2008年10月31日

バルベリーニ宮殿、国立古典絵画館

2008年10月08日 3日目ー1

クワットロ・フォンターネへの往復で、バルベリーニ宮の前を通ったが、この女性の絵が気になった。この美術館の目玉商品なんだろうが、品がない。私の知っている姉妹の若いころに似ている。

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そうしたら、ラファエッロが恋人を描いた絵だという。嘘でしょう。こんなひどい絵をラファエッロが描くはずがない。でも、ウルビーノのラファエッロ作とサインしてあるのだ。

帰ってから調べたら、この絵は1520年の作品だった。亡くなった年である。このころラファエッロはローマで法王から依頼されたデザインのお仕事とかをこなしていた。だからパンテオンに埋葬されたのだろうが、こういう絵をコツコツと絵を描く生活ではなかった。

それでもサインがあるからラファエッロの作品というのだが、間違いなくアトリエ作品だ。左腕と手の描き方の下手なところを見てよ。

最近ではこの時期は、下絵のデザインさえしていなかったと言われているらしい。あ〜、良かった、ラファエッロの絵だと思わないで良かった。

中に入ると、首切りするユディットとか、バロック期に流行ったテーマが多く、そう面白い絵はなかった。一番良かったのは、ホルバインの[ヘンリー8世]だろうか。

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アンと再婚するときの結婚式の衣装でめかしこんでいる姿だ。すると、K姉さんが、「見て見て、面白いものがあるわ」とこの絵の上にかかっている絵を指差した。「トーマス・アキナスよ、ヘンリーが離婚してアンと再婚するために国教を作ったのに反対して殺された人よ」

なるほど。イタリアはカトリックだからヘンリー8世の上にトーマス・モアを掲げたのかしら。こういうところに、キュレーターのセンスを感じる。

しかし、私が見たかったフィリッポ・リッピの受胎告知は修復中で飾られていなかった。

本などでは、フィリッポ・リッピのもうひとつの作品、聖母子(タルクイニアのマドンナ]が傑作となっている。これも修復中で見ることができなかったのだが、1437年の作品で、マザッチョの影響を強く受けている。

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ウグイス色の顔色、グロテスクな形の幼子。マザッチョは美術史的にはルネッサンスの一番初めの画家ということでみんなが真似したわけで重要だが、心打たれる画風というわけではない。

フィリッポ・リッピはとても他人に影響を受けやすいみたいで、次はフラ・アンジェリコに傾倒した。それが細部にまで感じられるこの絵(1440年)が私の見たかったもの。

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この時期の聖母マリアは若い売り出し中の女優みたいにかわいい。(この後はドーリア・パンフィーリ宮殿のこの受胎告知みたいに地味になる) 
なぜ評価がされないかというと、右の2人の不細工な男たち(寄進者)を弟子が描いたかららしい。絵葉書でもここがカットされていたが、この男たちがいることで、マリアが中央に立つというめずらしい受胎告知の構図になっている。バランス的には良いんじゃないの?

中央の有名な天井画の間は立派だったが、天井が高くてじっくり観る気にならなかった。ところが、そこで終わりだった。バルベリーニ宮殿は外から見るとわからないが修復中で2階の絵画室だけが見られる。有名な螺旋階段にも近づけなかった。

また同じ道を引き返すのかしら、と係りのおじさんに聞いたら、「そうです。一枚のチケットで2回見られます」というナイスな返事。

そこで、ずっと気になっていたことを聞いてみた。

マグダラのマリアが胸を押さえて天を見上げる絵で骸骨付きのものが3つほどあったが、どれもMaddalena Penitenteと書いてあった。

「マグダラのマリアの題のPENITENTEってどういう意味ですか?」
するとおじさんは悔悛するという意味だと言った。あ、そうか、イタリア語でPENAって罪だったわね。でも私は、娼婦だったくらいで足元に骸骨転がされて許しを請わせるってやりすぎじゃないかと思う。

「マリアはどんな罪を犯したの、カトリック的な絵ね」
すると、ちょっと離れたところにいた女の係官が、「カトリック的じゃなくて全キリスト教的よ、だって人類の罪ですもの」と言った。

こういう絵が好んで描かれたのは、彼女が娼婦だったからではなく、地位を貶めるためだ。

バルベリーニ国立古典絵画館は修復が終われば立派になると思う。すでに書籍売り場の充実はすごかった。昔は本屋で探さなければなかった図像学の本がシリーズで発行されているのに感激した。

写真をたくさん載せて解説していて、これがそのまま日本語訳されれば嬉しいなあ。写真は私が選んだものも多くあって、やはり使える絵って同じだわ、と思った。15ユーロだったし、重かったので、[
シンボルとアレゴリー]
だけを買ったが、全部買えば良かった。
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2008年10月30日

パンテオンも近いから見ておこうか・・

2008年10月07日 2日目ー4

建物の間から、パンテオンの後ろ側が見えた。古い煉瓦が美しい。

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正面の列柱も見えてきた。味わいがある。

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ロトンダ広場は人で埋まっている。実は目的はローマで一番おいしいカッフェが飲めるとK姉さんがいうTAZZA D'OROで、この右側の路地にあるのだけれど、ここまできてパンテオンに入らないのは古代に対する冒涜だ。カッフェは後にして正面広場に出た。

わ〜〜、パンテオンだ。

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古代建築はすてきだけれど、私がパンテオンに足を運ばないのは有名人や権力者の墓があるだけだからだ。墓場はきらい。いやいやながら中に入る。わ〜、観光客が団体で出て来る。みんな面白かったのだろうか。

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この扉は修復はされているが1900年前のブロンズ扉。そう思って鑑賞しないと感激しない。

ウンベルト一世の墓の上の壁。イタリア王ウンベルト一世、と書いてある。こういう偉い人がパンテオンに葬られるようになったのはルネッサンス以降のことで、古代ローマとは関係が無い。。

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それでも、パリのパンテオンよりは大理石の色彩が渋くてすてき。

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あ、面白いものがある。両脇の柱の上にある金の星。

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星の下には3個の俵みたいなものがあるが、俵ではなくて山。山の上に星が輝くのはキージ家の紋章だ。キージはシエナの銀行家で大金持ちで、ローマにも宮殿やヴィッラを持っていた。だからこの紋章はよく見る。

こちらの壁には聖母子像。あまり興味がないと、カメラが斜めになってしまう。しかし、壁の美しさは見事だ。

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パンテオンは古代ローマ建築の唯一の完全な遺構というが、それは屋根が完全に残っているからだ。そして、その屋根が完全に残れたのは、巾6メートルを超えるこの壁の堅固さのおかげである。

もうひとつ、破壊を免れた理由は、7世紀にカトリック教会となって聖母や殉教者を祀ったからである。絵画にも聖母が多い。

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ここは今でも教会で、結婚式も行われるらしいが、墓に囲まれてどうして幸せな門出ができるんだろう、と怪しむ。

さ、これが有名な古代ローマのドームである。どうしても河川の護岸コンクリートを思い出してしまうが、ほんとうに古代ローマのものなのだ。

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このコンクリートの成分を調べたら、現在のコンクリートの成分とほとんど変らなかったという。古代ローマ人の知識と技術はすごい。それ以来、人間は進歩していない部分が多いかも。

私がつまらなそうに見ていたら、K姉さんが、明かり窓を指差して、あそこから雨が降ると、床に落ちるときには霧になるのよ、と言った。嵐でもそうなんだろうか、と思ったが、パンテオンで一番面白かったのはこのお姉さんの説明だった。

外に出ると、ロトンダ広場に太陽が降り注いでいて、ほっとした。

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このオベリスクも皇帝がエジプトから持ち帰った11個のうちの1つだが、やはりこの広場に据えられたのはずっと後のこと。

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すてきな青空。この晴天が続いている間に早く田舎に行きたいと思ったが、その心配はなかった。晴天は帰る日まで10日間続いたのだった。東京は雨だったという。私は超晴れ女。

人がいっぱいのロトンダ広場から路地に入ると、めざすTAZZA D'OROには観光客はいなかった。

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確かに、濃いだけではなくコクもあって、忘れられないおいしさのカフェだった。

この後は再び小象のミネルヴァ広場を抜けて、昨日行ったドーリア・パンフィーリ美術館にお姉さんを連れて行った。なんと閉館直前で、私たちが入ったあとに扉が閉められた。

今日も朝から歩き回った一日だった。100%の時間を使い切った感じだ。いつまで生きるかわからないから、せいぜい一日を目一杯生きよう。夜はお姉さんの知り合いとバルベリーニ広場の魚専門店で食事をした。
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2008年10月29日

サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会

2008年10月07日 2日目ー3

ミネルヴァ広場についての前の日記で簡素なネオ・メディーヴァル様式のファサードについて書いたが、このドアを一歩入ると、中の様子は一変した。

天井の赤い梁、星の散りばめられた青い空、なんと美しいこと。

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上を向いていたら、くらっとめまいがして、写真がぶれていた。

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古代ローマ風の円柱の上に建てられているが、ゴシック様式。ここはローマで唯一のゴシック建築の教会なのである。建築したのはフィレンツェのサンタ・マリア・ノッヴェラ教会を建築した人というので、なるほどと思った。

実はこの教会は、長いことフィレンツェ人のための教会だったので、メディチ家の高貴なお方も埋葬されている。

主祭壇はフィリッピーノ・リッピのフレスコ画で飾られている。天井の絵は後の時代に完成したもののようだが、このフレスコ画は15世紀のままである。

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下の絵が有名で、受胎告知の形をとっているが、実は右のトーマス・アキナス(秋茄子と変換されました!)が主役。

上の絵は有名ではないけれど、こういう[聖母被昇天]なら許せると思わせるすてきなデザイン。雲の周りを飛ぶ天使は国際ゴシックの流れを汲んでいる。だから気に入った。

受胎告知もどきの絵は他にもあった。

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真ん中の黒い服のおじさんがこの教会を造るに寄与した枢機卿。マリアが嫁ぐ娘に持参金をあげるシーンになっている。こういう風に意図があると、画家も嫌になるのか、芸術的にはつまらない絵になる。

こちらはトレチェントものだろうか? モザイクみたいだが剥げているところを見るとフレスコか?

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実は、ここにはフラ・アンジェリコのお墓がある。フラ・アンジェリコはフィレンツェのサン・マルコ寺院にずっといたのかと思ったら、ローマにも来ていた。法王にヴァチカンのプライベート・チャペルの絵を頼まれたのである。

フラ・アンジェリコはドミニク派の修道士なので、この教会の修道院に泊まった。そしてそこで亡くなったのだ。

それで、[地球の歩き方]にフラ・アンジェリコの絵が出ていたので、ぜひ見たいと思った。ベルニーニの子象とこの絵が目的だったのだ。

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暗い中撮ってきた写真を良く見た。そうしたら、これは絶対にフラ・アンジェリコではないと思った。私の大好きな画家で、フィレンツェの学校に行っていたときはサン・マルコに何度も通ったのだから、すぐに判る。

調べて調べて探ってみると、Benozzo Gozzoliの絵だった。[地球の歩き方]にメールで知らせると、自動返信で「すぐには反映されないことがあります」と、何だか載せて欲しくてメールしているみたいに思われるけれど、あなた、恥ずかしいから、すぐに訂正してね。

そうそう、最後にミケランジェロの[REDENTORE]、救い主のキリスト。

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フィレンツェのダヴィデに十字架持たせて体をねじっただけの無個性な彫刻。ここでも計測を誤ってダヴィデと同じく上半身が大きくて下半身が萎えている。ダヴィデと違うのは金色のふんどしみたいな布で隠してあるところ。

ミケランジェロは途中で弟子に交替させた。たぶん上から彫っていくから、上半身がミケランジェロで下半身が弟子だろうか。ま、未完成で放り出さないだけマシか。

サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会は外も中も面白かった。次は脇の道の向こうにクーポラが見えているパンテオンに行った。
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オベリスクを載せた小象@ミネルヴァ広場

10月07日 2日目ー3

ミネルヴァ広場に来たのは、まずはこの子象を見るためだった。

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エジプトから皇帝たちが奪ってきた11個のオベリスクの中でいちばん小さなものだが、台座と子象のおかげで倍の高さになっている。

このオベリスクは後ろにあるS.マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会の修道院の回廊で発見されてベルニーニに依頼された。実際の制作は弟子によるものだ。

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ベルニーニが参考にしたと思われるのが15世紀の小説の挿絵版画。主人公はオベリスクを載せた石の象に出会うのだ。でも、横を振り返った表情と動きはベルニーニのものね。

S.マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会はローマ時代のミネルヴァ神殿の跡に建てられた。ソプラはソプラノの語源の上という意味。[ミネルヴァ神殿の上のサンタ・マリア教会]という長ったらしい名前はここから来る。

しかし、当時、ミネルヴァ神殿は瓦礫だったので、中の列柱はローマ風だが、当時のものではない。回廊で発見されたオベリスクはディオクレティアヌス帝がエジプトから持ち帰ったもの。

外観はこれ以上簡素なものはない、というほど簡素。いかにも中世風だが、実は19世紀になって現在のネオ・メディーヴァル様式になったもの。

15世紀制作の3つの入り口は残され、17世紀のバロック様式のファサードは取り払われた。どこにでもある、これでもか、これでもか、のバロックのファサードよりこの中世を模したファサードが好き。

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3つの入り口の上には小さなフレスコ画があって、聖母子と共に修道士が描かれている。

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13世紀にこの教会を再建したのはドミニコ会で、今でも活動している。それだからこの人のお墓があるのね、と納得する有名画家のお墓があった。

[サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会の内装と絵画]に続く。
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2008年10月28日

エトルリア美術館としてのヴィッラ・ジュリア

2008年10月07日 2日目ー2

この素敵なヴィッラ・ジュリアになぜもっと人が来ないのかというと、まずは遠いこと、そして、マイナーなエトルリア美術があるだけだからだろう。

しかし、ここには身に着ける宝飾品などの美しい細工物もたくさん展示してある。どれもしゃれていて、手が込んでいて、アンティークショップ巡りをするみたいに楽しい。私が以前によくスケッチして楽しんだのはこういうものだった。

女性の装飾品や家庭で使うものが多いというのはエトルリアでは女性の地位が高かったということだ。男性優位のギリシャ・ローマ文明より親近感が沸く。

もちろん、エトルリア文明の代表的なもの、寝棺(Sacrofago)を忘れてはいけない。その中でも、夫婦の寝棺(Sacrofago degli Sposi)は宴席も常に夫婦で参加したエトルリア人たちの生活を偲ばせて面白い。

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この寝棺だけ見たければ、入って左に進むと2階に通じるドアがある(いつも開いている)。ここをさっさと登って一番端っこにある。私はこの寝棺とフィレンツェの考古学博物館にあるこの美女の寝棺が好きだ。

もうひとつの傑作はApollo di Veio。ヴェイオで出土した[ヘラクレスと戦うアポロ] 

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このテラコッタの彫像はミネルヴァ神殿の屋根の上にあったもの。今日見ることができるのは奇跡だ。

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アーモンド型の目は東方的で、アルカイック・スマイルはちょっと夢に出てきそうに怖いが刺激的。

美術館の2階から神殿が見える。19世紀末に復元されたエトルリアの神殿である。

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装飾はテラコッタなのだが、木のように見え、デザインもアジアのどこかの寺にありそうだ。

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復元とはいえ、昔あったように屋外に展示されているわけで、古代を偲ぶことができる。

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ヴィッラ・ジュリアの美術館は前の日記に書いた素晴らしいロッジャのある建物の2階と翼の一階にあるのだが、外観と違ってとても近代的な美術館である。何より、documentationがしっかりとしていて、興味が尽きない。

ヴォルテッラの博物館では寝棺が山積みにされているだけで、説明がほとんどなかった。あれではエトルリア文明の良さが認識されない。

何度も行ったところなので、また行くつもりではなかったが、ロンドンのK姉さんが是非行きたいということで行った。何度行ってもわくわくする美術館だった。

この後はショップでタクシーを呼んでもらって、Sマリア・ソプラ・ミネルヴァ教会に向かった。
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ヴィッラ・ジュリアの麗しきロッジャ

2008年10月07日 2日目ー2

ヴィッラ・ジュリア(Villa Giulia)はジュリアさんのヴィッラかと思っていたが、法王GIULIO3世が建てたもので、Villaが女性名詞なので、Giuliaも女性形となっているのだった。確かに女性的な雰囲気の全くないところではあった。

この館は法王ユリウス3世のレジャー施設として(ボート遊びとか)16世紀半ばに街の外れに建てられた。前にはトラムの線路が走っていて簡素な館は面白みがない。でも、これが18世紀のイギリスのジョージアン形式になったのだと思うと、なかなか良いなあと思う。

しかし、この内側が素晴らしいのだ。建築はヴィニョーリだが、ヴァザーリが総監督をしたという(一説ではミケランジェロも・・)。

庭の側から見た建物。半円形。中央の鉄扉の向こうがトラムの走る道路。

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もちろん、建物はきれいに修復されている。それにしても青空の美しい日だった。

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麗しきロッジャはこの下にある。

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白い列柱とオレンジ系のフレスコ画の対比。

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ドアの向こうは階段になっていて2階の美術館に続く。

このおしゃれな壁のデザインは当時のものなのだろうか?

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入り口を入ったところの天井で、誰もが見上げて写真を取る場所。

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回廊の天井はこのグリーンのトーン。植物の葉や枝が描かれている。庭との一体感。

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現在は芝生だが、当時はparterre形式の庭だった。パルテールというとフランス語で平土間だが、要するに平ったい庭。これが後にイギリスのノット・ガーデンになる。

この塀の向こうに素晴らしいものがある。バルトロメオ・アンマナーティ(Ammanati)の設計したニンフェウム。アンマナーティと聞いてすぐに「まあ、きっと素敵ね」と思う人はよほどの彫刻オタクだろう。私はフィレンツェのバルジェッロ美術館で彼の[レダと白鳥]ですざまじいエロスを感じて以来、アンマナーティのファンなのだ。

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夏の暑さを避けて食事ができる場所として作られた。

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4体のカリアッドと半分埋め込まれたピラスターのカリアッド。

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これがアンマナーティの彫刻か。小さな胸の形がレダに似ている?

この上のほうには、カフェがある。実は、10年前には何度か日曜日の午後を過ごした懐かしい場所だ。

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美術館の中でスケッチをしてからここでゆっくりと本を読んでいた。

今回は暖かかったので外のテーブルでサンドイッチの昼食。

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カフェとしては今は近代美術館のほうが流行っているというが、昔も今もここには人が来ないので流行っていない。だから静かで良いのよ。サンドイッチはおいしかったし、ヴィラ・ジュリアの入場料は4ユーロだし、美術館カフェでは一番好きなところ。

[エトルリア美術館としてのヴィラ・ジュリア]に続く。
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2008年10月27日

ボルゲーゼ美術館のベルニーニの彫刻

10月07日 2日目−1

ボルゲーゼ美術館で見たいののはベルニーニとカノーヴァの彫刻だ。ラファエッロなどの絵もあるが、個人が集めたもので小品だし、ラファエッロを見たければルネッサンスの総本山フィレンツエに行くほうが良い。

さて、以前の2回は、大好きな[ダヴィデ]をうっとりと眺めていた私だが、もう見すぎて飽きた。今回は、今まで敬遠していたレイプもの(爆)が新鮮に感じた。

[アポロとダフネ](絵葉書から)

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ダフネの凄い形相も、手の先から枝が生え、つま先から根が出るところも余り好きではなかったが、なぜか太腿が樹の幹に変っていく地味なところに惹かれた。

ベルニーニはこういう瞬間を良く捕らえている。天才だ。

そして、同じく、女が襲われる[プルートとプロセルピーナ]

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この彫刻も女の形相が怖くてまともに鑑賞していなかったが、プルートの指が太腿に食い入ったところが凄いと思った。大福餅を指で半分に割るときのような痕がどうして硬い大理石で作れるのだろう。天才だ。

そして、このバカみたいな顔をした女も、そのせいで気味が悪いと思った。

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でも、この像が[真実]の擬人化であると知って、なぜ素っ裸か、なぜ布が変な形をしているか、わかったのだ。真実とは何も覆い隠さないことなのである。まとっていた布が投げ捨てられたこの瞬間、真実が明らかになるのだ。

とはいえ、画家が[真実]を描きたい理由は、何もまとわない裸体を描けるからよね。

ボルゲーゼ美術館。快晴。

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初めて裏の庭園に廻ってみた。ブルーのサルビア。

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白いサルビア。

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フォーマルガーデンでは、今回、一番気に入った植栽。

中央の噴水。快晴ですべてが美しい。

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この後、K姉さんの会社のローマ支店に寄ってからヴィラ・ジュリアニに向かった。
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2008年10月24日

ローマの名所、クワットロ・フォンターネ

2008年10月06日 1日目ー7

夏時間が続いているおかげで夕方が明るい。ちょっと歩いてクワットロ・フォンターネの彫刻を見てこよう。

バルベリーニ広場から坂を上りきったところにその4辻がある。デジカメ片手の観光客が記念写真を撮るために4つの彫刻の前を移動するのだが、信号が変るたびに車がどどっどっと走る。じっと忍耐して人も車もいなくなるのを待った。

最も人気のあるのはこの美しい彫像だ。白鳥がいるからレダだろうか?

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しかし、この女性は白鳥を愛撫せずに、ライオンに冠を載せている。偉い人なのだろうか? 本によるとジュノだという。

場所を変えて撮ってみると、怖い顔で睨まれてしまった。

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確かにレダではない。嫉妬深いゼウスの妻であった。鳥は下手だから白鳥かと思ったが、孔雀である。

もうひとりの女性はすやすや眠っている。これはディアナだという。

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左側にいるのは猟犬だし、上には森が描かれているが、弓矢を射るディアナではない。でも、実はディアナは内気で、夢で恋したりするかわいい人なのだ。

男性のほうはアルノ川とテヴェレ川を表している。どちらがどちらかしら?

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擬人化されていてほとんど判らないが、中央の樹は果樹だった。北のアルノ川よりテヴェレ川のほうが暖かく果物が豊富だから、こちらがテヴェレ川。狼がいるのはローマの起源の狼?

こちらは葦が描かれている。残りのアルノ川ということで。

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でも、寒いアルノ川にライオンがいる・・・・。

クワットロ・フォンターネはこの道が造られたときに、同時に作られた。有名な彫刻家の作品ではないけれど、ローマでは誰でもこのくらいできたのかもしれない。

この頂上からはピア門と3つのオベリスクが見えるように設計されている。一番近くはクリナーレ広場のオベリスク、次がスペイン広場のオベリスク、そして、なんと今朝見たサンタ・マリア・マッジョーレ広場のオベリスクも見える。広場は大聖堂の向こう側にあるのに!

帰りはどの道を通っても下り坂。バルベリーニ広場から2分のホテルに戻ってしばらくすると、ロンドンのK姉さんが到着。10年ぶりに会えて、嬉しくて抱きついた。

夜は近くのジョイア・ミーアで簡単に済ませた。ジョイア・ミーアってどこかで聞いたことがある。あ、愛子さまが行って有名になった那須のイタリアン・レストランだ。クリスマスの時期に行ったからかもしれないが、2度と行かない。

ローマのジョイア・ミーアはローマらしい普通のレストラン。野菜のグリル、パッパデルロはまあまあ。アバッキオは油っぽかった。全部半分づつにして二人で42ユーロ。
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知られざる美の館、ドーリア・パンフィーリ宮殿(美術館)@ローマ

2008年10月06日 1日目の6

朝早くから出っ放しでカフェの一杯も飲まずに歩いてもう午後になっていた。ドーリア・パンフィーリ宮殿に行こうと思ったのは、トラステヴェレとホテルの中間にあって、[地球の歩き方]によると館内にすてきなカフェがあるからだった。

ヴェネチア広場でタクシーを降り、[地歩]の案内に従って宮殿の裏側の広場に向かうと確かに入り口があった。[GALLELIA DORIA PANPHILJ]という緑色のサイン。写真に出ていたとおりだ。

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しかし、門が閉まっている。ここは月曜日は開いているはずなのに。左側にある小さな白い紙を見ると、入り口が変ったという。地図によると、コルソ通りに面している。なんだ、それならこのでっかい宮殿をぐるっと廻る必要なかったのに。

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コルソ通り側の鉄柵の間からはこの中庭が見えるので、玄関としてはここしかない、という場所。今まで裏にあったのが不思議なくらいだ。パンフィーリ家から輩出した一番偉い人[法王インノチェンツォ10世]の絵があるが、ヴェラスケスさまの絵。 

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私は貴族の家系や歴史には全く興味がないのだが、今回は違う。この館を造ったのが、ドーリア家でもパンフィーリ家でもなく、アルドブランディーニ家だと知って、調べたら、面白いことがわかった。

1601年にフィレンツェ出身のピエトロ・アルドブランディーニがこの館を造る。そして一人娘のオリンピアはボルゲーゼ家に嫁ぐ。となると、この館はボルゲーゼのものになるはずだった。しかし、皮肉なもので、夫はすぐに亡くなり、オリンピアは若くして未亡人になる。

この未亡人と結婚したのが、カミーロ・パンフィーリで館はパンフィーリ家のものになる。あんまり面白くない? では続きがある。

[エジプトへの逃避の中の休息]という絵は若き未亡人オリンピアに贈られた絵だ。長いこと発注主がわからなかったが、法王だとわかった。つまり、甥っ子との再婚をうながすために(後から祝福するためかもしれないけど)プレゼントしたんじゃないの?カラヴァッジョだから高かったはずよ。もちろん公費を使ったわね。

かんぐり? 違います。だってこのカラヴァッジョの[エジプトへの逃避の間の休息]ってものすごく変な絵だから。

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私は少年愛のカラヴァッジョが苦手。小太りの笑顔の男の子を見ると、この子もやられたんだわ、とぞっとしていた。この絵も新しい男の子の裸体を描きたかったのだと思った。

しかし、注文主が法王で贈り先が甥っ子の相手の若き未亡人となると同性愛はまずいだろう。結婚を賛美しなくてはいけないのだ。そこでぼんやりした背景を見ると、なにやらわかる。

まず、普段は添え物のヨセフが立派に描かれすぎている。これは甥っ子を立てている。マリアは赤子を抱いている。若い夫婦を天使が音楽で祝福しているのだ。

そういう意図はわかった。でも、私はまだカラヴァッジョのやり方にこだわる。マリアを見ると、田舎娘が田んぼで乳を飲ませたあとに眠りこけている格好だ。聖母の美しさも威厳もない。

カラヴァッジョは女性も相手にしたので、妻(愛人)と子供かもしてない。そして、こともあろうに[マグダラのマリア]にも同じモデルを使っているのだ。 

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一般的に[マグダラのマリア]は改悛したり、髑髏を持って嘆いたりしている。こんなに平和に寝ほうけている絵はない。これも法王が発注したのだが、壊れた宝石くらいで納得したのだろうか?

この美術館には翌日もロンドンのK姉さんと行った。BBCで[カラヴァッジョの生涯]をやっていて、彼は出入りする男の子や女の子と片っ端からやったという。そして最後には殺人事件を起こして逃亡したのだ。そういう無責任なカラヴァッジョでなくては描けないマリアとマグダラのマリアの絵だった。

ドーリア・パンフィーリ美術館には高い壁に所狭しと絵がかかっている。個人の所有なので小品も多いけれど、見ごたえがある。こちらはフィリッポ・リッピの[受胎告知]

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ルネッサンス期の絵ってやっぱりすてきだと思う。私たちは写真の時代にいて具体的な描写は写真で間に合っている。だから、こういう様式化した絵に憧れるのかもしれない。

こちらはベルニーニの彫刻、[インノチェンツォ10世]

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ヴェラスケスの作品よりハンサムだ。そういうことも注文が多かった理由だろうか。

さて、この美術館で素晴らしいのは、実は絵より館内の装飾である。小さなヴェルサイユ宮殿のようだというのも過剰表現ではない。こういう部屋が幾つも続く。

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ついこの間まで貴族がこういう贅沢な暮らしをしていたんだ、と驚くばかりである。今はこういうホールだけでなく、寝室などの居室部分も柵越えに見ることができる。

ドーリア・パンフィーリ宮殿は前はガイド付きの観覧だったが、今は入り口で各国語(日本語ナシ)の案内を聞くことができる携帯電話みたいなものを渡される。主要な場所に番号が出ているので、それを押すと解説が流れる仕組みだ。整備されたからか、9ユーロに値上がりしていた。

私は英語を選んだのだが、流れてきたのはいかにもボーディング・スクールあがりの英語だった。しゃべっているのはドーリア家の末裔で、ドーリア家に19世紀にイギリス人のメアリーさんが嫁いでからイギリスの血が入り、今では家族はほとんどロンドンで暮らしているというこどだった。

お目当てのカフェはとっても洒落ていた。あ、カフェではなくてTEA ROOMです。今日のランチのラザーニャとインディアン・トニックで一息ついた。

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外からも入れて、服装の良い人たちがいっぱい。観光客が溢れるローマにもこういう閉鎖的な雰囲気の場所があるんだな、と面白くてきょろきょろしていた。

このあと、いったんバルベリーニ広場にあるホテルに戻ったが、ロンドンのK姉さんはまだ到着していなかったので、クワトロ・フォンターニへ散歩に行った。
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2008年10月23日

サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会のモザイク解読

2008年 10月06日 1日目ー5

ファサードのモザイクを見てから、中に入った。遠くに目指すモザイクが見えるが、まずは左右の列柱に注目。古代ローマの建築物がこの教会の基礎だったことが分かる。ここは軍人の施設があったところ。

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説教壇の上部のつまらない建物がアプシスの美しさを妨害している。雨が降るわけじゃないのに、どうして坊主にはこういう重々しい屋根つきの説教壇が必要なのかと、いつも思う。

手前は後代のフレスコ画なので、アプシスに進む。この12世紀のモザイクの題は[マリアの戴冠] しかし、初期の時代には[マリアの戴冠]はマリアを主役とはしていない。礼拝の対象の一部である。

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その証拠に中央にいるのは[キリスト]、その頭の上には[神の手]、その上には[XとPを重ねたchi-roと呼ばれるキリストのエンブレム]、その上には[アルファとオメガの全能の神のエンブレム](アルファは大文字でだがオメガには小文字のωが使われている)。これは「我はアルファ(始まり)でありオメガ(終わり)である」という言葉から作られている。

神とキリストの4段重ね。マリアはよけ者の宇宙。

そして、面白いのが一番上の絵。左の天使のようなのはマタイ(天使ではなく人間に羽が生えている)、右の鷲はヨハネ。下にIOHSと書いてあるが、Iはギリシャ文字のJである。

すると、さらに残りのふたりの福音書記者がいるわけで、あ、いました。羽の生えた牛のルカ。すると、残りのライオンのマルコは左端にいるはず。

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さて、右の白髪の人物。長い巻物を広げていると、預言者。HIEREMIASPPHAと書いてあるが誰だかわからない。

預言者は左側の壁にもいる。

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下にはISAIASPPHAと書いてある。そこで、右との共通項PPHAが預言者の意味だろうから、これを取るとISAIAとなる。この人、知ってる! イザヤだ。

イザヤは旧約聖書の4大預言者のうちでもキリストと同じエッサイの家系に繋がり処女懐胎の予言をしたので良く絵にでてくる。

宗教画に対で描かれるのはいつもエレミアである。彼はキリストの出現を予言した。ということで、右の預言者はエレミアということになる。字も似ている。

端っこばかり見てきたが、いよいよ、アプシスの美しい丸い部分。後輪を付けた子羊(=きりすと)の両側に12使途の羊が並ぶ。羊の後ろに街が描かれている。たいていエルサレムである。

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キリストとマリアの両側にはいやにリアルな坊主たちが並ぶ。聖職者や殉教者やこの教会の建築に寄与した人。下に名前が書いてあるが、こういう人たちには興味がない。
 
ここでマリアはほんの添え物である。だからか、[地球の歩き方]では[Redentore e Maria in trono]を[キリストと聖母] と簡略して訳してあるが、やはりtrono=王冠は大事よ。

拡大してみよう、キリストの持つ紙にはこう書いてある。初めのVは指で隠れているが、[VENIELECTAMEAETPONAMTEINTHRONUMMEUM]

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難解みたいだが、単語に区切れば検討がつく。[veni electa mea et ponam te in thonum meum] 「来なさい、私の、選らんだ者、君に、私の、王冠を、授けよう」ってなところかな。

さて、ラブチェアに座るキリストとマリアは夫婦のように見える。ラブチェアの両側には間違いを犯さないように(爆)、マリアの純潔の象徴のユリが飾られている。

マリアは若々しく、いつもの青のマントではなく宝石の輝く衣装を見につけている。これはこの日からマリアが天の女王(Regina coeli)になるからで、MR(Maria Regina)と略される。

とても、素敵な絵だった。でもビザンチンの影響のあるキリストの顔は夫に似ているので困る。あのギョロ目を見ると、「早く帰って来い」と叱られる気がするので、視線を避ける。
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この後、ベルニーニの[福者ルドヴィカ]があるS.フランチェスコ・ア・リーパ教会に行ったが、今回はこちらがお葬式のために見られなかった。ルドヴィカは一番前の左側の礼拝堂にあるのだ。

お葬式と言っても、中には入れる。列席している人は普段着がほとんどなので初めはお葬式とはわからなかったが、説教で「マリア姉は、なんとかかんとか」と言うので葬式だとわかった。

いつも疑問に思うのだけれど、どうして日本では参列者までみんな真っ黒でカラスの軍団みたいなんだろう。男は全員葬儀屋みたいで、女は靴下まで黒く未亡人みたいな成りで、真珠は許されるということで競って真珠をつけている。私はそういう服を持っていないので、お葬式には行かない。
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2008年10月22日

S.マリア・イン・トラステヴェレ教会と広場の噴水

2008年10月06日 1日目ー5

コルシーナ宮殿からサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会までの地区は、古いパリの裏町のような趣があって木々もあって、楽しい散歩道だ。そういう場所ってローマにはなかなかない。早足で10分ほどで着いた。 

広場の噴水は、ローマの噴水の中で一番古いもので(上の部分は古いまま残っている)、その修復を17世紀にベルニーニが行っている。

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修復を依頼したのは近くのファルネジーナ荘を建てたキージ家が排出した法王アレッサンドロ・VII・キージで、このときに水量も多くした。片方が外に開き、片方が水受けになっているベルニーニらしい貝殻はキージ家のエンブレムである。

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しかし、この紋章を見ると噴水が公共のために作られたことがわかる。紋章に斜めに書かれたS.P.Q.R.はSenatus Populusque Romanus の略で古代ローマの議員と人民、つまり国民を表している。この字が真っ赤な地に描かれているのが現在のローマ市の紋章だ。

ついでに、この噴水に隠れたところに有名なサヴァティー二がある。右側の古びた建物の一階。古い素朴な下町なので、昔、ブランドの袋をいっぱい下げた日本人の女性たちがいたときは違和感があった。

この噴水に登るとサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会が一番良く見える。

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ここに登らないと、13世紀のフレスコ画のやしの木が18世紀に作られた法王の立像に隠れてしまう。

近くに行って、上のモザイク画を見る。こちらも13世紀。聖母子を真ん中に乙女たちが並んだ宗教臭くない素敵なモザイク。

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その上のフレスコ画は何が描いてあるかわからないくらい消えている。モザイク画をひきたてるし味があるからこのままで良いと思うけれど、いつか修復されるのだろうか?

鐘楼も13世紀の典型的なロマネスク建築。

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FZ18のおかげで上の小さな聖母子のモザイクまで見えた。ほんとうにもうFZは心中しても良いくらい好き!

実は、このサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会には1995年に来ている。

初めてのローマで、まだモザイクには興味なく、教会にも興味なく、ただベルニーニの[福者ルドヴィカ]を見にトラステヴェレのフランチェスコ・ア・リーパ教会まで来たのだった。

その後、ピザでも食べようとうろついていてこの教会を見つけた。他の建物は古臭いのにこのファサードのモザイクが金色に輝いていたのを覚えている。

ちょうど結婚式をやっていて広場には黒い車もいっぱいあって、教会には入れなかった。だから、今回はとっても楽しみだった。内部のモザイク解読編に続く。
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[ガラテア]を見にファルネジーナ荘へ

2008年10月6日  ローマ 1日目ー4

ラッファエロの[ガラテアの凱旋]はフレスコ画なので、美術館ではみられない。日本に来ることもない。だから、川を越えてトラステヴェレのファルネジーナ荘に行った。ここはヴィッラとしても美しいし、庭も楽しみだった。

しかし、なかなか見つからない。マンションの外壁塗装中みたいな建物があった。まさか、と思ったけれど、それがファルネジーナ荘だった。

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庭も荒れ放題。何のサインもないこのぽかっと空いたところが入り口だった。しっかりと5ユーロ取られたが、この美術館は月曜日に空いている数少ない場所なので、感謝。

館内はキンキラととても美しかった。

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[ガラテアの凱旋]のある[ガラテアの間]は入ってすぐのところ。

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意外だったのは、[ガラテアの凱旋]は10余りのフレスコ画のひとつでしかなく、そのうえ、いちばん端にあった。[ガラテアの間]とはたぶん後で付けられた名称だろう。

しかし、隅にあっても[ガラテアの凱旋]の美術的価値には関係ない。本では[秀作]とか書いてあって、全部がラッファエロの筆ではないのでそーゆーのだろうが、そんなことより、この構成美を評価したらどうだろう? 

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ラファエッロはポリツィアーノの詩から着想を得てこの絵を描いた。ポリツィアーノの詩はよほど魅力的だったらしく、ボッティチェッリの[ヴィーナスの誕生]も彼の詩に鼓舞されている。

凱旋というけれど別に戦争から帰ってくるわけではない。美しいニンフ、ガラテアは、巨人ポリフェムスが自分に歌うへたくそな恋の歌に笑いながら、いるかに乗って元気に仲間のニンフたちと海を渡っている。明るい、楽しい題材なのだ。

この絵の素敵なところは構成とひとりひとりの動きがもたらす躍動感である。ラファエッロの後期のこの作品は、ルネッサンス期の肖像画や宗教画などの硬さがとれて、あきらかに次のバロックの動きに通じるものだ。しかし、ルーベンスの同じような題材のどろどろした絵とは品格が違う。色も淡くて美しい。

洗練された動きと愛らしいガラテアの表情には格別の魅力があった。わざわざ見に来た甲斐がありました!

[ガラテアの凱旋]に感激して次の間に入ると、もうひとつ素敵な絵があった。これもラファエッロなんだろうか?

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左の女性はキューピッドを伴っているからヴィーナスみただが、エロの権化のヴィーナスはこんな恥じらいの顔や無邪気な脚の動きはしない。題を見ると、[アレキサンダー大王とロクサーヌの結婚]だった。

真ん中の長身の美男子はアレキサンダー大王さまなんだわ!と、アレサン大好きの私はうれしくなった。

でも、描いたのはラファエッロではなかった。ソドマという画家だ。ソドマ、ソドマ、全く知らない画家。

調べてみると面白いことが分かった。ソドマはシエナ派の画家で、このヴィッラを作ったシエナの銀行家キージの依頼を受けた。そして、お隣で描いていたラファエッロの指導を受けたというのだ。ソドマのほかの絵を見てもこの絵とは全く違っていた。人の影響とは恐ろしいものだ。

この絵は[アレキサンダーとロクサーヌの結婚]という題だが、別に歴史的な場面ではない。ひとりひとりのキューピットの表情、動きにをみれば分かるように、結婚の祝福に満ちた絵になっている。ここは寝室なのである。そして、この絵を描いたソドマもちょうど結婚の時期で幸せだったのである。

ファルネジーナ荘の向かいには大きなコルシーニ宮殿があって、ここには国立美術館がある。でも、月曜日で閉まっていた。

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宮殿横の柵。大きな柱の上にはお決まりの鉢が載っている。庭には棕櫚が見える。ここにはローマ大学付属の植物園がある。Orto Botanicoは興味があるけれど、パドヴァで世界遺産になった最古の植物園を見たので、今回はパス。

奥の門はジャ二コロの丘に登る入り口だが、ひとりで歩く気はしないし、パワーもないので、とことこと次の目的、サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会に歩いた。

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2008年10月21日

モザイク@サンタ・プラッセーデ教会inローマ  

2008年10月06日 1日目ー3

角を曲がったところにあったのは、巨大なサンタ・マリア大聖堂とは全く趣の違う建物だった。ドアに[BASILICA di S.PRASSEDE]と書いてあるから間違いないけれど、普通の家より簡素な造りだ。

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奥にロマネスク建築の部分が見える。古い煉瓦の色がとてもすてき。

中に入るとミサをやっている最中だった。良く聞くと英語だ。アメリカ人の団体のためにやっているらしい。アプシスまで見に行く勇気がないので、目的のサン・ゼニーノ(ヴェローナのサン・ゼノ)礼拝堂にすぐに入った。

入り口の上のモザイク。すぐ近くに見えて感激。

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キリストを中心に12使徒。下の段には聖母子を中心にサンタ・プラッセーデ、サンタ・プデンツィアーノなどの聖女がいる。男性が2人いるが、ひとりはサン・ゼノだろうか。

中に入ると! まあ素敵。小さな礼拝堂の四方の壁と天井はぎっしりとモザイクで埋まっていて一瞬、ラヴェンナのガッラ・プラチーディアの霊廟に戻った気がした。

しかし、ラヴェンナは5世紀、こちらは9世紀の作品で、天使のプロポーションが違う。ラファエル前派のサー・エドワード・バーン=ジョーンズの絵のように優雅で洗練されている。

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ペテロとパウロが十字の書かれた王冠を指差している。

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左の人物が持っているものを拡大すると聖書なので、4人の福音書記者のうちひとりだと思う。右のふたりは分からない。

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この3人は様式化されていて個性が消えているが、サンタ・プラッセーデとサンタ・プデンツィアーナと、やはりローマに自分の教会を持って祭られている当時大人気のアグネスである。

天使が掲げる円の中にはキリスト。

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後ろ側の壁。キリストは神の子羊で表されている。4匹の山羊が天国の4つの川の水を飲んでいる。

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その下の4人の女性は誰だろう。右から2番目の青いマントの女性は聖母マリアである。残りの2人には光輪があり、1人はシスターのようだ。

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しかし、ここは修道院ではないので、シスターがいるわけがない。原画を拡大して見ると、この女性だけ、名前が書いてあった。テオドラ・エピスコパ。

調べてみると、この教会を創設させた法王パスカリス一世の母親だった。権力者って、身内をマリア様と一緒に公共の場に飾るのね。けしからん! 

え? なんとこの礼拝堂は自分の母親のために作られたんですって。信じられな〜〜い。

左から2番目はマリアの次にこの教会にとって大事だと思われるので、サンタ・プラッセーデ。胸に十字架の飾りがあるのは、キリスト教徒を救って殉教したという印か? 

すると、右端は彼女の姉妹で別の教会を持っているサンタ・プデンツィアーナだ。こちらのほうが美人だったのかしら? それにしても、彼女たちはローマの人なのにビザンチン風に描かれていておかしい。

★ところが、米国のある解説にはこの私がマリアだと思う女性がプデンツィアーナで右はアグネスだと書いてあった。違うと思う。衣装が違う。

こちらがご本尊の聖母子像。幼子のはずのキリストが青年みたいな顔をしている。手には例の主張、"EGO SUM LUX"「我は光なり」 両側にはサンタ・プラッセーデとサンタ・プデンツィアーナ。

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さて、マリアの顔の両側にあるモノグラム。左はMRの組み合わせだと思う。ギリシャ文字の場合はMPだが、こちらはローマ字だ。MARIA REGINAの略。reginaはqueenの意味。女王といってもqueen of heaven, 天国の女王なのだ。

すると、右のQHは天国のということだろうか、ギリシャ文字ではQ(theta)Y(upsilon)と書いてあるのは良く見るのだけれど、同じことだろうか。最近図像学から離れているので勘が戻らない。

ああだろうか、こうだろうか、と自問する私のモザイク解読。夫なんて、ばんばん飛ばし読み(注:「飛ばし読みなんかしていない」って「一番のファンなんだぞ」って怒っていた)。でも、驚くことに、このブログで一番アクセスが多いのが、古代ローマのモザイク解読なのだ。

きっと古代推理ファンがいるのね。たぶん、ネットには解説ばかりで、実際に行って考えた人の話がないのね。そういうことなら張り切ります。

この教会のアプシスのモザイクも、ベルニーニが17歳で作ったというG.B. Santoniのお墓も見逃したから、またローマに行かなくちゃならない。んん? これで最後だったんじゃない?
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2008年10月20日

モザイク@サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂 1−2

10月6日

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は何回もの増築改築を重ねた巨大な建物で、信仰の場としては重要だけれど、私たち普通の日本人にとっては、へきへきとしてしまう場所でしかない。

今回、敢えて赴いたのは、アプシスに残る13世紀のモザイクを見るためだった。列柱の上には5世紀のモザイクも残っているというのである。

しかし、中は真っ暗。列柱の上は闇の中で、アプシスもこの程度。

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おまけに、後から建造された大きな祭壇が邪魔している。がっかりしたけれど、FZ18で望遠で撮っておいて、修正したら、ここまで見えた。

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しかし、見えてみると、題材はマリアの戴冠で、イマイチ。洗練されたローマン・モザイクというけれど、私は泥臭いビザンチン・モザイクのほうが好きだ。

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そうそう、格好つけて、「写真は撮らないで心の眼で見よう」とか言う人がいる。そうのたまう人に心の眼があるかどうか大いに疑問だけれど、このモザイクはカメラの助けで見られたのだ。

モザイクは2階の廊下にもあって、ここは申し込むとガイド付きで見せてくれる。時間がないので、外から写真を撮った。

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この後期に作られたファサードの向こうに13世紀のモザイクが見える。

望遠で撮って画像処理をすると、このモザイクもはっきりと見ることができた。

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13世紀のモザイクだが、キリストの隈取の目(爆)や色彩はアプシスの[マリアの戴冠]よりビザンチンの色が濃い。

金の星がちらばる青い空、顔の横のICとXCのロゴ、神とキリストのみが使用できる十字の入った光輪など、ディテールは同じだ。手にしてい紙にはEGOからなる言葉が書いてあるが、たぶん、我は救い主なり、だと思う。

キリストの顔の横のICはギリシャ語のジーザスΙΗΣΟΥΣの最初と最後の文字。Sigma (Σ)はローマ字ではC。 XCはギリシャ語のキリスト (ΧΡΙΣΤΟΣ)の最初と最後の文字。同じくSigma (Σ)はローマ字ではC。

ここの廊下のモザイクは後から建造されたファサードのおかげか保存状態が良い。他にももいくつかモザイクが並んでいるようだから、今度また来るときがあったら、廊下に上がって近くからゆっくりと見たいと思った。(心の声:んん? 確か、最後のローマのはずでは?)

外の広場に出ると、今回の旅行で初めて雨がぱらついた。広場にはオベリスクが建っていて、その上には光輪をつけた大きい人と小さい人が載っていた。

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小さいほうはもちろんキリストで、大きいほうは聖クリストフォロスだと思う。キリストを肩に載せる聖人はこの人だけだ。

聖クリストフォロスは旅行者の守護聖人なので、雨が止むことをお願いして、急いで右側の道に入った。そこには今日のハイライト、サンタ・プラッセーデ教会のモザイクが私を待っている。

★このおかげで、帰るまで10日間、晴れ続けた。聖クリストフォロスさん、ありがとう。
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2008年10月18日

ローマ、バルベリーニ広場の2つの彫刻 (1−1)

2008年10月6日

日本人受けする一石彫の孤高(孤独)なミケランジェロより、私は寄せ石細工と言われようが、アトリエ作品と言われようが、ベルニーニが大好きだ。

彼の作品は1995年に[聖女テレサの法悦]、[福者ルドヴィカ]など、美術館と教会にあるものはほとんど見た。しかし、雑踏が苦手なため、有名な噴水をしっかりと見たことがなかった。

今回はK姉さんの予約したホテルがバルベリーニ広場に近かったので、初めて有名な[トリトーネの噴水]を見た。3方を道路に囲まれているため朝ごはん前に出動。

でも、トラフィックは少ないが、すでに搬入のトラックや客待ちのタクシーが並んでいて・・・雑然とした感じ。これではベルニーニの彫刻がかわいそうだ。

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LUMIXFZ18のおかげで近づかなくてもこのくらいは撮れる。でも・・・・4方をビルに囲まれたバルベニーニ広場は薄暗い。

残念に思っていたら、夕方に帰ってきたところ、ちょうど夕日が噴水に当たっていた。今度はサイバーショットで撮影。

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背景の建物が白くて像が映えること。信号の変わり目を狙うと車もいない。でもね、彫刻の真下におじさんがぽこっと入っているじゃないの! おじさん、ここに座ったって、カメラにはベルニーニさんの彫刻は写らないんだよ!

気を取り直して、周りのスリを警戒しながら次のシャッターチャンスを待った。ま、これで良しとしよう。

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台座に3匹の蜂がいる。これがスポンサーのバルベリーニ家の紋章。

もうひとつのベルニーニの彫刻、蜂の噴水を探すが、見当たらない。もしや、あの木の陰の白いものがそれ?

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こんなところにあったのでは、損傷を受けたのも当然だ。

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やっぱりベルニーニってデザインのセンスが抜群だと思う。

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よーく見ていたら、別荘のトラップにかかったスズメバチを思い出した。水が出てくる細い官もスズメバチの鋭い針に似ている。

バルベリーニ家は人々をいじめて繁栄したのだろうから、ミツバチじゃなくて憎たらしいスズメバチに決まっている、と思った。是庶民的僻み妄想

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ローマのブティック・ホテル、[モディりアーニ]

2008年10月6日

今までローマで泊まったのは、共和国広場に面したグランド(合計10泊位)と、語学学校のすぐ前の[ヴェネチア]だけで、もっぱらローマの東側の地区。今回は、K姉さんがバルベリーニ広場から入ったVia della Purificazioneにある[モディリアーニ]を選んでくれたおかげで、今まで歩いたことのない場所に気軽に行くことができた。

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[モディリアーニ]は23室のこぢんまりした新しいホテルで、[ヴェネチア]のように古い建物のまんま営業しているところと違って、防音がしっかりしていて、快適だった。

しかし、この規模ではおいしい朝食は期待できないだろうと思った。グランドを選ぶのはあの超贅沢な朝食のためだが、そこまではいかなくてもせめて[ヴェネチア]くらいは期待した。

そうしたら、朝食の質が良くて驚いた。無くてはならないカプチーノをさっと入れてくれる。 

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果物に飢えていたので、待っている間に黄桃をぺロリ。

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ヨーグルトは豊富だけれど、ダノン・ビオが無かった。

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しかし、ここだけでなく、イタリア中どこに行っても無かった。昨年のスペインではどこでもあったのに。

生ハムはないけれど、サラミは上質だった。

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さて、夕食はバルベリーニ広場近くの、K姉さんが昔、よく行ったところに行った。お姉さんの知り合いのローマ在住のおばさまが迎えに来てくれた。

一緒に歩きだすと、すぐに、「このあたりは危ないから気をつけてね」という。確か、このホテルをK姉さんに勧めたのはこのおばさまではなかったか。

おばさまは、ここで前から歩いてきた男にハンドバックを取られたのだという。窓から見ていた人が大声で叫んで、通行人がとっ捕まえてくれて、犯人はハンドバッグを放り出したのでセーフだった、という。詳細に語るおばさまに聞いてみた。「何時のことでしたの?」なんと20年前だという。

このとき、別荘の前を散歩で通る後期高齢者のカップルを思い出した。
「こんな高いものを植えると盗まれますよ。うちは買ったばかりの石楠花を盗まれました」
「こんな高いフェンスを置くと盗まれますよ。うちは街灯を盗まれました。電気コードまでごっそり」
「庭の道具はしまわないとだめですよ。うちは一式盗まれました」
すべて、15年前のことだった。

夫がよく、老人は昔のことを昨日みたいに語る、というけれど、ローマに住む先進的なおばさまでも同じなのね。



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