2006年04月17日

ポンペイ出土モザイク@ナポリ国立考古学博物館 March'06

午前中にポンペイ遺跡を見て、午後にナポリ考古学博物館に収められたモザイクの逸品を見ることができた。ツアーなのに市内観光はせずにこの2箇所だけに特化してあった。個人だったら一日ではできないコースだ。

まず、ポンペイなどから出土したモザイクや絵画の部屋をまわった。

ポンペイのモザイクは細かい。時代が遡ってからの6世紀ごろのモザイクのほうが荒いのは不思議だ。



光と影の技法だって、奥行きを表す技法だって、もう既に存在していた。モザイクの細かさはこのめんどりとひよこたちを見るとよく解る。

napmozaic1bis.JPG

[カピトリーヌの鳩]として知られるモチーフも紀元前からのものである。

napmozaic3.JPG

私たちがアレクサンダー大王として持っているイメージはこのモザイク画から来ている。壁一面に広がるこのモザイクはフレスコ画かと思うほど大きいものだった。写真は10分の1程度である。



15世紀のウッチェルロの[サン・ロマーノの戦い]では槍が美しいが、その原点もここにある。アレキサンダーの背後には枯れ木があるが、これも図像学のお約束事で、戦いは死と関連するので枯れ木が描かれる。

紀元前に最も好まれた神は男性ではバッカスだろう。このモザイクは幼いバッカスが虎に乗っているもの。バッカスの聖獣は虎ではなくて豹だが、それは東方に武者修行に行った後のもの。



バッカスは好色で酒好きで、規律で縛られない当時の世界にぴったりの神だった。 悲劇や喜劇の場面のモザイク画もあるが、演劇はバッカナーレが原点であるといわれる。

napmozaic6theatro.JPG

半獣半人が馬代わりになった馬車。下の馬車はなぜか後ろが蛇になっている。乗っているのは女は天使がぴったしと付いているのでウェヌスだと思う。男は大腿部に毛が生えているようだし、なにより男根丸出しなので牧神かまたは生殖の神プリアポスだと思う。



バッカスと同類の好色者ファウヌと、誰とでも寝るウェヌスが一緒で面白い。ボッティチェルリの[ヴィーナスの誕生]があまりに美しく楚々としているので私たちはヴィーナスについて誤ったイメージを持ってしまったが、これが正体。

モザイク画が貴重なのは芸術的価値や古さだけではない。当時の動植物が描かれているからだ。夫が「あ、スズキだ!」と言った。







ワニがアフリカとの交流があったことを示している。



また、日常生活もわかる。夫婦の肖像。



モザイクで肖像画を描かせることができるのは富裕階級。夫は巻物のようなものを持っているが、契約書で、大きな商取引をしているのだろう。妻は本を持っている。本が読めるのは女性では特に上流の証。

でも、彼らのパンはこういう固そうなパン。



こちらはモザイクではなく、フレスコ画。山の上までブドウ畑になっているが、形はヴェスヴィアス火山だろう。噴火の前は山頂は丸かった?

napopere1.JPG

左側の人物は葡萄の衣装をまとっているので、バッカスだろう。



実は、素晴らしいものを見たのだが、写真がうまくとれなかった。ラッファエルロの三美神のモデルになった絵であるが、りんごがなければ全く同じである。

raffaello3graces.jpg

そして三美神のもうひとつの仮説を私は確信した。この三人の女性はレズビアンである。ホモもヘテオも区別しない時代にホモが男性だけというわけがない。



posted by iconologist at 17:50| Comment(0) | '06 南イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月13日

ポンペイ遺跡、秘儀荘への散歩 March'06

2回目のポンペイ遺跡だが、運の良いことに今回は西北にある秘儀荘までを歩くことになり、西側に並ぶ遺跡群を見ることができた。

フォロとアポロ神殿  




フォロの奥にあるジュピター神殿




このフォロに入る手前のアーチ 車止めがある。




商品取引所のフレスコ画 ほんの一角に残っているだけ


右上は馬車を駆るヘリウスか?


廃墟に浮き出る天使たち


鮮明な赤色がポンペイの壁画の特徴


かまどはピザ屋のかまどと似ている。




大理石の公衆浴場 



明り取り窓のあたり。フレスコ画には魚や動物が描かれている。


鷲とともに蛇も描かれている。左上に半獣半人がいる。



[悲劇詩人の家]の玄関先のタイル画。



本では[猛犬注意]だというが、ちょっとニュアンスが違う。ラテン語でCAVE CANEMとあるが、CANEMは現在のcane、犬で、CAVEは飛びつくという意味だ。[犬が飛びつくぞ]と書いてある。


ここからはエルコラーノ門を出て秘儀荘に向かう。



石畳の道の両側に糸杉が植えられている。糸杉は墓の木だ。なぜかというと、根を横に張らずまっすぐ下に伸びるから。根が墓を壊さない。

今、カルドゥッチの詩を読んでいるが、詩人は並木の糸杉(cipressi)と語る。糸杉を墓に植えたのはエトルリア時代に遡るそうだ。


金持の人の棺おけ



右側面に船が描かれている。きっとこの船で儲けたのだろう。


道を下っていくと、地面の下に秘儀荘が見えてきた。



ここは当時の海の近くで、見晴らしがよかったので金持の別荘があったのだ。住宅の下を掘ったらこの遺跡が見つかったので、普通の住宅に見下ろされている。その住宅の下にも遺跡があるはずだが、政府の提示する金額では引っ越してくれないそうだ。


秘儀荘というから、なんやらいやらしいことが行われたのかと思ったら、このデュオニソスの入信の秘儀を描いたフレスコ画から取った名前だった。

これほどの規模のフレスコ画がオリジナルの場所に残っているのは素晴らしいことだ。





秘儀だけでなく、他の部屋のフレスコ画もすてきだ。






ひっそりとした中庭   



ここに2000年の歳月が凝縮されている。


posted by iconologist at 16:20| Comment(2) | '06 南イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ナポリと洗濯物 March'06

添乗員さんが「トレド通りの向こう側は治安が悪いスペイン地区なので行かないでください」と言った。同じスペインでも、オードリー・ヘップバーンも座ったローマのスペイン階段とは違うようだ。

地図を見てみるとそこは他の場所とは異なって、細かい通りが密集した場所だった。だから、ヨーロッパでは通りの名前が普通なのに、[地区]なのである。

調べてみると、スペインの統治が始まった16世紀に入ってきた移民の労働者ためにこの地区が作られたという。

それを今でも[スペイン地区]というのだが、日本が他国の名前をこういう場所に残しておいたら、[国際]問題になると思う。すぐに[緑の地区]とか言い換えるだろう。

ナポリがこの名前を残すのは、かつて圧制でイタリア人を苦しめたスペインだからかもしれない。

さて、96年にはナポリには泊まらず、ローマからポンペイに行く途中でバスの車窓から見ただけだが、洗濯物の印象しかない。それでポンペイで洗濯物の絵葉書を買い、日本に送ったのだった。

今回もまずポンペイに行くことになり、高速道路を通った。そうしたら、またもや車窓からは洗濯物ばかりが見えるのだ。

ガイドさんによると、この高速道路(といっても40キロくらいで走る)は昔、カポディモンテの丘の王宮から港の近くの新しい城に行くために高架で作られた道の上にできているという。窓から下をみると確かに石で造られたの縁が見える。

そして、この南北一直線の道路はトレド通りと並行するのだ。だから、この高架道路を通る私たちも王たちと同じようにスペイン地区を見下ろすことになる。外国人にとってのナポリの印象が洗濯物になるにはここに理由がある。

でも、観光とはいえ、人々が普通に暮らしているところを見させてもらうわけだから、洗濯物まで写真にとるのは失礼だと思う。

もっとも写真に撮りたいそそられる洗濯物もあった。それは一階の窓辺に黒いストッキングと黒いショーツと黒いブラジャーが干してあって、おまけにその持ち主らしき中年の女性がひじをついて外を見ている光景だった。こんなに細かいところまで見られるのです!

しかし、いつから私たちは洗濯物を見えるところに干すことに罪悪感を感じるようになったのだろうか? 都市の景観てそんなに大切なものだろうか。それとも、乾燥機のメーカーの作戦か?

アングロサクソンやゲルマンの国では太陽がないから外に干さないのだと思う。イタリアや日本のように太陽がさんさんと年中ふりそそいでいたら、きっと洗濯物を前面に干す習慣になったと思う。
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2006年04月07日

ナポリに着いて March'06

3月19日夜、ミラノで乗り換えてナポリに着いた。予想していたより寒いが、夜だからだろうと思う。

だから、朝カーテンを開けて雨が降っているのを見たときは裏切られたような気分になった。ナポリに雨が降るなんて! 

暖かい服といえば、「恥ずかしいから持って行くな」と夫にいわれたユニクロのマイクロフリース一枚である。誤算だった。

朝食前に散歩に行く人たちもいたが、私はなかなか眠れずに朝が来てしまったので散歩どころではなかった。

良く眠れるように機内ではずっとソリテアをやり続けていたのに、ますます目が冴えてしまったのだ。これも誤算だった。

それでもがんばって起きて朝食バイキングに向かった。アリタリアでは同じく誤算により和食を選んでしまって失敗し、ほとんど空腹だったからだ。

アリタリアの機内食は今までの私の長い生涯で出会った飛行機の機内食の中で最悪のものだった。すき焼きを食べ終わった後に残る脂身と野菜のカスだった。出会ったと書いたのは食べなかったからである。

果して朝食バイキングに行くと、上等な生ハムやサラミや全部試食したいようなパンが並んでいてめちゃ豪華だった。これは嬉しい驚きだった。

部屋でちらっと見たブロッシャーにMarriottと書いてあったので、ここがツアーで一番良いホテルかもしれないとアメニティを残らずバッグにしまったのだが、朝食バイキングも食べられるだけ食べた。

私はこの旅行が2回目の団体旅行で、いつもはひとりで泊まるのだが、そういうときに一番憎らしいのが、料金に含まれている朝食バイキングを食べている団体客だった。

個人では朝食の料金は高く、一昨年のミラノのホテルでは30ユーロもしたのだった! だから今回はその恨みを晴らす意味でもおおいに食べた。
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2006年04月06日

セジェスタのギリシャ劇場で咲く花 March'06

またやって来ました、ギリシャ劇場。今度はセジェスタ。やはり丘のてっぺんで、抜群の眺めのところ。



ここまでの道は木一本もないかんかんで照りの道。私たちは運良くバスが取れたので往復とも楽をしたが、夏にはバスでも苦しいだろう。ギリシャ劇場の脇のこんな石ころだけの土地に桃が満開だった。思わず、[頑張れ!」と声をかけたくなる風情。




私たちは白っぽい花を見ると桜だ!と思うが、桃だという。イタリアは実の食べられない花木は植えないのかもしれない。

ここで黄色い花といえば、フェンネルだ。フェンネルにも種類があるのだろうが、巨大である。花が咲く前の茎と蕾は鳥の首と頭のようです。



このようにぼうぼうに生えている先の柔らかいところを魚料理に使うのだが、日本でも魚料理には近くにぼうぼうに生えている草を入れれば良いと思う。シソとか。ハーブはわざわざ育てるほどのものじゃないです。

この下の斜面にはフェンネルの間に花畑が広がる。



青い花は南イタリアでポツポツと咲いていたあのボリジだ。



生クリームの上に飾られるより、乾いた石灰土(土が見えない!)の上に咲いているのがふさわしい野の花なのだった。これだけ石灰が多ければ青い色が冴えるわけです。

オレンジ色のほうはこの花。



花びらが柔らかく丸まっていて一見ケシのように見えるが、違う。どなたかご存知だったら教えてください。

これでイタリア旅行の植物編が終りました。草花は季節ものなので急いでアップしたけれど、あとはぼちぼちと書こうと思う。





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2006年04月05日

タオルミーナの春 March '06

ギリシャ劇場はどこでも石灰岩の丘の頂上に作られる。なぜかというと石段を積み上げるのではなくて掘り下げて座席を作るからだ。頭が良いですね!

だから、どこでも直射日光を浴びて黄色い花が生き生きと咲いていた。匍匐性のマメ科の花? 



ギリシャ劇場はタオルミーナの街の東端にある。ここから西端の修道院の庭を外から眺めに行った。ここはホテルになっていて前に泊まったが、庭は裏からでも十分に見られる。

戻る道から望遠で撮ったギリシャ劇場。ギリシャ劇場の左下が今回のホテル。最高の2泊!



散歩道から下を見たところ。タオルミーナの街が高いところにあるのがわかるでしょう。ギリシャ劇場は左の木の陰です。ここまでは気持の良い散歩。



ここの往復だけでけっこう時間がかかるが、実は目指したのは右下にある小島。展望台からはずっと石段を下り続けていく。苦しい散歩。

あ、そうそう、ここは映画[グランブルー]の舞台になったところです。小島の上に丸い屋根の建物があるが、その下の海に張り出したよしず張りの屋根のレストランが、ジャン・レノが現れて「エンゾ!」と声がかかったところ。小さい水色が見えるかしら? そこがプールです。レストランはもちろんホテルも冬季は営業していません。

石段を降りる観光客はめったにいません。そんな物好きな人はいない。でもね、こうでもしないとこのような素敵な光景は見られない。ロープウェイで往復して島を見ることはできるけれど、このアングルは無理です。だから、疲れ果てて撮ったこの写真をだまって持っていかないでね!!



サボテンの花がポチッと。 赤い花は似たものが都営住宅に群生していて少しもらって庭に植えたらはびこって困ったっけ。

イタリア在住の方が「あ、フィキリンディアが咲いている!」とコメントしてくださったので、赤い花はフィキリンディアらしい。が、fikirindiaというサイコミュージックのグループしかWEB検索には引っかからなかった。

[追記] 載っていないわけです。mahoさんが教えてくださったところによると、フィキリンディアじゃなくてフィキディンディアでイチジクの花のほうを差していたらしい。そうよね、彼女はグルメであって花の専門ではないもの。
posted by iconologist at 15:52| Comment(0) | '06 南イタリアとシチリアの野の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アグリジェントの春 March '06

[神殿の谷]というのは実際は谷ではなく小高い丘である。人々の住んでいた地区の反対側にあたる神殿群の南側には墓所があった。その向こうは傾斜地で野の花畑が続いていた。



背の高い黄色い花はキク科のいわゆる雑草だ。誰が種を撒くでもなく毎年咲いて死者を弔っている。紫とピンクのマメ科の花がかわいい。私はマメ科の花が好きだ。

キク科でも、つわぶきの花のような光沢を持った花もあった。



キクに似ているがこれはキンポウゲ科のリュウキンカ。庭師さんが作ったロックガーデンみたいです。



菜の花のお浸しにできそうなアブラナ科の花もあった。



親しい花に出会うとほっとする。
posted by iconologist at 14:41| Comment(0) | '06 南イタリアとシチリアの野の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月04日

イタリア南端の野原 March '06

ここはレッジョ・ディ・カラーブリア。家の屋根の向こうはメッシーナ海峡、その向こうにはシチリア島が見える。



向こう側の黄色い花の正体はこちら↓。オキザリス属セルヌア種。南アフリカ原産で南欧には帰化植物として自生している。日本の道端で小さなピンク色のオキザリス属らしきものを見るが、こちらはフりージャーくらい大きい。



手前の黄色い花の正体はこちら↓。 名前は解りません。



近くを見ると黄色い花だけではなく、カラスのエンドウみたいなピンクの花も咲いている。でも葉が違うからカラスのエンドウではなく、一種のマメ科です。



ところどころにボリジの青い花が咲いている。固めてケーキの上に乗っかっている花。昔から薬草として使われていて強いらしい。ボリジは酸性土で青くなるからここは火山性の土地で酸性なのかもしれない。



もちろん、タンポポだって高低さまざまなものがあった。



もちろん、アブラナ科の植物もあった。



おじさんたちはこの全ての黄色い花を総称して「あ、菜の花が咲いている!」と歓声をあげていた。アブラナ科といえば3200種もあるから十字型のものは全部アブラナ科と言っておこうっと。



posted by iconologist at 15:47| Comment(0) | '06 南イタリアとシチリアの野の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ポンペイの春 March '06

3月20日 ポンペイの遺跡の金網の向こうに水仙が咲いていた。



桃の花が咲きかけ、金網に留められた蔓バラの枝から赤い新葉がでている。

後から発掘された秘儀荘(Villa dei Misteri)にはブルーの花が咲き乱れていた。発掘される前はこの煉瓦の屋根の上にも野の花が咲いていたのだろう。



前にうちのテラスで茂っていたローズマリーの株は大きかったけれどその5倍くらいあります。
posted by iconologist at 15:07| Comment(0) | '06 南イタリアとシチリアの野の花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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