2005年10月26日

ペギー・グッゲンハイム美術館とアッカデミア美術館 November '89

今日もまず買物に行った。ほとんどが女物のお土産で安いものは手袋から高いものは毛皮のコートまで。だから3泊4日もしたのに、ちゃんとした[観光]ができない。

でも、ヴェニスの街にはブランド・ショップも多く並んでいて、ショッピングというのが立派な[観光]だということが解る。そして私も店に行けばクリツィアのセーターなどを何枚も買うのだから、同類なのだ。

しかし、ここはヴェニス。せっかく来たヴェニス、店ばかりまわっていたら勿体ない。昼食が終わったら、早いところアカデミア美術館に行きたいと思う。

しかし、上司たちの関心は現代美術だった。ペギー・グッゲンハイム・コレクションに行くというのだ。え〜〜〜、なんでせっかくのヴェニスでアメリカの富豪のオバサンのコレクションを見に行くの! 私だって好きな現代美術はあったけれど、このときは全ての現代美術を敵視してしまった。

ペギー・グッゲンハイム美術館というのは運河に面した小さな建物だった。中には彼女が集めたコレクションが置いてある。夫だった(一時期)マックス・エルンストはじめご関係のあった画家やご友人の画家の作品を札びら切って集めたもので、悪いけれどたいした作品はなかった。

「趣味、悪いね」というのが久しぶりに一致した上司との意見。後からガイドブックなどを見てみるとペギーはギャラリストとして鑑識眼があって若い作家の作品を買ったと書いてあった。権威のある人をみんなもてはやす。

そんな中で、唯一、私の頬をほころばせたのが、マリノ・マリーニの馬に乗る少年(?)の像。よくあるパターンだが、これが、運河に面した中庭の中央に置いてあって、直立したおちんちんが運河に放射線を描いておしっこしているように見えた。

marinomarini.jpg

この中庭はペギーが愛犬たちと眠っている場所で、不遜ながら光栄な彫刻である。

それからアカデミア美術館に行った。ペギー・グッゲンハイム邸のすぐ近くだが、行ってみると意外に小さい美術館だった。

accademiavenice.jpg

もう日が暮れかかっていて、中は薄暗く、絵はほとんど見えなかった。ジョルジョーネの[嵐]は濃すぎたコピーみたいに何が何だか解らなかった。カルパッチョの綺麗な茶色も濁流のような色だった。

目を凝らすだけで疲れてしまって、30分で出てきた。こんなに悲しい気分で見た美術館は初めてだった。それも、ヴェニスくんだりまできて有名なアカデミア美術館に来たというのに。

木でできたアカデミア橋を渡って対岸に戻った。運河をヴァポレットが行き来していた。そのとき、ああヴェニスでは建物は変わっていないが、運河は変ったのだと思った。船が違うのである。

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グアルディの絵では茶色いゴンドラのへさきが白い絵の具で強調されていて目立つのはそれだけだ。でも、観光ゴンドラは赤や黒で美しく飾ってある。当時の足だった普通のゴンドラはヴァポレットやモーターボートに変わってしまっている。

でも、私って馬鹿ね。100年以上も前の絵のイメージを現代に求めるなんて。それは無理よ。こうして私の初めてのヴェニスは絵から想像していたものと現実の差を確認しただけだった。今度はひとりで来て、現代のヴェニスを受け入れて、隅から隅までじっくり見たいと思った。 

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デュカーレ宮殿とサンマルコ寺院 November '89

ダニエリを出て右に行くとすぐに大きな真四角の建物がある。デュカーレ宮殿だ。ダニエリと同じかわいい装飾のついたピンク色の外壁。というより、ダニエリがデュカーレ宮殿と同じ建築様式の外観だということ。それだけ由緒あるホテルなのだった。

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デュカーレ宮殿は、このカナレットの[フランス大使団の到着]で解るようにヴェニスの表玄関だった。しかし、入ってみると中はがらんどうなのだ。宮殿ではよくあることだけれど、その広さから往時の賑わいを想像するしかない。

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しかし、同行者の一人は大きな絵を指してご機嫌である。「ティントレットだ。世界最大の油絵だ」へえええ、私はバロック美術は嫌いだ。特にマニエリズムの入ったものは嫌いだ。でもこの同行者の一番好きな画家はエル・グレコだというのだからどうしようもない。なかなか動こうとしないので、我慢してメモを書いた。

ミケランジェロの[最後の審判]との共通点、蛇状の曲線、奇異なもの、古典の美しさが無い、空洞化した古典、マニエリズムだ、バロックのうねりが始まる、イタリアンバロックのプーッサンへの影響、プーッサンの方がずっとマシ

それから小さな部屋を幾つか見た。天井画といえばティエポロだろう。下から見た絵が上手だ。雲も空もきれい。画集を買う。

やっとデュカーレ宮殿を出て隣のサンマルコ寺院に入る。こちらには人がぎっしりだったが、それでも床のモザイクの美しさはちゃんとわかった。外観を描いた絵では金キラの印象があったが、中は薄暗くて趣のある場所だった。高いクーポラには暗い金色を背景に聖人たちの画が浮かび上がっていた。

sanmarcoinside.jpg

ここの目玉商品は[聖母と聖人たち]の描かれた杖らしく、祭壇裏で1000リラも払って見たのだが、金と宝石がぎらぎらした俗物的なものだった。見なければよかった。

往時は建物の内部も外部ももっとぎらついていたのだろう。年月によって君主の欲望や坊主の権力が風化されて、見るに耐えるものになってきたところだろうか。

サンマルコ広場を横切り、遠くからサンマルコ寺院を見ると、カナレットの描いたものとそう変らないことに気付いた。頭の中で現代的な雑踏を消去すると昔に戻れる空間。そこに身をおける幸せ。上司の絵の好みをガタガタいうべきではなかった。

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この広場の右側が有名なカフェで、キャサリーン・へップバーンの[旅情]に出て来た場所だった、と後から知ったが、そこでカフェを飲まなかったことを恨んではいけなかった。たかが半世紀前の映画ではないか。私はビザンチン帝国の栄華をも想像できる場所に行けたのだから。

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2005年10月25日

ホテル・ダニエリへ November '89

着いたところは小さな埠頭でここから船で向かうのだという。やっと車から下りたのにまた船に乗るの? 日が暮れかかってきた。お腹が空いてきた。ドライバーがポーターを呼びに行った。

するとオリエント急行に出てくるような制服のポーターが長い旧式のカートを押して現われた。案内された先には真っ白なホテルのボートがあった。そこからホテルまでの短い旅はまさに夢の世界で、お腹が空いたのも忘れ、私は初めて見るヴェニスの美しさに圧倒された。

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ホテル・ダニエリは上司が予約したホテルで、埠頭にある古いホテルだ。ピンクのほうが泊まった旧館で左の白い建物が新館である。船はホテルの横の運河側からチェックイン入口に横付けされた。

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すると、吹き抜けの階段の美しい大きなロビーが現われた。このとき私は初めてここが超豪華ホテルであることを知ったのだった。ディナーは隣の新館の最上階のレストランに行った。キモノを来た金満家の夫婦が食事をしていて、メニューの値段からも高いホテルなのだと解った。

泊まったのは3ベッドルームがついた大きなスイートだった。しかし、ベッドが怖ろしく高くて狭いのだ。ちょっと寝返りを打ったら落ちてしまうサイズ。ベッドも洋服ダンスも緑色の地に鷲と天使が描かれていて可愛かったが、私は落ちるのが怖くてよく眠れなかった。肖像画がずらっと並んで見下ろしているのもぞっとした。

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海に面した大きな部屋で朝食をとった。縦長の窓のカーテンを開けると桟橋が見えた。向かいの島との間を船が行き来し、下りた乗客は急ぎ足で左右に分かれて行った。

バルコニーに出ると冷たくちょっと湿った海風が吹いていた。ハトに混じってカモメがキーキーと鳴きながら大きく舞っていた。冬の陽光は弱弱しく頼りなげだった。そこにターナーの光り輝く世界はなかった。

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モンブラン・トンネルを越えて November '89

ミラノから戻ってから一ヵ月後にヴェニスに行くことになった。仕事先のジュネーブからである。ジュネーブからヴェニスへの便は朝早いか夜遅くとても不便だ。そこでリムジンで行くことになった。私は車酔いをするのでぞっとしたが、朝早いのも苦手なので我慢することにした。どちらにしろ人との旅行は思うままにならない。

11月も半ばになり、ジュネーブの雨は雪に変りつつあった。レマン湖から堰を切って流れ落ちるローヌ川沿いにフランス領に出てモンブラントンネルを抜けた。

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そしてトンネルを抜けたところの殺伐としたドライブインで昼食をとった。ドライバーが名物はポレンタだと言うので注文すると、お皿一杯に粥のようなものが運ばれてきた。食べてみると酷い味だった。というか味が無かった。

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私は中華料理のとうもろこしと卵のスープを食べると具合が悪くなるが、あちらのほうが美味しいだけまし。空腹のため半分までは食べたが、これで一生分のポレンタを食べた気分になった。だから東京の小洒落たレストランの付け合せのポレンタでさえ食べない。

ジュネーブから延々とヴェニスを目指す強行軍は疲れた。このあいだ訪れたミラノの郊外を抜けてもヴェニスはまだまだ先だった。ミラノ行きほど唐突ではなかったが、仕事に終われて旅行の下調べをする余裕はあまりなかった。

でも私の頭の中にはヴェニスのイメージがあった。それはターナーの描いたヴェニスだった。ロンドンのテート美術館のターナー館にあるもので、暗いイギリスに住む画家がイタリアの光を見た感激を300%くらい表現した一連の絵。

というと結構ミーハーなアメリカ人の好みだが、私はターナーのヴェニスが好きで、Veniceという画集も買ったのだった。あのターナーのヴェニスがもうすぐ私の目の前に現われる!とそれだけを念じて、うとうとと眠っていると、車はヴェニスに着いた。

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2005年10月13日

ガイドブック無しのミラノ September '89

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私のイタリア旅行はミラノから始まった。出張でロンドンに行ったとき、急にミラノに寄ることになった。当時はフランス語と英語の通訳をしていて、イタリア語は全く知らなかった。それだけでなく旅行などというのは贅沢なこと、まだ遊ぶには若すぎると思っていた頃だ。

これがきっかけでイタリア語の勉強を始め、フィレンツエのディプロマを取得することになり、美術の新分野である図像学にのめりこんでいくなんて、全く想像していなかった。

今では旅行といえば下調べをするのが当たり前なので、ガイドブックもなく予備知識もなく見てまわった街の記録は貴重かもしれない。

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会社の選んだホテルはヒルトンだった。それまで滞在していたロンドンのヒルトンホテルと同じで殺風景なホテルだった。前の道路もだだっ広くて殺風景。ふーん、イタリアってこういうつまらない所だったのか、と意外に思った。

初めて訪れた場所でその国の印象が決まるというが、ミラノのヒルトンが始まりだったのによく嫌いにならなかったものだ。今だったら絶対に泊まらないホテル。
 
さて、ガイドブックを買おうとする私に上司は「そんなものはいらない。見るものは一つしかない。タクシーの運転手に『どーも』と言えば連れて行ってくれる」と言った。イタリア語はひとつも知らないから、『どーも』って国際語なんだと納得した。本当のこと。着いた所はDUOMOだった。青い空を背景に真っ白に輝いていた。

ドゥオモに入ると荘厳なミサ曲が流れていた。私はその雰囲気に呑まれてしまって、なぜか亡くなった父と伯父のふたりの顔が浮かんできて、不覚にも涙が出てしまった。お父さん、私はなぜ唐突にイタリアくんだりに来ているのでしょうか? もちろん答えなし。群集の中ではよけいに孤独を感じる。私はひとりです。

高所恐怖症の上司たちを下に残して、エレベーターで屋根の上に出た。ここは凄いところ。青空を突き刺す尖塔の群れ。凄い建築というのはこの屋根のことだと思う。

次は美術館に行った。再びガイドブックを買おうとする私に上司は「見るものは一つしかない」と言った。連れて行かれたのはマンテーニャの描いたキリストを足の裏から診断している絵、[死せるキリスト]。「傑作だろう」といわれても、遠近法的には手前の足が小さすぎて変な絵だ。でも上司には逆らわない。かくて美術館は駆け足で終り。

次は町外れの広大な城へ行った。「パンフレットを・・・・」と言いかけた私に「ここでは見るものは一つしかない」と上司は言った。連れて行かれたのは半分が石の肌がそのままに残ったいわゆる未完の彫刻、[ロンダニーニのピエタ]

「すごいだろう。ミケランジェロの傑作だ」と上司が言った。私は小学校の図画で白い所を塗り残して注意されたことを思い出した。その恨みがあるから、未完の作品は気にいらない。でも上司には逆らわない。

次はショッピング。モンテ・ナポレオーネ通りのジョルジュ・アルマーニで女物のおみやげを選ぶ上司たちを置いて外に出てガイドブックを買った。読んでみるとあのDUOMOはイタリアゴシック式といって、ドイツのゴシックより明るいんだそうだ。でも明るいことは見れば解った。

城はスフォルツオ城といって、確かに見るものはあの彫刻しかないようだ。美術館はブレア美術館という名だと解ったが、知っている絵は少なかった。ということはガイドブックもいらなかったということか。

夜はお奨めの高級レストランに行ったが、日本人の団体が3分の1を占めていた。黄色いミラノ風リゾットとオッソブッコを食べ、上司がもらってくれたお皿をお土産にした。これがミラノの駆け足旅行。私の初めてのイタリア。

10年後に仕事の帰りにミラノに一人で寄ってみた。街は相変わらず汚く、DUOMOは美しくかった。ブレア美術館では知っている絵が増えた。

今回はぜひ見たい絵があった。ベリーニの描いた十字架から下ろされた直後のキリストの絵。傷跡から流れる血が白い衣装(西洋的ふんどしのようなもの)のウエストの上に薄っすらとあるというのを確かめたかった。血はあった。色も時間の経過を正確に表すような褐色がかった赤だった。そうそう、モランディの絵も解った。
 
モンテ・ナポレオーネ通りではなく、JALのマップにでていたアウトレット店でたっぷり買物をし、イタリア語が読めるようになったので古本屋で漫画ドラゴンボールのイタリア語版を買った。小さなトラットリアで一人簡素な食事をし、私も成長したもんだと思った。

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そして2004年の夏、私は再びミラノにいた。たぶん私の最後のイタリアの日々である。帰国する前の日、リナシェンテのレストランからドゥオモを見ていた。激しい雨が流れ落ちる透明な屋根越しに、私がかつて歩いた尖塔のある屋根があった。私はさらに成長し、もうひとりではなかった。

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posted by iconologist at 12:10| Comment(0) | '89 ミラノ・ヴェニス・フィレンツエ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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