になっている4人の無名の聖人・殉教者たちだ。
サンティ・クワットロ・コロナーティ、4人の桂冠聖人である。

聖堂の内部は11世紀末から再建されたもの。

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アプシスは5世紀のままの形だというが、あまり興味がなかったのか、コズマーティ様式の床だけ撮ってある。

横の壁にもフレスコ画が少し残っている。

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ずっと実用的に使われていた建物であり、中世の文化遺産として本格的に修復保存が始まったのは20世紀になってからだ。

でも、正面玄関の崩れたレンガはあのままにしておいてほしい。
ここが荒廃していた時期をしのばせるものだから。

13世紀のベネディクト派の回廊については次に書く。



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2014年03月21日

サン・クレメンテ教会 

2012年3月24日  サン・クレメンテ教会の古い銅版画を見ると、この辺りはほとんど変わっていないことがわかる。

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右側の壁は中世の建築物でオフィスとして使われていた。

美しいレンガの壁。入口は手前にドーリア、後ろにイオニア様式の円柱で支えられている。

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この間を通って中に入るようになっている。

中庭の向うに教会が見える。

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ここは一見、修道院の回廊のように見えるが、アトリウムである。

現在のアトリウムと同じく、出店が出たりして商業活動が行われていた。

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古い建物の廃材とみられる石が敷いてあるので殺風景な印象だが、
円柱は当時は高価な材料で、贅沢な装飾であった。

この教会も古い教会の上に建てられているので、柱は再利用されたもので、柱頭の飾りの様式も異なる。

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教会側のこの2つのピンク色の円柱がアスワンから切り出したというものだと思う。

なぜ教会には暑い国の棕櫚があるのだろう、と思ったことがあったが、棕櫚(なつめやし)はキリストの育った国の植物で、エルサレム入場の際、人々が道に敷いた葉である。

サン・クレメンテ教会の中庭には棕櫚以外の植物は無く、これもすっきりとしていてよい。

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上の階に上る階段

これは古い教会の名残だろうか、壁に埋まっている。

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というように外観には感激したのだが、中は暗くて天井が見えなかったので、つまらなかった。

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アプシスのモザイクは目を凝らしてこのくらい。

修正して見てみると他のアプシスとは全く違うデザインが面白かった。

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アカンサスの木が全面を覆っていて、サンタ・マリア・マッジョーレ教会のモザイク画のようだが、全く違うところがある。

このアカンサスは中央から一本出ているもので、生命の樹なのである。

ユニークなのは磔刑の十字架がアカンサスの茎から伸びていることだ。
十字架には12匹の白い鳩、12使徒がとまっているのも初めて見たデザイン。

十字架の左右はマリアとヨハネで後世の降架の絵にあるようなマグダラのマリアはいない。

この教会の特色として、地下のミトラ神殿があるので、もちろんそこにも行った。
費用をかけて安全に配慮して作られた路だったが、穴倉が嫌いで、インディー・ジョーンズの映画も見られない私には苦痛だった。
入場料を取るのに写真も撮れないし、ぶつぶつ言いながら教会を出た。

教会の外は木々の芽が吹きだして、春だった。

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カンパニュラも春の光を浴びてきれいだ。

この辺りはパリの下町みたいな雰囲気。向かいのカフェでお茶。
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2014年03月18日

サンタ・マッジョーレ教会、アプシスのモザイク画(2) 下段と上段

2012年3月24日、 サンタ・マッジョーレ教会のアプシスの下段にはマリアの生涯が描かれているが、ここでも高い主祭壇が邪魔をしていて、真後ろ(中央)にあるマリアの死(被昇天の前)は全く見えなかった。

かろうじて隅の絵が見えるが、左隅は生誕のようだ。

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右隅はイエスの割礼のようだ。白い桶に血が溜まっている。

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上の様式化されたモザイク画と比べると稚拙な感じがする。場所が狭いからか。

周りのモザイク画をデザインした人は中央とは違うかもしれない。

上部にはヨハネの黙示録のシーンが描かれている。

虹色の天国の雲の中には右は牛のマタイと鷲のヨハネ、いつもこの順序で描かれる。

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下は24人の長老たち

バンドには鳥や花が描かれ、ち密なモザイク画である。

左隅は人間のルカしか見えないが、左にライオンのマルコがいるはず。

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ルカの右側に棒が立っているのは天国を表す7本の燭台

中央には玉座に子羊がいる。その下段のバンドの中にキリストのモノグラムが見える。

XとPの組み合わせ、Chi−Rhoだが、両側にΑとΩが描いてある。

全能の神の「我は始まりであり終わりである」という意味だが、キリストに付加されると、全能者キリストとなる。このアプシスのキリストは全能者キリストなのである。

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玉座の下に7つの封印の本があるが、子羊が手にしているのは、いつもの「我は光なり」とかいうフライヤーだろうか。

それとも、封印のひとつを開けたところだろうか? まさか・・

7つの封印は7つの目と7つの角を持った子羊によって開けられると書いてあるが、今までそういう絵を見たことがない。7つの目も角も何かの比ゆなのかしらん。

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サンタ・マッジョーレ教会、アプシスのモザイク画(1) マリアの戴冠

2012年3月24日 サンタ・マッジョーレ教会のアプシスはちょっと奥まったところにあり、2008年に訪れたときはほとんど見えなかった。

今回はカメラの性能が多少良くなったのか、写真を調整してみると良く見えた。

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円形の中にキリストとマリアがいて、全体がアカンサスの文様で覆われて、国際ゴシック様式の天使たちが音楽をかなでる素晴らしいモザイク画だった。

キリストがマリアに冠を授けているところである。

サンタ・マリア・イン・トラステベレの戴冠式の神々しいマリアと比べると地味な服だ。

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しかし、マリアのサイズがキリストと同じで、ひとつの椅子に座った二人は同等の扱いである。
この教会がマリアをMOTHER OF CHURCHとして重んじたからだと思う。

服装が地味なのは、たぶん、デザインした人がフランチェスコ修道会のジャコポ・トリッティだからではないかと思う。

実は、古いアプシスを壊して現在のアプシスを造らせたのはフランチェスコ派としては初めての法王ニコラスIV世なのである。

左側のパウロとペテロの後ろには、こういう絵には珍しくサン・フランチェスコがおられるではないか!

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法王ニコラスIV世は赤い法服で参加しているが、小さい。
サンタ・プラッセーデ教会のアプシスのモザイク画では法王パスカリス一世は自分を同じ大きさで描かせている。
それと比べるとなんとhumbleな方だろう。

右側に並ぶのは、洗礼者ヨハネ、エヴァンジェリストのヨハネ、そしてアッシジのフランチェスコに共感して入会したパドヴァのアントニオが描かれている。

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手前の小さな人物は財政面を担ったコロンナ枢機卿である。

ローマにおいて、フランチェスコ派の個性が感じられるモザイク画を見るとは想像していなかった。

マリアとキリストの足元には太陽と月が描かれている。

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ぼやけているが、外枠の4本の線は天国の4本の川だ。
じっと見ると、水を飲んでいる鹿も見える。
すると、その下の小さな街は天国のエルサレムだろうか。

もっともっと細かく見られたら面白いのになあ、と思う。



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2014年03月17日

サンタ・マリア・マッジョーレ教会、勝利のアーチの5世紀のモザイク画の解読

2012年3月24日、

431年のエフェソス公会議でマリアがイエス・キリストの母ではなく神の母と解釈されたので、法王シクストゥス3世は大きな(マッジョーレ)サンタ・マリア教会を造ってキリスト教の中心にしようと張り切った。

神の母でも神はキリストなんだから同じことなのだが、キリストの神格化によりマリアも繰り上げ当選という感じだろうか。

勝利のアーチの中央にシクストゥスが神の民のためにエスクリーノ(の丘に)建てたことが記されている。
シクストゥスの目指したキリスト教の中心である教会、という願望は達成された。
アヴィニョンの幽閉が解けた後、ヴァチカンに移るまで、法王庁はここにあったのである。
現在でも、HOLY SEEのひとつである。

下方のアーチ下の部分にはキリストのモノグラムが見える。

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上方には空の玉座に十字架が置かれている(ここでは立っている)。両側はパウロとペテロ。
後ろに4匹の有翼の動物の形を借りたエヴァンジェリストたち。

ヨハネの黙示録的な題材はここまでで、アーチに描かれているのはマリアと幼子イエスの物語である。

左上から、受胎告知、右側がヨセフへの告知

マリアは驚いた仕草ではなく、どっしりと座っている。上に精霊の鳩が見える。

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中段はマギの礼拝。イエスは一人で大きな椅子に座っている。
下段はヘロデ王の幼児虐殺。右の青い服はエリザベスで幼いヨハネ(洗礼者)を抱いて逃げるところ。

一番下には街が描かれている。生誕の地ベツレヘム。

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羊が6匹。

右側上段はイエスの神殿奉献。生後40日目にエルサレム神殿に赴いた。

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右下の街はエルサレムである。

上段の右側はエジプトへの逃避。マリアはイエスを抱いて逃げるところ。他の人は寝ている。

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中段は聖家族がエジプトの街で村長や村人と出会うところ。

下段は3賢人がヘロデ王に進言しに行くところ。ヘロデ王はもう老人だ。

この勝利のアーチのモザイク画と同じ時期に造られた身廊内側のモザイク画

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アカンサスの文様の方がすてきだ。絵は両側の窓が目を晦ますので良く見えない。

テーマは旧約聖書で、この絵に描かれているのはモーゼだろうか。

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古いモザイク画はは好きなんだけれど、ここの5世紀のモザイク画には少しも感動しない。

写実的で小学生が描いた絵みたいだからか。

やはり、モザイク画は様式化された平坦なものが素敵だ。
アカンサスの文様やこのアーチの後ろ側にあるアプシスのモザイクみたいに。
(続く)


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