2006年10月18日

ファルネーゼ劇場@パルマ

2006年9月30日

土曜日の朝、フェッラーラに向かう前に、公園を往復1時間歩いてまで行きたいところがあった。それが、ファルネーゼ劇場、17世紀の初めに造られて現在も使われている劇場だ。

「オペラをやっていない劇場に行っても仕方ない」と人はいう。でも、そういう人って日本ではオペラを観に行ったり、CDで聴くこともしない。

春に団体でパレルモのマッシモ劇場に行ったときの添乗員もそう言ったが、私は自由時間に行って、ものすごく感激したのだった。

がらんとした劇場だって、耳を澄ませば、飾った人たちのお喋りや拍手や開演前に弦楽器が調音する音まで聞こえて来る。要するに、想像力よ!

その感激をもう一度、とファルネーゼ劇場にやってきた。ピロッタ宮のピロティで入り口を訪ねると、だだっぴろい石の階段を上がったところだという。

真っ白い階段の上に茶色いゲートウェイが見えてきた。私は日本人であるせいか、木でできたこの巨大な入り口に感激する。

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内装もすべて木製である。マッシモ劇場のあの赤い絨毯やフレスコ画の華麗な劇場と比べてなんと簡素なのだろう。

こういう内装はイタリアでは初めて見たが、設計者はあのパラディオがヴィチェンツァに造ったオリンピコ劇場を手本にしたという。

パラディオはヴィラを作ったので派手に思われるが、ヴィラと言っても当時は田舎の夏の家で、お金をかけない簡素な内装がモットーであったのだ。そういうところを私は尊敬してる。

劇場内の写真撮影は禁止なので、数人の見張り(イタリアの見張りはみんな本を読んでいるだけ)が椅子を離れた隙に舞台から撮った貴重なお写真。

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しかし、実はここが使われたのは1732年まででそれ以降は老朽化のために使われなかった。木製の内装はその点が厳しい。さらに、連合軍の爆撃で完璧に壊され、現在の内装は戦後に原型に忠実に造られたものだった。

でも、17世紀の初めにフィレンツエのコジモ2世が旅の途中で寄るからということでお造りしたけれど来てもらえず、しばらくしてコジモ家の令嬢とファルネーゼ公爵が結婚したので柿落としをしたという切ない空気はあったような気がする。
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2006年10月17日

静謐なドゥオモ広場@パルマ

2006年9月29日

この小さな広場の周りにパルマの教会建築がつまっている。観光客はまばらで、地元の人はコーナーにある人気のジェラテリアK2に並ぶ。美味いジェラートを食べながら眺める中世の教会はオツなものであった。

ロマネスク=ゴシックの傑作、アンテラーミのデザインした洗礼堂。

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ここがパルマで一番の場所であり、今回もここが目的だった。アンテラーミの彫刻でぎっしりと埋まった内部については前回詳しく書いたので省略。


12世紀のロンバルディア形式のドゥオモ。中世の簡素な建築、ピンクの大理石が絵のように美しい。2頭のライオンも立派で、よく残っていたと感心する。

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人と比べるとライオンの大きさが解る。

しかし、この内部の装飾はバロックの騒がしい荒々しい絵なのである。クーポラに描かれたコレッジョの[聖母被昇天]が有名だが、私はカトリックではないので、聖母も昇天するというストーリーに共感できない。

といっても、コレッジョはパルマ派の代表的な人であり、マニエリズムのパルミジャーのよりはマシなので、聖ヨハネ教会まで行くことにした。ここにはコレッジョの[キリストの昇天]がある。[キリストの昇天]はまあ、仕方ないと思う。

聖ヨハネ(SGE)教会はルネッサンス=バロックのファサードが愛らしい。

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中には回廊もあるが、床の下が墓になっているし、ここはファーマシーだった(昔の修道院はファーマシーであることが多い)せいか、とても陰鬱。ちょっと霊感のある私は湿った空気の中に癒されなかった病人の怨念を感じてしまう。

教会内部は暗く、クーポラのモザイク画はほとんど見えない。フラッシュなしで撮ってきて、光度を調整してやっとこの程度。ヨハネ伝に書かれている、彼が見たキリストの昇天の様子が描かれている。周りの人は11人の弟子(12−ユダ)

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はっきりと見える絵を探して来た。しかし、これはやはりバロックの荒々しい絵であった。

なぜ、コレッジョはモリモリのふくらはぎや上腕を強調するのだろう。[聖母被昇天]では女の脚に興味があるのかと思ったが、男の脚も好きみたいだ。こういうものは遠くにあってぼやけて見える程度で良いのだった。

昔別れた男と会うと、昔と同じ理由でふたたびイヤになる。絵も同じだった。
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パルマで選んだホテルはVerdi

2006年9月29−30日

91年とほぼ同じ場所を巡る旅程作りで最後まで迷ったのが、パルマに泊まるか、マントヴァに泊まるかということだった。

それは結局は、マンテーニャのフレスコ画を見にゴンザガ宮殿に行くか、アンテラーミの洗礼堂を見にパルマに泊まるか、どちらにするかということ。

マンテーニャの好きな私はマントヴァの方が良かったが、初めてのM子にはアンテラーミの洗礼堂だろうと思う。

そこでなぜパルマの印象が悪かったか考えてみた。ホテル自体も雄鶏が鳴き叫んで不愉快だったが、街から遠く離れていてタクシーを使わなければならなかったこと、と、駅からの往復で延々と街中を歩いたことだと思った。

そこで、前日のミラノでは街中なので、パルマでは公園に面した小さなホテルを選んだ。邸宅を改造した20部屋しかないホテルで、VERDIというが、音楽とは関係ない。パルマはヴェルディが生まれた街なのである。

道を迷って、犬と散歩をしていたマダムに聞くと、「ヴェルディはこの街で一番のホテルよ。マリア・ルイジアなんかより、駅前の大きなホテルなんかより、ずっと素敵なホテルよ」と案内してくれた。

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ステンド・グラスをはめ込んだガラスのドアの向こうに見えるのが公園。古いヴェネチアン・グラスのシャンデリア、趣味の良いほっとするホテルだ。

客はアメリカ人ばかりだった。日本人観光客は来ないけれど、先月、この街の会社が招待した日本人グループが泊まったのよ、と言っていた。

それは街まで公園を突っ切らなくてはならないからだろう。アメリカ人たちは自転車を借りていたが、私たちは歩いて行くことにした。

デュカーレ公園は、訳せば公爵公園だから、新宿御苑みたいなものだ。

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こんな小さな街にこれほど整備された美しく広大な公園があるとは驚きだった。高い木々やマロニエの並木の間を20分歩くと旧市街に続く橋に出る。

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橋の際に立つピロッタ宮殿のピロティを抜けると街が見えた。私たちは結局、ここを2往復したので合計2時間以上歩いたわけだけれど、快晴の秋の日(結局最後のミラノを立つ日まで雨は降らなかった)、素晴らしい場所を歩けるのは幸せだ。

運の良いことにホテルの隣にあるサンタ・クローチェというレストランが地元の人も行く人気のレストランだった。テラスで食べるプロシュート。ウチの家族は全員生ハムに目がないので、申し訳ないと思った。

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でも、毎日食べることになったので、その後はもう家族の恨めしげな顔を想像することはなくなった。慣れとはそういうものだろう。


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ホテルの窓から朝焼けが見える。

時差は感じないようにしていても、体のどこかに残っていて、こうしてしばらくは早起きしてしまった。

胃のほうも、機内食は酷かったしミラノの夕飯はおにぎりだったので食べれると思うが、受け付けないものだ。この旅行でずっと惜しいと思ったのはここパルマで半分残したフィレ・ステーキであった。

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2006年10月13日

憧れていたパヴィアの僧院

2006年9月29日

ミラノに寄る度に、今度こそパヴィアの僧院に行こうと思っていたが、ミラノの友だちは「え〜、パヴィアぁ」と言うし、先回は運悪く悪天候で行かれなかった。確かにぽつんと離れたところにあってとても行きにくい場所なのだ。

しかし、今回は多分最後のミラノ、いやもしかして最後のイタリアかもしれないので、パルマに行く途中に寄ってもらうことにした。中はガイド付き観光なので見る時間はないが、せめてあのファサードだけでも見て来たいと思った。

パヴィアは川が流れるのどかな平地である。川は堤防越しに見える程度の細い川だが、北のマッジョーレ湖から流れてくるティチーノ川だ。遠くのほうに、僧院全体が見えて来た。とても大きい。

草むらの中の細い道がまっすぐ正門に通じていて、その先に門があった。

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観光客はいない。昼間の閉館時間なので柵も閉まっている。でも、これは織り込み済みで、ともかく、ファサードを見ることができればそれで満足しようと思った。

しかし・・・、ファサードの半分は修復のために覆われていたのだ。これだけが楽しみだったので、とてもがっかり。柵の間にデジカメを入れて一枚撮った。

smallcertosapavia.jpg

ファサードは確かに美しいけれど、このくらいのものはイタリアの多くの街で見ることができる。ファサードがぺたっと美智子妃殿下のお帽子のように張り付いている煉瓦の本館の大きさこそが、このパヴィアノ僧院の醍醐味なのかもしれない。

そこで、周りから見たいと、塀の周りを回ってみた。しかし、煉瓦の塀が高くてやっとひとつの搭の先が見えた程度だった。まあ、これで、この僧院の広さが解ったのだが・・。

塀の周りには本当に何にもなく、自転車に乗ったおじさんとすれ違ったが、ヴィスコンティの映画、[郵便配達は2度ベルを鳴らす]の冒頭のポー河の堤防の道を思い出した。そういえばポー河も近いのであった。そういえば、パヴィアという街は昔ヴィスコンティ家のあったところだった。

パヴィア市のホームページを見ると、小さいほうの中庭はすてきな庭園だ。まだもう一度見に来たいとしつこく思うけれど、それは将来とてもヒマになってパヴィア市に一泊することがあれば、ということにしよう。
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2006年10月12日

ドゥオモの尖塔の屋根を歩いて

2006年9月28−29日

ミラノを起点と終点にして北イタリアの街を回る10日間の旅程を作った。ミラノには10数回来たけれど、この街を目的に来たのは初めてイタリアに来た1989年以来である。

宿泊したのは今回で4回目だが、過去2回はサルヴァ・ジェンテやD・MAGASINEでの買い物だけに慌しく動いていた。

しかし、今回は違う。これが最後のミラノだと思うので(2004年の日記にもそう書いたけれど)、もう一度ドゥオモの屋根に登ってこようと思ったのだ。

ミラノの空港から街に入って来たとき、同行者のM子が「イタリアの街でこんなに魅力のないところは初めてだわ」とぽつんと言った。確かに、広い道の半分に車が駐車してあるので、駐車場の間を抜けるような感じで、お世辞にもすてきな街とは言えない。

そこで、宿に着くなり、M子にミラノの目玉商品、ドゥオモを見せに行った。このために、今回は共和国広場のパラスではなく、歩いて5分のところにあるDei Cavallieriというホテルを選んだのだ。サービスが今までで一番悪くて(想像どおり!)2度と泊まらないが、ドゥオモを夜に歩くには便利なところだった。

残念なことに正面は下半分が修理中だった。

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しかし、横面はこんなに美しい。この上の部分が歩いて登ると到達する場所である。そしてガレリアも輝いている。

smallduomo@night2.jpg**smallgalleria@night1.jpg

美しいガレリアの横の大きなハンバーガーショップでミネラル・ウォーターをしっかりと仕入れ、ホテルに戻った。

夕食は成田のコンビにで買っておいたおにぎりで軽く済ませた。機内では一睡もせずに映画と数独をしていたので、時差も感じずに朝まで眠った。朝はこのホテルのただひとつの花丸、ルッコラのサラダを食べて気分良くミラノの街に出た。

ドゥオモの正面広場を見ながらまず、ブレラ美術館へと歩いていたら、ふと昔との大きな違いに気が付いた。広場が美しいベージュ色なのである。前はドゥオモのすぐ前にまで入っていたタクシーがない。タクシーを降りるとわっと寄ってきたジプシーはいなくて、鳩も少ない。これが街の美化というのだろうか。

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スカラ座の角を曲がってブレラ美術館に行く通りに入る。一歩中に入ると昔からの普通の通りだ。

これは出るときの写真。やっと朝日が中庭に差してきたところ。朝一番の美術館は人がいなくてとても良い。

smallbrela1.jpg


ここでは例のマンテーニャの足の裏から見た[死せるキリスト]が貸し出し中だった。マントヴァのマンテーニャ展に行っているのだという。今回の旅程ではずしたマントヴァにやはり行っておくべきだったかと思ったが、M子は「私はマンテーニャは特に好きではないし、[死せるキリスト]は嫌いだからよいわ」と言った。

M子はベッリーニが好きなので、幾つかの絵を見て喜んでいた。ベッリーニの聖母は確かにしとやかで素敵だけれども、ベッリーニはいつも同じような牧歌的風景に青いマントがめだつマドンナを描いた。

私に言わせれば、想像力に欠けた売り物の絵だ。天使や聖母や幼子の顔が気持ち悪いとかいわれて理解されなくても、想像を爆発させるマンテーニャのほうが私は好き。

しかし、幸いなことに、マンテーニャ展はマントヴァだけではなかったのである。マンテーニャ500年というイヴェントが9月18日から来年1月まで多くの都市で開かれていたのだ。私たちが訪ねたパドヴァやヴェローナでマンテーニャ展を見られたことは、マンテーニャを尊敬している私にとっては思いがけないプレゼントだった。

ドゥオモにはリフトで登った。リフトで上がると、ちょうど裏正面の部分を歩ける。ミラノの古い街の部分の瓦屋根が見えるところだ。

smallOldtown of Milano.jpg

もう2度と上がらないと思うので、心に留めながら写真を撮った。

smallduomoroof1.jpg

スライド・ショーはこちら。 

そして、パルマに向かうためにホテルに戻った。

帰りの10月6日にもふたたびリナシェンテのビストロの透明の屋根からドゥオモの尖塔を見て感激した。しかし、今、このブログを書いていて思い出したのだが、ドゥオモの中には入らなかったのだ!! どこの街に行ってもドゥオモに入る私が忘れていた。それほどこの建物の外観は素晴らしいということにしておこう。
posted by iconologist at 11:28| Comment(0) | '06 ミラノと北イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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