2006年09月13日

サンゼーノ教会の青銅の扉@ヴェローナ November '91

驚いたことにヴェローナでミシュランの3星がついているのは、この扉だけだった。教会自体も2つ星なのである。    

サンゼーノ教会のファサードはピンクと白の大理石の十二世紀のロンバルディア様式。ポーチの円柱の元にはライオンがいる。

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青銅の扉といっても、フィレンツエにあるような豪華なものではなく、木の扉に青銅版を打ちつけたもの。柵から手を伸ばせば銅版が盗めそうな距離。酸性雨とかは心配ないのだろうか、と心配になる。

銅版画の作者は2人いる。どちらも無名で、[11世紀のマエストロ]と[12世紀のマエストロ]と呼ばれる。素晴らしいのは11世紀のマエストロの作品群。

『最後の晩餐』 

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手前で大げさに嘆いているのが裏切り者のユダ。やましいやつほど激しく演技する。古いパターンではユダはひとりだけ手前にいるものが多い。

キリストの胸に横たわっているのがヨハネ。悲しくてたまらないヨハネを優しく見守るのがキリストの表情が慈悲深い。頭の角や耳のようなものはキリスト特有の十字形の光輪。

『アダムとイヴの楽園追放』 

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私はこの天使が大好き。普通の絵では、楽園淫行条例違反の二人はシッシッと追い払われるが、この天使は優しくアダムの肩に手をかけて何やら伝えている。異性にめざめたからって屈辱を感じる必要はないのだ。上部の砲丸のような丸いものは知恵の実のりんご。

ヴェローナはアディジェ川がゼムクリップのように曲がった中側にある街。行ったのは秋の初めだったが、上流で降った雨で水かさは増し、茶色い濁流がすごい勢いで流れていた。昔は氾濫したらしいというが、あの時でもぞっとした。 

イタリアの秋から冬は雷雨と洪水の時期、ヴェネチアも水浸しんいなる。航空運賃が高くても春夏に行く方が、日も長くて楽しめること間違い無しです。

後記1 K姉さんからの手紙 2002年2月27日

週末より3泊4日で イタリアの Trieste,Bassano delGrappa, そして Verona は飛行場を利用したので1泊しました。マチオと歩いたのがこの間のような気がしました。例の San Zeno の青銅の扉が木の扉になっていて驚きました。

今は入場料を支払い中に入ると内側の木の扉を少しだけ開けてそのわずかな空間で眺めることになっており、当然うす暗くてよく見えない。昔、良き時にそれも若かりし時に行ってよかった。
  
それに主な教会のチケットを5枚まとめて買うと安くなるシステムで、何処の教会にも先ずは窓口が出来てしまいました。そんなことなのかどうか昔の感動はなく、年を取ってしまったのか分かりませんが...... でも私たちが泊ったホテルのすぐ右横のSant'Anastasia の教会が昔のままの感動をよびました。やはりフレスコ画が素晴らしかったです。

またも一人旅の今回は胴巻に貴重品を入れて歩きました。今は本当に物騒です。ユーゴの人達が沢山出稼ぎにきているのです。でも旅は止められません。では又。K姉さんより。

後記2 2006年10月に再び訪れる予定です。どう変わっているでしょうか。
posted by iconologist at 12:18| Comment(0) | '91 北イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヴェローナ October '91

ヴェローナでは夏には円形劇場でオペラが上演されるところ。10月には何も上演されていないのだが、オペラ歌手御用達のホテル、『ドゥエ・トーリ』が空いていて泊まることができる。
 
ホテル『ドゥエ・トーリ』はアンティークの収集家の古い邸宅を改造したもので、広間の壁には一面にフレスコ画が描かれ、何十年も洗濯していないようなビロードのカーテンが垂れ下がっていた。

各階のエレベーターホールには18世紀、19世紀のカップ&ソーサーのコレクションが詰まったキャビネットが並んでいた。

ヒビが入ったカップや受け皿がないものも飾られてい。古いものにヒビや欠けや皺やたるみがあるのは当然だ。それでも元々美しいものには価値がある。この元オーナーのコレクションには古いものに対する愛情と教養が感じられた。

地下のレストランには古伊万里の大皿が壁一面に飾られていて見事だった。

ヴェローナと言えば何といってもシェークスピアの『ロミオとジュリエット』の悲劇の舞台である。2つの対立する家系があったことは確かだが、シェークスピアはノンフィクション作家ではないので、二人の悲劇は脚色されていると思うのだが……

古い街の中、複雑な地図を見ながらキョロキョロと[ジュリエットの家]を探した。すると『ロメオとジュリエッタ』の標識と矢印があった。それを頼りに歩くと、着いたところは宿屋だった。ロミオが夜這いしたバルコニーに辿りつくのは『ジュリエッタの家』という標識に従わなければいけなかった。

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私はバルコニーに出て両手を広げて「ロメオー」と叫ぶところをK姉さんに
撮ってもらった。後で現像して見たら、「火事だー」と叫ぶ、髪振り乱したオバさんが写っていた。

入り口でオリビア・ハッセイの主演した映画のポスターが売られていたのはおかしかった。この美しい女優が、後に日本の布施明という歌手と結婚したのは余り想像できない。

一番の見物はやはり1世紀の姿がそのまま残る円形劇場だ。ここで夏の2ヶ月間野外オペラ祭がひらかれる。2万人が収容できるという。最上段の上を歩くと、足の下に煉瓦色の屋根が広がる。
posted by iconologist at 11:27| Comment(0) | '91 北イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月12日

ソレントの超高級ホテル November '96

バス旅行、団体旅行が嫌いな私がツアーに参加したのは、シチリアを効率よく安全にまわるにはこれしかない、と思ったからだった。

ローマに夜遅くに着いて、翌朝すぐにポンペイに向けて出発。6時起床、7時朝食、8時出発、友だちが言っていた[6・7・8]を初めて経験した。

会社勤め以来の早起きとバス移動に早くも挫けた私は2泊目のソレントでアマルフィ海岸往復をキャンセルしてホテルに残ることにした。

朝寝をしてから、高台の団体用ホテルから坂を下って散歩に出た。東京からの長距離便とバスの座席で固まっていた体が開放されて気持ちよい。11月とはいえ、陽光のまぶしいソレント、青い海が広がって、ああ、イタリアに来てよかった!!と実感。

しかし、ソレントの街は平凡な商店の連なる通りがあるだけ。寂れた昔の避暑地という感じで、コートダジュールなどとは比べ物にならない。入りたいようなレストランもなかった。

しかし、キョロキョロと探していると、素敵なお庭が目にはいった。アールデコの華奢な門の奥に細長くレモンの木やあらゆる草花が植えられている。

Vittoriasorrento.jpg

庭の大好きな私、ふらふらと入り込む。庭師さんが水遣り中だった。人さまが手間、暇、金かけて手入れする庭を鑑賞するのはなんという贅沢だろう。

庭が終るとそこは駐車場でドイツナンバーのメルセデスが何台も。やっと、はてな、公園ではなかったんだわ、と気づいた私の目の前には重厚な美しい建物が・・・。ソレントの街ではなくモナコに来たよう。それがエクセルシオール・ヴィットリア・ホテルだった。☆☆☆☆☆!

庭に劣らずお屋敷訪問の好きな私、お茶かなんかいただいて中を見せてもらおう、っと臆せずにドアを開けた。ホールの向こうにはテラスがあって、その向こうに青い海が広がっていた。

テラスに出てオフシーズンの静かなプールサイドから見おろす海は、団体ホテルの窓から見おろす海と同じはずなのにどこか違う。一人でもロマンチック気分いっぱいになった。ああ、イタリアに来て本当によかった!!

しかし、コーヒーだけを飲む場所はなかったので、ここでランチをすることにした。小さなレストランに降りて行くと、そこは180度に湾曲した窓からヴェスーヴィオ火山が眺められる特等席だった。火山の形も団体用ホテルの窓から見えたやつと同 じはずなのに、どこか違う。上品な形だ。

私はエビのサラダとパスタを頼んだ。客は私一人。昼は皆さん観光におでかけなのだろう。そこへ、一人の男がずかずかと入ってきてスパゲッティを注文した。

こんな格調高いレストランでアンティパストもとらずにスパゲッティを注文するなんてずうずうしいやつ。観察すると青いシャツにはふけがいっぱいついている。よれよれのジーパンはどう見てもここの宿泊客ではない。そういう私も同類だが……
 
すると、向こうもこちらを観察して、私と給仕のお爺さんの会話を盗み聞きし、「日本人なのにこんなに英語が上手な人は初めて見た」と見え透いたお世辞を言った。

念のため日本に来たことがあるのかと聞くと、行ったことは無いと言う。私は冷たく「あ〜ら、イタリアに来る日本人は英語を話さないけど、日本じゃあみんなこのくらい喋るわ」と言ってやった。エビのサラダで美しく始めたランチをスパゲッティ男には邪魔されたくないからね。

スパゲッティ男は給仕のお爺さんとも親しいらしく、イタリア語で談笑していたが、食べ終わると東洋の美女に盛んに話しかけてきた。「デザートは食べないのか?」と聞く。スパゲッティだけのあんたに言われる筋合いはない、と思いながら、「これから決めます」と答えた。

すると「僕はここのオーナーだから、ご馳走する」と言うではないか!。思わず眉をあげて給仕のお爺さんの顔を見ると、にこにことうなづいた。ええっ、そうだったんだ。そうと解ると一瞬で物事が決められる私、「クレープ・シュゼット!」「2人前ですが・・」「食べられます!」

舌もとろけるクレープ・シュゼットを食べながらだと、会話の弾む事。オーナーのファミリーの一員だというおじさんはこのホテルの成り立ちとかを説明してくれた。そして、会計はデザートだけでなく、全部払ってくれたのだ! ラッキー、ラッキー。

おじさんは有名な階段の間などを案内してくれて、ホテルの豪華パンフレットも絵葉書もくれた。そして、部屋の中も見せてあげるから来ないか?と訊いたのだ。このとき、私は彼の魂胆がわかった。誰が、タダでご馳走してくれるかって、下心あればこそだ。
 
そうと解ると一瞬で演技ができる私、「たいへんだわ、団体のバスが出ちゃう! どうも有難う、楽しかったわ」 そして処女は脱兎のごとく麗しのグランドホテルを飛び出たのだった。

おじさんは本当に部屋を見せてくれるだけだったのかもしれない。でもイタリアの男には用心した方がいいからね!
posted by iconologist at 18:45| Comment(0) | '96 南イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベルニーニのローマ August'95

イタリアはひなびた街の教会などに良さがある、と気取っていた私は、誰もがまず行くローマを馬鹿にしていた。

1989年のミラノ、ヴェニス、フィレンツエ、1991年の北部イタリア旅行、その後1995年にヴェニス〜ラヴェンナ〜フィレンツエ〜シエナ〜アッシジと回って最後にローマに着いた。

そして誰もが詣でるヴァチカンに行ったとき、「ああ、ここに初めに来ていたら、他には行く必要がなかった!」とその素晴らしさに感嘆し、皆が好きなものを避ける自分の愚かさを知った。皆が良いというものは絶対的に良いのだった。

ローマでは贅沢なことにグランドというCigaのホテルに泊まった。このホテルのすぐ横の小さな教会にローマの噴水を作ったことで有名なベルニーニの彫刻[聖女テレサの法悦]があるのだ。

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実は、日本で読んだ石鍋真澄さんの[ベルニーニ]という本に出て来る彫刻のある場所を全部メモしてきていた。ローマに2度と来ることはないから、この際に一気に見てしまおうと思ったのだった。

たった2日半だったので地区ごとに見る計画をたてた。

1日目

アッシジから昼過ぎに到着

国立博物館→マッシモ宮殿→ヴィラ・ジュリア(エトルスキ美術)→ボルゲーゼ美術館(ベルニーニ子供の頃の作品)→S.M.デルラヴィットリア教会(ベルニーニ作[聖女テレサの法悦])

2日目
ヴァチカン美術館→サンピエトロ寺院→スペイン広場→[ローマの休日]の撮影された家の前のオステリア・マグリットで夕食

3日目
カピトリーニ美術館→コンセルヴァトワール美術館→フォロ・インペリアル→ROFUMで昼食→フォロ・ロマーナ→丘を越えてコロッセオに降りる→サンフランチェスコ・ア・リーパ教会(ベルニーニ作[聖女ルドヴィコの法悦])→トラステーベレでピザ

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これだけの見学で私はローマの虜になってしまった。[全ての道はローマに通ず]というのは違う、実際は「全ての道はローマから始まる]だ、とつくづく思った。

そして、1996年にはDelitという語学学校に5日間寄ってみた。その辛い学校生活にもかからわず、1997年には再びDelitに3週間も通った。そして午後はローマをじっくりと見た。
posted by iconologist at 15:11| Comment(0) | '95 シエナ・アッシジ・ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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