2006年02月21日

スクロヴェーニ礼拝堂@パードヴァ October '91

スクロヴェーニ礼拝堂は、思い出すときにどうしてもパードヴァの街とはと結びつかないほど華麗な場所である。

内部の壁には天井までフレスコ画でびっしりと描かれている。マリアの生涯(+ヨアヒムの生涯)が片側に、キリストの生涯が片側に配置され、合計52枚もある。聖堂の巾が狭いので上の絵を見るには首がとても疲れた。

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各々のフレスコ画はこうして見ると小さく見えるが、実際は縦横2メートルくらいある大きなものだった。

私にとってジョットは美術史上とても興味ある画家だった。彼が14世紀に現れた後のヨーロッパはペストなどで荒廃し、マザッチョが現れてルネッサンスが始まるまで100年の間芸術はすたれていた。

つまりジョットは中世の最後の画家である。天使の描き方には国際ゴシックの雰囲気がある。
遠近法はなく扁平である。しかし、それだからかえって現代画のように見えるのだ。

ジョットは、彫刻から学び肉体を肉体らしく描き光と影を使ってドラマチックに演出した絵画を飛び越して、再び平面で描かれるようになった現代画に近い。

そして、リズムがあるのだ。これがジョットの絵の構成でいちばん面白いところだと思う。

もちろん、教会から注文をうけて急いで描きあげたのでつまらない作品も多い。彼はシンメトリーに描かないので、散漫な印象の絵も多い。

そのなかで構成の面白いものを選ぶと、「エジプトへの逃避」

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ロバはかわいいがマリアも天使も怖い目をしている。ヘロデ王が幼児を虐殺するということで逃げているので仕方ないだろう。

一番右の光輪がある人物はマリアの名目上の夫ヨハネである。せっかく光輪をもらったんだから、前を向いてきりっと歩け、といいたいが、振り返ってお喋りをしている。世俗的なやつだ。

きりっとしているのはマリアだけで、重要性を示すために一回り大きく描かれている。大女なのではない。

そして彼女の威厳を強く示しているのが後ろのわざとらしい山の形である。天使は他の人は無視してマリアとキリストだけを導いている。ね、面白いでしょ。

次はリズムの面白い「生誕」

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この絵にも岩が使われている。もちろん実際は岩の上で生まれた訳ではない。大きな岩で重要性を示している。

さて、人はまずどこを見るか。もちろん、マリアと幼子キリストである。すぐ近くに2匹のロバともうひとりの女性がいる。次は屋根の天使だろう。これがリズミカルに右へと誘う。

最後の天使がマントを着た男に話しかけているようだ。彼らは星を見て救い主の生誕を知った羊飼いたちだ。足元に眼をやると羊たちが寝ている。そこでその左のおっさんに眼が行く。

あら、みんなが祝福しているのにひとり眠ってしまって! これはマリアの夫のヨセフなのだが、どの絵でもキリストの生誕とは遺伝子的に関係がないことを示すために工夫されている。面白いでしょ。

そして、私が一番好きな「ユダの接吻」

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ユダの黄色い衣が画面の中央を占め、ユダは接吻しようとしている。しかしキリストは顎をひいてユダを睨む。火花がパチパチと音を立てているような厳しい場面だ。14世紀初めの絵にこれほど感情が出ているものはない。

私が気に入っているのはもう一箇所、後ろの棍棒だ。これが半分近くを占めるのでたぶんジョットも気に入っていたと思う。ウッチェロの戦いの絵でも槍がこのように描かれているが、遠近法はなくても遠くの人々の動きが感じられる。

造形美的にもすてきだ。現代画の始まりと言われるのは意外にこの背景に風景などが描かれていない点なのである。そういえばルネッサンスの絵はやたらと背景に風景を入れていたなあ。

スクロヴェーニ礼拝堂の中庭。とてもきれいに庭が作ってあった。

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周りも緑の公園になっていて、気持ちのよい秋の日だった。

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怪我をしたお姉さんは首が上げられずに「ユダの接吻」が見られなかった。それから数年してもう一度見に行き、私に絵葉書を送ってくれた。ふたりともこの絵が一番好みだった。好みを同じくする人との旅行はとっても楽しいものだ。

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2006年02月17日

奇跡の街、パードヴァ October '91

パードヴァのホテルはサン・アントニオ大聖堂のまん前にあった。この絵葉書の左下の角である。

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朝、窓をあけるとそこに美しい大聖堂があるのは嬉しかったが、早朝から鐘がガランガランと鳴り響いていた。怪我をして良く眠らなければいけないお姉さんだが、この騒音と真夜中に降り出した豪雨のせいでほとんど眠れなかったようだ。遅い朝食のあと、とりあえず目の前の聖堂に行くことにした。

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イタリアの教会建築は長い年月をかけて造るられるうちに様式が入り混じり、とんでもない怪物のような美しさ(?)になってくる。このバジリカも13世紀のロマネスクの終りからゴシックの移行期に造作られ、最後にビザンチン形式のク‐ポラがアイスクリームのようにぽかぽかと8つものせられたが、八角塔と妙に調和している。イタリア人の美的感覚は凄いなあと感心する。

と思ったが、中に入るとそうでもなかった。人がいっぱいで身動きがとれないのである。どこが良いのだろうと広い内部を探検したが、ドナテルロの彫刻で有名な祭壇は薄暗くてよく見えず、周りにあるチャペル(私的礼拝所)は趣味の悪い絵ばかり。

そのかわり、お土産屋の充実していること。人々が群がって買っている。お土産屋が好きなのは日本人だけではない。皆が買っているのはサン・アントニオ・ディ・パドヴァという聖人のグッズで、子供の守り神らしい。

そのとき、人垣ができているのに気が付いた。近寄って行ってみると人々は白い巨大な大理石に触ろうとしているのだった。大理石の横には松葉杖や車椅子が置かれていて、事故の写真やお礼の手紙が大理石にぺたぺたと貼ってある。ちっとも美的ではない。

この大理石は『奇跡の石』なのだという。これに触ると病気が治り、車椅子を使わずに歩けるようになるというのだ。「あたしゃ無神論者だから嫌だ」と主張するお姉さんにもぺたっと触らせた。

現世ご利益のあるサン・アントニオ教会を出ると広場にはドナテッロのガッタメラータ騎馬像がポツンと建っていた。馬は現代の喧騒に尻を向け、ガッタメラータはルネッサンスの栄光を懐かしんでいるようだ。像の後ろが泊まっていたホテルで、名前もちゃっかりアルベルゴ・ドナテッロという。

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私の好きな彫刻家はローマのベルニーニとこのドナテッロだが、美術史的にはドナテッロに大いに興味がある。ルネッサンスの画家たちはこの像を模写するためにパードヴァに来たのだった。

当時のパードヴァにはボローニャに次いで古いパードヴァ大学があり、マンテーニャはここで解剖学や考古学を学んでいる。この大学ではダンテやペトラルカも教えたというが、14世紀が絶頂期で15世紀にはヴェネチア共和国の支配下に入ってしまう。

短い繁栄だが、スクロヴェーニ礼拝堂にはジョットの最高傑作のフレスコ画が残っている。スクロヴェーニ礼拝堂は私たちの旅行の最大の目的で、そのためにパードヴァに2泊もするのである。

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2006年02月16日

フェッラーラでの事故 October '91

ボローニャからパードヴァに行く途中でフェッラーラに寄った。フェッラーラはマントヴァに
嫁いで芸術のパトローネとなったイザベッラ・デステの実家、エステ家の統治のもとに発展した街である。

エステ家にはもうひとり有名な女性がいる。ルクレチア・ボルジア。近親相姦をも含め多くの
男性にもてあそばれながら最後にはイザベラの弟アルフォンソ公に愛されて39歳で亡くなった女性。

世の男性たちはもちろん妖婦ルクレチアのほうが好きだが、女二人で芸術を求めて旅行する私たちはイザベラを尊敬している。

さて、この絵葉書で解るように、フェッラーラの町並みには中世の雰囲気を壊すものが何もない。13世紀〜16世紀に繁栄した後エステ家が去ってからは寂れてしまったからである。街全体が煉瓦色で素敵だった。

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中央にあるのがエステ城。真四角、真四角でできたシンプルながっちりした建築。中世の建築には古いのに古さを感じないものがあるが、その1つだ。水をたたえた堀に囲まれていて日本の城を思い出した。城を右手に見ながらフェッラーラでのお目当てのドゥオーモに向かった。

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ピンクと白の大理石が美しい下部はシンプルなロンバルディア様式のロマネスク。円柱の元にも手前にもちゃんとライオンがいる。中段からは装飾の多いゴシックとなり、数段に小アーケードが造られている。このファサードはフェッラーラの宝物。

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中央の入口上部は繊細な浮き彫りが美しい。これは12世紀の作品なのだ。とても感動的。

しかし、側面のメルカートは正面とは全く違う趣。外の廊下は15世紀のものだが、飾りはほとんどなく、ポルティコのあった廊下は煉瓦でふさがれてしまっている。

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当時のどの建築でもお化粧するのはファサードだけだが、こうして裏が見られるのは面白い。
この前には古本市が開かれていた。気持ちのよい秋の一日だった。

ドゥオーモの内部のインテリアは18世紀の施工だが、とても簡素だった。シャンデリアも蝋燭むき出しのもので趣味が良い。帰ろうと思って出口に向かうと黒いカーテンがあった。開けてみるとそこは美術館だった。もとは聖堂内に飾られた絵が保存してあるのだ。

私はそこで不気味な絵に出あった。コスメ・トゥ‐ラというエステ家のお抱え画家の作品なのだが、たとえば縁起の悪そうな受胎告知。右の顔色の悪い都はるみみたいな女性がマリア。左の裃のようにカクカク角ばった服を着ているのが天使。気味の悪い彫刻、梁の上には黒いリスなどの気味の悪い小動物がいる。精霊の鳩はマリアの顔の横の汚いコウモリのような鳥である。

もっとショックを受けたのはこの『聖ジョージ』。なぜ聖ジョージだって解るの? 龍を退治していてお姫様がいればそれは聖ジョージ。イギリス(=王女)を開放した聖人といわれる。

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この絵には恐怖が満ちている。驚愕の顔つきで逃げる王女様は龍より聖ジョージが怖かったかのようだ。明るいのは白馬だけだが、この馬の身体には異様なほどに赤い紐がかかっている。私ははじめ鮮血が流れてかと思ってぞっとした。

フェッラーラの街の散策は意外に時間をとってしまって、気が付いたときは汽車の時間が迫っていた。しかし、タクシーなど無い。バスを待ってやっと着いた時は出発五分前だった。私が手荷物を持って先にホームに向かい、お姉さんは一時預かりのスーツケースを取って後から来た。

そのとき私たちはプラットフォームが低いので地下の通路を通らないで線路を渡ったのだが、ちょうど私がホームについた時に向こうから電車が入ってきた。ほっとして振り向くと、そこには顔から血を垂らしたお姉さんがいた。

「どうしたの!」と叫ぶ私に、「転んだだけ。平気平気」と言う。お姉さんは自分の血だらけの顔が見れないから落ち着いていたが、レールに顔をぶつけて切れたのだ。

駅員がぶっ飛んできた。そしてお姉さんはそのまま、呼ばれた救急車で病院へ。私は駅で待っているように言われた。

暗くなっていく駅の階段に座ってお姉さんを待ちながら私はコスメ・トゥ‐ラの不吉な絵を思い出していた。あの白い馬の紐が鮮血に見えたのは事故を予知していたのかもしれない。心細い時間だった。

しかし帰ってきたお姉さんは相変わらす気丈だった。
「平気平気。それより、びっくりしちゃった。血圧が計れなかったのよ」
「どうして?」
「イタリアの血圧計、220までしかないんだもの」
私は絶句。
「高血圧はウチの家系だから平気平気」
 
血圧が220の怪我をしたお姉さんとの旅がまだ続くのだ。私がしっかりしないと、と思った。パードヴァには夜遅くに着いた。

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2006年02月15日

ボローニャ October '91

パルマから汽車でボローニャに着き、K姉さんが予約したボローニャで一番古いホテルHotel Al Cappello Rossoに着いたのはもう暗くなってからだった。細い小路に面したホテルの玄関には小さなB&B風のネオンサインが赤く光っていた。

え?ここが1375年に開業した由緒あるホテルなのだろうか、といぶかしく思った。室内はモダンに(というかシンプルに)改装されていて、低い天井や小さな窓だけが古さを物語っていた。「ホテルとしてはたいしたこと無いけれど、歴史地区を歩くには便利なのよ」とお姉さん。

ボローニャは国際絵本原画展が有名だが、お姉さんは日本のある童話出版社の社長さんの通訳案内で毎年このホテルに泊まる。そして、その社長さんと行ったレストランに連れて行ってくれた。「とびっきり美味しいものを食べさせてあげるね!」と。

生ハム、ロブスター、フンギのステーキ、タグリアテルレ・ボロネーズ、クレープ・シュゼット、ワインはミュスティコ、グラッパはお姉さんが注文し、瓶を持ち帰った。この旅でいちばん贅沢な食事だった。

翌日、散策に出かけると、すぐにネットウーノ大広場に出た。確かに便利なホテルだ。しかし噴水はすべて改修中のために養生されていて、だだっぴろい広場は建築現場のように味気なかった。

大聖堂も改修中なのかコンクリートがむき出しである(写真は絵葉書)、のかと思ったら、このサン・ペテロニオ聖堂は15世紀から改修中なのだった。

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もちろん灰色の部分はコンクリートではなくて荒削りな石。この上に下段と同じピンクと白の大理石を貼り付ける予定だった。ドームの天井がついたのが17世紀だというから、完成するのはいつになるのだろう。完成する気はないのかもしれない・・。

ミシュランのガイドブックを見ると、この聖堂は2ツ星であった。3ツ星のついているものというと、≪史跡に満ちた市中心部の散策≫である。まずは斜塔に向かう。だが、歩き初めてすぐにこれは危険な散策であると感じた。何が危険かというと交通が!

道は石畳の広場を継ぎ足したような道幅もいびつなもので、そこをバイクや車がぶっとんできて、信号もないところを人々が堂々と前を向いて横切るのだ。

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遠くに斜塔が見えてくる。確かに少し傾いている。驚くことにこの道は斜塔で行き止まりではない。右側の細い道をバスまでが通り抜ける。

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歴史的建造物も一階ポルティコ部分は排気ガスで黒くすすけている。この搭の左には低い塔がある。この二つの搭がボローニャの中心部のモニュメント。暗い街だ。

これ以上散策する気にならず、絵画館にでも行ってみることにした。地図を見ながら向かっていくと大学街のようなところを通った。大学生に「絵画館はどこですか?」と英語で聞くと、笑って頭を振った。

壁には[INGLESE]と大きく書かれたポスターが貼られているのだが、英語は不得意のようだ。ボローニャはヨーロッパ最古の大学(法学部)ができたところだ。建造物は古いが、そういう知的な雰囲気は感じられなかった。現代の普通の街だった。

絵画館はよほどのマニアックな絵画研究家でなければつまらないところだ。14世紀のボローニャ派の板絵と17世紀の人間臭い力強いリアリズムのカラッチ派の絵画はどちらもボローニャの特色なのだけれど、同じ場所に展示されると違和感がある。

実際、見物客はわたしたちふたりとお年寄りの夫婦だけ。近代的な建物には受け付けに若い男性4人、隅々に若い男性が一人づつ椅子に座っていて、係員のほうが多いのだった。

しかし、ここでも英語はあまり通じなかった。トイレの場所を聞いたら、説明できないらしく(あるいは親切心、あるいは下心?)ハンサムな男性がついてきてくれたのだ。廊下が長かったのも嬉しい。

トイレにはいると超清潔な大きな個室にはビデまであった。なぜ絵画館にビデがあるのだろうか? とても不思議。トイレの前ではお兄さんが待っていてまた入り口までエスコートしてくれた。うきうき、わくわくしたトイレの往復だった。
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2006年02月14日

シチリア各地で撮影された[マレーナ]2002

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イタリアを感じたくて[ニュー・シネマ・パラダイス][海の上のピアニスト]のジュゼッペ・トルナトーレ監督による[マレーナ]を借りてきた。シチリアの漁村カステルクトに住む少年の熱烈な憧れの対象になったマレーナをモニカ・ベルッチが演じている。

原作の舞台はカステルクトという漁村だが、ロケはシラクーサで行われた。だだっぴろい焼け付くような海沿いの道にマレーナの家があり、少年達が防波堤にずらっと並んで座って見物する。この道路の広さが、手の届かない憧れを表しているように感じた。

[ニューシネマ・パラダイス]もシチリアでロケが行われた。殺伐とした広い土地や時代から取り残された建物の多いシチリアは、第2次世界大戦前後を描くにはぴったりの場所だ。この映画はシラクーザだけでなく、タオルミーナやメッシーナでも撮影されている。シチリアはジュゼッペ・トルナトーレ監督の故郷である。

マレーナは平凡な人妻だが、他の女とちがうのは際立った美貌だった。彼女が歩くシーンが多いが、キャットウォークで訓練されたモデル出身のモニカ・ベルッチの姿は見飽きることがない。

マレーナはいつも目を伏せて歩く。哀愁のある男は多いが、哀愁のある美しい女というのは少ない。マレーナはその一人だ。

夫の戦死の誤報から町中の男やドイツ兵に体を売り、裸を惜しげもなく出して体当たり演技。女たちからは蔑まれる。それでも、とても救われる結末で、観てよかったと思った。

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ソフィア・ローレン

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この映画はイタリア映画ではないが、ソフィア・ローレンの100作目の記念作品なのでオマージュとして私のITALIA DIARYのほうにも載せておく。

邦題は[微笑みに出会う街角]という。モントリオールの街が舞台になっているとはいえ、誰がこんな安っぽい題を考えつくのだろうか。原題は[Between Strangers] この写真は一番最後の場面で3人の女性がまったく知らない人間としてひとつのテーブルにつくところ。だから題はそのままにしておいてほしかった。

3人の女性を演じるのは右からミラ・ソルヴィーノ、ソフィア・ローレン、デボラ・カーラ・アンガー。それぞれまったく異なる問題を内に秘めていて、それが同時並行しているのだが、話の移り方が上手でちっとも疲れない。

もちろんソフィア・ローレンが凄い。この写真のように笑ったのはただ一度このときだけ。あとは車椅子に乗る元軍人の夫と惨めな日々を送っている。おりしもイタリアの宝としてオリンピックの旗を持ったソフィアがこれほどまでに普通の惨めなbuttered wifeを演じられるとは!!

ピート・ポスルスウェイト演じる夫は憎らしい男だ。妻の外出がちょっと長いと、どこに行っていたんだ、と詰問する。足が不自由で世話をしてもらわなければならない状態なのに、「おれはお前なんか必要ない。お前は俺が必要だがな」と豪語する。

カメラワークも素晴らしい。たとえばこの豪語した後で夫はワイングラスを倒し自分にかけてしまう。しかし世話が必要ないと言った直後なので何も言えない。

カメラはゆっくりと壁を写して回る。台所の布巾がかかっている場所で停まる。そしてまたゆっくりと回って夫妻のところに戻る。

妻は台所の方に歩いていく。夫はその背中を見る。しかし妻は布巾には近寄らず、窓をあけて深呼吸するのだ。カメラは窓の外から大きく胸を広げるソフィア・ローレンを写す。その後ろのほうで夫が怒るのが見える。という具合。

夫は友人とのトランプではいんちきをやって金を巻き上げる。そしてくしゃくしゃの札束を大事に引き出しにしまっている。金を数えるのが楽しみだ。

ある日、妻はフィレンツエに行くという。夫は「スーパーより遠くに行ったことがないくせに」というが、妻の決心は固い。妻は自分が働いてためた1200ドルを交通費にするつもりなのだ。

夫は「おれがシャワーを浴びているうちにさっさと行け」という。取り上げた本はベッドの上にある、と示して。妻は大事な本を手にして表紙を開ける。そこにはかなりの札が挟んであった。その時のソフィアの演技には心打たれる。そしてピート・ポスルスウェイトにも。夫はシャワー室の真ん中に呆然といるだけなのだった。

すばらしい脚本と監督を担当した人はエドアルド・ポンティという。ソフィア・ローレンとカルロ・ポンティの息子である。たいてはこういう場合は親の七光だが、彼は南カルフォルニア大学を主席で卒業し、さらに後に博士号も取っている。頭が良いのだ。この映画は頭のよい監督が作ったきちんとした映画である。


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2006年02月13日

イタリア映画[イル・ポスティーノ]

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この映画はほとんどがサリーナ島で撮影された。ポラーラという小さな村の下に広がるビーチでとられたシーンは実際に自分が寄せては返す波をいつまでも眺めている気分になる。

郵便配達夫マリオや家族の話す言葉はゆっくりで解りやすく、イタリア語の感覚を取り戻すのに役立った。たとえば、ばあちゃんがいつも言う格言、”L'uccello che ha mangiato vole via!" 餌を食べた鳥は飛び立つ! とかをキャッチ。でも余りの緩慢な展開に眠たくなってしまった。2回中断して、3回目に最後まで観た。

この主人公のマリオは映画の中で死んでいくのだが、演じる俳優も映画ができた一ヵ月後に亡くなったのだ。私は、この人は病気なのに演技に集中しているのだ、思いながら不思議な気分で観た。

もうひとりの主人公はパブロ・ネルーダという有名な詩人なのだが、私は知らなかった。私は詩は好きなのだけれど、この詩人のようなメタフォール(隠喩)を連発する形容詞的な詩は好きじゃない。とても古臭くて、いかにも詩だという臭いがぷんぷんする。

映画としての評価は高いようだが、戦後のイタリアやこのアルゼンチンの詩人によほど思い入れがある場合以外は暗くて辛い印象だけ。

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2006年02月12日

パルマにある珠玉のロマネスク美術 October'91

パルマのホテルは街から1,5キロ離れた庭のあるホテルを選んだ。夜の7時半にホテルに着いて急いでパルマハムを食べにレストランにでかけた。ところが、余り感激しなかったのである。ロンドンのレストランで食べる生ハムもパルマと近いやわらかさであった。

早々にホテルに戻り、明日のためにしっかりと眠ることにした。それが、朝まだ暗いうちにけたたましい騒音で起こされてしまった。雄鶏が時を告げる声だった。

Hotel De Villa Ducaleは名前には貴族的な響きがあるのだが、実はアグリ・ツーリズモの走りだっが。庭に出てみると大きな鶏小屋があった。私は2度とアグリ・ツーリズモには泊まらないことに決めた。

まず駅に寄って荷物を預けてから、徒歩で街の中心に向かった。寝不足の私にお姉さんは言った。「大丈夫、この街で見るものは洗礼堂ひとつだけだから」道を歩きながらお姉さんはときどき「洗礼堂はどの方向ですか?」とイタリア語で聞いた。すると誰もが「あっち」と指すのだが、なかなか見つからない。

私は、イタリア語もパルマについても解らないながら、洗礼堂ではなくドゥオーモとかもっと大きな目印を聞けばいいのに、と思った。

歩いていると、立ち止まって緑色のミシュランを見ている観光客が何人かいた。そして結局みんな同じ方向に向かうようになった。この小道の先にきっと洗礼堂があるのだ。

洗礼堂を見たとき、お姉さんがなぜ「洗礼堂、洗礼堂」と目指したかがわかった。ドゥオモより高い洗礼堂は白とピンクの大理石でできた八角型のほんとうに美しい建物だった。

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絵葉書でわかるように、小さな広場に面した建物はまわりの新しい建物に囲まれて埋もれている。これではなかなか見つからないわけだ。

この洗礼堂は1196年から着工がはじまり13世紀に完成したもので、ロマネスク=ゴシックのマスターピースと言われている。中に入ると、外を見たときの感激よりさらに大きな感激が私を襲った。内部の壁を絵画や彫刻がぎっしりと埋め尽くしていたのだ。

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それらの作品を四角い窓から入る光が照らしている。そして寺院のように豪華なクーポラまであった。

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この洗礼堂は[アンテラーミの洗礼堂]と呼ばれる。これは同時代の彫刻家アンテラーミの浮き彫りで飾られているからだ(設計も彼である)。アンテラーミはここに彩色された聖書の世界を描いている。

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これは[エジプトへの逃避] 天使に誘導されて聖母マリアの一行がエジプトに逃げるところである。ヘロデ王がキリスト狩りのため2歳以下の子供を虐殺するということを知ったから。

しかし、アンテラーミは聖書の主題だけでなく、四季や働く人々をも描いている。それらを見ると当時の生活がしのばれて面白い。この彫刻は水がめを作っているところだとおもう。中世の浮き彫りは人体が5頭身くらいでとても親しみやすい。

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私たちの急ぎ足の旅行は[中世の美術を訪ねる旅]というテーマに沿ったものなので、16世紀パルマ派の絵画で飾られたドゥオモはざっと見るだけにした。[アンテラーミの洗礼堂]に勝るものはこの街にはないと思う。

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2006年02月09日

静かな街クレモーナ October '91

クレモーナにはイゾラ・ベッラでの試練の体験の翌日、マントヴァに行く途中で下車した。クレモーナの駅はイタリアの駅の多くがそうであるように、街の外れにある。そこからタクシーに乗り、お姉さんが「アル・チェントロ」と言って市の中心部に入った。

静かな街だった。人影がない。観光客もいない。浮浪者もいない。でも寂びれてはいないのだ。金のありそうな人間の住んでいる所という臭いがした。

この街はストラディヴァーリが名器を作った所である。いとこがヴァイオリンを習っていたので、それらしい店はないかときょろきょろと探したが、半日歩いて小さなヴァイオリン屋を1軒見つけただけだった。ここが本当に[ヴァイオリンの街]なのだろうか、と疑う。

民家のような家に入ってみるとヴァイオリンが飾ってあったが、あれが博物館だったのか工房だったのか覚えていない。とても印象の薄い場所だった。

実は、ヴァイオリンの名器の展示場は市庁舎の中にあって、昔のフランス人形のように縦長のガラス箱に入れて飾ってあった。でも音楽は一かけらも聞こえてこなかった。音が出なければヴァイオリンは只の板の箱だ。

絵葉書とか何か記念になるものはないかと探し回ったが、キオスクがなかなか見つからない。やっと絵葉書を売っているところを見つけて、面白くない古い絵葉書を数枚買った。

レジでお金を払っていると、メントス・キャンディの棚の向こうに小さなヴァイオリンが並んでいるのが見えた。33分の1のストラディヴァーリの模型だった。俗っぽい私は嬉しくなって買ってしまった。

日本だったらもっとヴァイオリン縁の地であることをアッピールするのに、なぜこんなに地味なんだろう。たとえばヴァイオリン型のたい焼きなんてよいと思う。弦の部分にはあんこが入らず、ちょっとカリカリして良い感じかも。

ヴァイオリン探しで半日を潰したのでがっかりした印象しかなかったクレモナだが、ある日、私の記憶の中でゴージャスに浮かび上がった。それは美容院で家庭画報の『クレモーナ特集』を見たからだ。

その豪華絢爛たるグラビアページに唖然! なに、あのすすけた市庁舎の展示場のガラスケースがピカピカに輝いているではないか! 撮影直前にスタッフが総出で磨きあげたのだろう。写真の魔術というのは凄い。私が台湾やタイで撮ってもらうハレーションをきかせた白肌、皺ぶっ飛びのお見合い写真と同じだ。

家庭画報を見た人はマジでクレモーナが[ヴァイオリンの街]だと思って来るのだろうか。もっともたいていは観光バスで寄るだけだから、市庁舎などの見学スポットを見ればヴァイオリンの街クレモナを見ました!と感激できるかもしれない。

でも、クレモーナの素晴らしさはヴァイオリンではなく、その市庁舎前のコムーネ広場なのだ。どこの古い街でもコムーネ広場は素晴らしいのでちょっと麻痺していたが、改めて書いておこう。

ピアッツァ・デル・コムーネ Piazza del ComuneのコムーネはPubulic,公衆のという意味だから、『公衆(人民)広場』であるが、イタリアのコムーネ時代の特徴なのでコムーネ広場という名称があっている。

ミシュランのガイドには『イタリアで最も美しい広場の一つ』と書いてある。この賞賛の形容詞はありふれているが、本当に美しかった!

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大きな広場には駐車場のような線が引かれているが、これは石畳の模様である。使われている石は細かく、線のところは白い石で体育館の床のような四角が何重にも描かれ対角線が引いてあった。幾何学的で整然としていて美しいし、整列するときには便利そうだ。

その広場の周りに建物が並んでいる。右の正面の中世の8角の建物は衛兵の駐屯所だったもの。ロンバルディア=ロマネスク形式の白いファサードがぺたっと付いているのがドゥオーモ、例のごとく華奢なポルティコがあり、左に半分見えるのが鐘楼、Torrazzoである。

ヴァイオリンのある市庁舎は右手前にあって写真にはない。手前左には車の通れる細い道があってそこにクレモナ銀行があった。

頭の禿げたジャン・レノのようなおじさんが市庁舎に早足で入って行き、仕立てのよいスーツを来た丸いおばさんがクレモナ銀行に入って行った。たまたま迷い込んだ観光客に目を止める人などいない。コムーネ広場には静かな落ち着いた時間が流れていた。

さて、鐘楼は広場から写真を撮ることができない。111メートル、と、とてつもなく高いので相当バックしなければならないのだ。広場から見上げると首が曲がりそうになる。正面からとる写真はすべて小道から取られている。

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それにしても、イタリアで一番高い鐘楼がこの静かなクレモナの街にあるとは! ミラノと張り合った時代があったことが理解できる。クレーンも無しに建造した13世紀の人たちに乾杯!

煉瓦の色の美しさ、屋上に造られた可愛い帽子のような八角形の屋上塔、そして時計のモザイク製の文字盤がすばらしい。優雅なゾディアックが描かれている。

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2006年02月07日

マントヴァ October '91

お姉さんはマントヴァに向かう電車の中で古い紀行文集を広げて読んでくれた。「・・汽車は速度を落とし湖の中を走った。その先にマントヴァの街があった・・・ね、ロマンチックでしょう」マントヴァは湖に三方を囲まれた街だ。

そこで私たちはきょろきょろと左右を見ていたが、水が見えないのに駅に着いてしまった。まさかここではないわよね、と窓から体を乗り出すと、そのひなびた駅に[MANTOVA]という大きなサインがあった。私たちは慌てて降りた。どうも陸側から入ってきたらしい。残念。

ホテルはホテル・サン・ロレンツオといって有名なサン・ロレンツォ聖堂の向かい側にあった。円形のサンロレンツオ聖堂はイタリア最古の洗礼堂である。古びた煉瓦のひとつひとつがいとおしく優美なロマネスク建築だ。

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聖堂の並びにはプラジョーネ宮がある。同じ煉瓦づくりの低層の簡素な建物でロッジャがある。屋根にはジグザグ鋏で切ったリボンのような装飾が並んでいる。そして繊細な文字盤の時計搭がある。中世のたたずまいがそのまま残っているのだ。

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これらの建物の並ぶエルベ広場では朝市が開かれる。普通の果物や野菜なのだが、なんだかとても贅沢なことに思える。

この広場をはさんで反対側には白いルネッサンス形式の美しいサンタンドレア教会があるのだが、ロマネスクの簡素な美には負ける。中に入ってみると16世紀あたりの聖母が愛らしすぎる聖母被昇天図が描かれていたので、さっさと出てきた。聖母被昇天という聖書にないお話にはどうしても作りあげられた逸話の俗っぽさがある。

さて、マントヴァに来た第一の目的はゴンザーガ宮殿に残るマンテーニャのフレスコ画を観ることだった。お姉さんは再び本のページを開いた。「・・・宮殿の木戸にいる門番に入れてもらった・・・ですって」もちろん、現代では門番はいなくて、チケット売り場があるのだが、昔の紀行文というのは味がある。

これは日本人の紀行文を集めた文集で、他の巻はロンドンでは見つからなかったという。東京の古本屋で探してくると約束した。

こういうものを残しておくと後から読む人は多少なりとも面白いだろう、と思ったのが、私自身が紀行文を書くきっかけであった。それにしても多くのことを学べる相手と旅行できることは何と幸せなのだろう、と思った。

チケット売り場には【所要時間、1時間半、ガイドつき】と書いてあった。一時間半もかかるのだろうか、と驚く。確かにこんなひなびた街にはふさわしくない馬鹿でかい建物だが。

宮殿といっても、ヴェニスと同じくここにも調度品は無く、だだっぴろい空間だけがあった。靴箱のような外観と同じく殺風景。ここに有名なマンテーニャの作品が本当にあるのだろうか、と思ってしまう。

ガイドはイタリア語で壁の絵のひとつひとつを丁寧に解説していく。私たちはそのたびに壁に近づき、「なんだ、これもマンテーニャじゃないわ」と落胆。そして本当に一時間以上たってから、ようやく最後の部屋に来た。そこがマンテーニャのフレスコ画の残る部屋だった。

私が感銘を受けたのはこの[新婚の間]の天井に描かれた絵。

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当時は、マンテーニャという画家については、ミラノで足の裏から見た[死せるキリスト]しか知らず、好みの画家ではなかった。でも、この[新婚の間]を見て考えが変わった。

カラスのように黒いくじゃく、腿に何重にもくびれがある悪意に満ちた天使たち、覗く、顔、顔、顔。これでは井戸の底にいて上から覗かれているようだ。蛙じゃあるまいし、井戸の中で新婚初夜を送って心地よい訳がない。

私は宮廷のおかかえ画家にもかかわらず、こんな不吉な絵を新婚の間の天井に描いたマンテーニャに感激したのだった。

この絵だけでなく、当主の家族や宮廷を描いた絵でも、みんなてんでバラバラの方をむき、一体感のないこと甚だしい。注文主を美男美女に書いたフィレンツエの画家たちとは一線を画す画家である。

このころはまだオペラを良く知らなかったので、マントヴァが『リゴレット』の舞台であることには気がつかなかった。「かーぜーの中のはーねーのように、いーつーもかーわるー女ごーころー」と歌うのがマントヴァ公なのだった。

マントヴァ公は愛する娘をもてあそばれて悲嘆にくれるリゴレットの気持ちなんか少しも介せず、女心の歌を歌うのだ。心変わりはオマエのほうだろ言いたくなるが、それが男でありオペラなのだろう。

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posted by iconologist at 17:51| Comment(0) | '91 北イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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