2008年12月28日

ホテル・ヴィッラ・グラヅィオーリC ディナー

ヴィッラ・グラヅィオーリはルレ・エ・シャトーの系列ホテルで、夕食代も込みになっている。

私たちのプランは二人で一泊480ユーロだった。ホテルはどうみても180ユーロが良いところの大きさだったから、300ユーロ分食べなければ元がとれないわけである。

朝食を50ユーロとすると250ユーロ。ひとり125ユーロ分は頑張ろうと意気込んだ。

いつもはカメラを持って行っても忘れて食べ初めてしまうが、今回は心して撮った。

オードブルは生ハムとメロン。

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シャンパンととても良くあっていた。ワインもタダだったので頼むと苦いワインを持ってきたので、替えてもらった。タダでも主張はしないとね。

次はパスタの中でいちばん高いオマールエビのパスタ

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ここまではおいしくいただけた。

メインはいちばん高い子羊の腿を頼んだらとんでもなくデカイのが来た。高いのは量が多いからであった。

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それでも子羊の腿を食べることはなかなか無いので一生懸命に食べた。お姉さんが頼んだ鴨がおいしくなかったので手伝ってもらった。

デザートは私はりんごのクレープ。パスタのように作ってある。

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デザートのために子羊をセーブしたのでおいしくいただけた。

お姉さんはパイナップルのカルパッチョ仕立て

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といっても、お姉さんはデザートを食べないので私がいただいた。

お姉さんはグラッパにした。むかしボローニャのレストランで残ったグラッパを壜ごともらってきた勢いはなかった。ふたりとも年を取った。でも、お互い一緒に旅行して一緒に食べる幸せを再確認した。125ユーロ分食べられたかどうかは問題ではなかった。
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2008年12月26日

ヴィッラ・グラヅィオーリ B 庭で

2008年10月10日 

ウィンブルドンに住んでいるお姉さんも、毎週山荘に通っている私も庭が好き。そして私たちにとって庭とは、草花を愛でるというより、ゆっくりと過ごす心地よい空間である。このヴィッラの前庭は絶好の場所だ。

部屋でお茶を沸かし、懺悔の昼食(朝食の余り物のこと)を済ませると、もうどこにも行かないで芝生で過ごすことにした。

館の左右に芝生が広がっている。

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良く見ると芝だけではなくてクローバーが多い。うちはオオバコが生えてしまうが、クローバーなら良いのになあ、と思う。

左側

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右側

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大きな樹って魅力的です。

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私はこの木陰で本を読んでいたのだけれど、この猫に邪魔され続け。

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太陽の少ないイギリスから来たお姉さんは日向でサングラスをかけて絵を描いている。猫は嫌いなので猫のほうも寄り付かない。

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描いているのはヴィラではなくてかぼちゃ。

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どこに行ったかと思ったら、塀の外を見ていた。

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お姉さんは老後のために水彩画を習い始めてはまっている。

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私が万が一未亡人になったらパステル画を描いて過ごしたいと思う。子供のころから絵は好きだった。

確かに塀の外のほうが絵心を誘うかもしれない。赤い屋根、もこもことした木々、畑の畝。

そんなに素朴なものが好きなら、何でヴィッラに泊まったの? というと、ここがルレ・エ・シャトーの系列で、ディナーがおいしいと言われるからだった。続く・・・
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ヴィッラ・グラヅィオーリ@フラスカーティ A建物内部

2008年10月10日 ヴィッラ・グラヅィオーリはきれいに修復されてホテルとして営業している。個々の部屋は小さいが、一階は全部がラウンジになっている。

入り口を入ったところの広いスペース。

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壁も床も新しく、ちょっとつまらない感じがするが、奥へ通じるドアは当時のものだ。

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古いシャンデリアが下がる落ち着いた読書室。このような部屋が5つから6つあった。

ペガサスが中央に描かれた天井画。その下の女性は何かのアレゴリーだろう。

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すてきな木組みの天井。

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天井画は傷付かずに残ることが多いが、修復もされているのだろう。

このように古びたまま残っている場所もある。

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トロンプ・ルーユで描かれている。

いちばん印象的だったのはこの部屋。

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古いシャンデリアの上の天井が黒く焦げている。

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このヴィッラは戦争中に爆撃で家を失ったフラスカーティの街の人々を招いて住まわせた。その時に火災を出した部屋である。

ホテルになっているが、市の管理下で10年かけて修復されたのにはそういう貢献が関係しているのかもしれないと思った。
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2008年12月25日

ヴィッラ・グラヅィオーリ@フラスカーティ @

2008年10月10日 フラスカーティとカステル・ガンドルフォの間にあるPark Hotel Villa Grazioliはカステッリ・ローマーニ地方を廻るのだから一泊はヴィッラに泊まりたいというK姉さんのリクエストだった。

簡素な門がこれから現れるヴィッラを想像させる。私たちの好みに合うかもしれない。

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常緑樹の暗い木立の向こうに塀があり、明るい木々が見えている。

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低木の植えられた大きな鉢が並んでいる。右側は温室だったのだろうか? 鉄骨だけになっているけれど、苗などが置かれている。ガーデナーの作業場だ。

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道はまっすぐ建物に通じている。開け放たれたドアの向こうに空が見える。

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写真で見た建物よりすてき。ホテルはこの建物がメインで、客室は両側の庭に面した建物にもある。でも、遠くローマを眺めるにはどうしてもこの建物に泊まらなくてはならない。

選んだいちばん安い料金でコンファームされたのは庭に面した部屋だったが、メールでどうしてもローマが見たい!と書いたら変えてくれた。

部屋はとても小さかった。でも、窓を開けると広々とした平野が広がっていた。低い丘からの眺めはのどかだ。

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屋根のタイルの愛らしいこと。

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しかし、ローマがどこにあるのかはわからなかった。たぶん薄い水色に煙るあたりだろう。

このあと庭に出たので時系列的にはちょっと間が空くが、夕焼けの様子。

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夕焼けは自然が描く水彩画。いつまで見ていても飽きない。

夜になると街の光が輝く。これもいつまでも眺めてしまう。

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このホテルに泊まってほんとうに良かったと思う一夜限りの贅沢な時間。
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2008年12月24日

アルドブランディーニのヴィッラ A庭と水の劇場

2008年10月10日 アルドブランディーニのヴィッラの正面はただ広いだけで美しいものは何もない。

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このヴィッラは現在、結婚式などのイヴェント会場として貸し出されていて、館内だけで300人、庭のテラスにテントを張ると1400人収容できる。その時のパーキングにはぴったりの場所といえる。

美しいものといえば左側の建物にからまる蔦の紅葉。

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庭へは右側から入れるようだった。

フラスカーティでも飲んだら心地よいだろう、と思われる木の下のテーブル。

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ここからも街の夜景が見晴らせただろう。

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私でも居心地が良さそうに感じられたヴィッラの一画。

その横には由緒ありげな噴水があった。ベルニーニの作だという。ベルニーニ作と称する噴水は多いが、法王の命令ならデザインくらいはちゃっちゃとしただろう。

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誰のために置いたのか鉄製のブランコがある。木が茂る前はもっと明るい場所だったかもしれない。

しかし、庭には何もなかった。水の無い噴水。

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ボックスウッドで囲まれたこの広い場所はハーブ園だったのだろうか?

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しかし、こちらのページをみたら面白い写真があった。ボックスウッドでもクレメンス8世のエンブレム、星と×印が形作られていたのだ。よおく見ると、手前が星の残骸。左は×印がまだ残っている。

こんな庭かあ、とがっかりする。咲くのはアジサイばかりだったようだ。

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太い曲がりくねった無骨な樹の向こうに建物が見える。

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まあ素敵! 半分も見えないが、これが水の劇場と呼ばれる建物だ。

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窪みに泉があるが、笛を吹くアポロンだろうか? フラスカーティの街はナチス・ドイツに占領されていたために爆撃を受け、多くのヴィッラが破壊された。その中でよく残ったと思う。

ヴィッラの裏側は表側より女性的な雰囲気だ。

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正面が逆光で撮れなくてがっかりしていたが、裏がこんなに美しく撮れて感激。欠点の裏には利点があるって、こういうこと。

このテラスにテントを張って結婚式の披露宴をやったら素晴らしいだろう。もっと近寄りたかったけれど、赤いテープが張ってあってさすがの私も入れなかった。

アルドブランディーニのヴィッラ @正面とテラス
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アルドブランディーニのヴィッラ @正面とテラス

2008年10月10日 アルドブランディーニのヴィッラ(Villa Aldobrandini)はカステッリ・ロマーニ地方に残るヴィッラの中で最も大きなものである。フラスカーティの街の広場に面した門から撮った写真が多いが、残念ながら車を降りることができなかった。(このページが多くの写真が載っていて詳しい)

庭だけは見ることができるというので入り口を探していると、横の大きな門が開いていて簡単に入ることができた。

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2段目のテラスはこれで右半分。リュウゼツランの鉢のあるところが中央で、両側にツゲの鉢が並ぶ。

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遠くにローマの街が見えるのだろう。真下のフラスカーティの町でさえ霞んでいるから、どんなに高い場所にあるか解る。

このテラスの下にはもう一段のテラスがある。憩いのテラスというより広い道。

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そして、両端で折り返して、急勾配の坂になる。

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さびた門の前に巨大なボックスウッドみたいに四角く刈られた木がある。これが並木道でフラスカーティの街の広場に面した門に至る。

緑のトンネルはテラスの上からみるとこういう風に見える。

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広場のオベリスクのなんと小さなこと。下界と上界の差が歴然としている。貴族は蟻んこのように見える庶民を見下ろしながら、自分たちだけ豪勢な生活をしてきて、21世紀になっても維持する金をたっぷり持っている。

この場所を選んで別荘を作ったのはヴォルテッラのお医者さんだが、豪勢な館に変わったのは16世紀末のこと、法王クレメンス8世がかわいがっていた甥っ子のイッポリート・アルドブランディーニ枢機卿にプレゼントしてからだ。

ヴィラの歴史をみると、法王が身内を超優遇して大富豪に育てていったことが良くわかる。庶民のお賽銭(爆)は川とは反対に上に流れていった。

野心家のイッポリート・アルドブランディー二は法王クレメンス8世のエンブレムをいたるところに残した。
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星と×印の2種類。星は最近作られたテラコッタの鉢にもあるが、驚いたのは、ツゲの刈り込みもこの2つの形だということ。顕示欲の塊。

アルドブランディーニのヴィッラ A 庭と水の劇場
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2008年12月17日

ティヴォリ、ハドリアヌス帝の別荘G ヴィーナスの小神殿

2008年10月9日 ハドリアヌス帝の別荘は広大で、予定していた2時間ではとても回れそうにもなかった。海の劇場を大急ぎで通り抜け、北東を流れる川に面したテムペーのテラス(Terazza di Tempe)を抜け、ヴィーナスの小神殿(Tempietto di Venere)を目指した。

この北東のあたりは開けていて明るい場所だ。
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アッパークラスの住居などもあって美しい場所だったと思うが、建物の基礎しか残っていない原っぱが多い。皇帝の宮殿も北東の広々とした平野と川が望める高台の縁にに立っていた。

ヴィーナスの小神殿は丸い建物だが、復元された柱はその6分の1くらいだろうか。 右の木の茂っているところにも列柱があったわけだ。遠くに平野の向こうの山並みが見える。

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ヴィーナスはこの真ん中にいる。

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ハドリアヌス帝が作らせた彫刻は世界各地の逸品のコピーだが、このヴィーナスもPraxiteles が紀元前350年に制作したクニドス(Knidos)のアフロディテのコピー(の復元版)である。

ハドリアヌス帝のセンスに感心するのは、これが世界で初めての女性のヌード彫刻であることだ。ギリシャには行きたいと思っているけれど、結局は行けないかもしれない。だから、その片鱗だけでも味わうことができて嬉しかった。

時間が迫ってきてギリシャ劇場は見られないと思ったら、そこは雑草の生い茂る工事現場みたいなところで、まだ整備されていなかった。

1999年に世界遺産になったハドリアヌスの別荘は今も修復工事がすすめられている。いつになっても終わらないかもしれないと思うくらい広い場所で、タイのスコータイの遺跡を思い出した。あのときはスコータイに2泊してゆっくりと回った。また来ることがあったら(来ないと思うけれど)この北東の部分をゆっくりと回りたいと思う。
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2008年12月16日

ティヴォリ、ハドリアヌス帝の別荘F 消防士の宿舎、倉庫

2008年10月9日 ハドリアヌス帝の別荘地では残っている建物が少ない。だから、このように立派な建物(の残骸)があると皇帝のお住まいかと思ってしまうが、消防士の宿舎である。

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場所はポイキレに面したところで、遠くからでも良く見える。

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同じようにこの大きな建物も遠くから目を引く。

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この大きな四角い建物は倉庫だったといわれる。皇帝の宮殿やアッパークラスの住居ばかりではなく、倉庫や消防士の宿舎も立派に整備されている。こういう所を見ると、ここは別荘というより街であったと改めて感じる。
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2008年12月11日

ティヴォリ、ハドリアヌス帝の別荘E 美しい冬の宮殿跡

2008年10月9日 ハドリアヌス帝の別荘の中で一番魅力的だと思ったのはここだった。

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小高い丘の上なので遠くの山も見渡せる。青空の美しい日だった。

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ここはPeshiera(Fishpond)と呼ばれていて、地歩では養魚池と書いてあるが、実際はこの池のある建物全体を指す。左に残る大きな壁がその建物の外壁だ。建物は反対側の南にあるスタジアムを見下ろしている。大きな壁が残っていて堅固に造られたということが解る。

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ここには各室に暖房設備があったので、皇帝の冬の住居であったと思われる。もしかしたら、一年中ここに住んでいたのかもしれない。

というのは、列柱などの装飾が繊細で美しいからである。

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確かに有名なカノプスの池は魅力的だけれど陰気だ。セラピスの神殿も辛気臭い。この冬の宮殿の開けて明るい場所にある池のほうが私は好き。今の高級リゾート地の造りと通じるものがある。
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2008年12月09日

ティヴォリ、ハドリアヌス帝の別荘D 小浴場と大浴場群

2008年10月9日 小浴場は部屋が小さくて仕切りがあったためか全体の形が残っている。いかにもお風呂という感じだ。

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手前の溝を良く見てみよう。

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排水口かニンフェウムのようだが、これは使用人の通る通路である。このような地下通路が全体に張り巡らされている。私は閉所恐怖症なのでぞっとする。超差別的な街づくりだ。

大浴場はたくさんあるが、半円ドームがかろうじて残っている程度だ。この場所は解りやすい。

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こちらはドーリア式の柱が残っている(或いは復元されている)。

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列柱で支えられた大きな浴場だったと思われる。

ぽっかりと空いた穴の形がシュールだ。

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私の好きな写真。

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柱は外にも立っているから、大きな浴場だったのだろう。

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もちろん、この柱の上には天井があったわけだ。

開放部からは外の木が見える。この下はニンフェウムのように見えるが、建物の壁の下だけが残ったのかもしれない。

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この写真も好き。別にこのアングルを狙ったわけではない。もろ逆光なのでこれ以上外にカメラを出せなかった。

いつも思う。遺跡ってむりやり美しいと思わなければタダの瓦礫だって。
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2008年12月08日

ティヴォリ、ハドリアヌス帝の別荘C 太陽暖房付き浴場

2008年10月9日 

この建物はハドリアヌス帝の多くの浴場の中で最も古いものである。

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場所は共和国ヴィラの中なので、たぶん一般人ではなくて上流階級が使った浴場である。

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ドームに見える穴は空気抜きではなくて、ここには輝石などの装飾があったのだと思う。他の浴場にはこういうものは無かった。

さらにこの浴場にはHeliocaminusヘリオカミヌスが付いていたという。何だろうと思って調べたら、太陽暖房のことだった。そうそう、ギリシャの太陽の神はヘリオスである。

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Heliocaminusヘリオカミヌス付きの部屋はギリシャでも既にあった。しかし、[南に面した部屋]というくらいのものだった。ここハドリアヌス帝では開放部をガラスと雲母で覆って温室のようにしたのだ。だから、ギリシャよりずっとずっと暖かかったと思われる。

皇帝や上流階級のためとはいえ、2000年前にそういう技術や考え方が存在したのは凄いと思う。
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2008年12月05日

ティヴォリ、ハドリアヌス帝の別荘B ポイキレ

2008年10月9日 ポイキレは入り口からすぐの長い壁の内側の広大な場所の名で、中心には大きな長方形の池がある。

消防士の宿舎から見渡した写真だが、池は左の隅に見える。

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この光景を見たとき、空いているところに樹木を植えて公園にしたのかと思ったが、違った。もともと池のまわりは庭であった。

さて、この長い塀だが、なぜ敷地の真ん中にあるのだろうと、思った。調べてみると、これは塀ではなくて、ポルティコの外側の部分だった。

長さ232メートルの長いポルティコがなぜ造られたのか。 

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模型を見て解ったのだか、当時はポルティコは池をぐるっと周って同じものが向こう側にも建っていた。

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ここを全部歩くと1450フィート、429メートルになる。

これが、医者が食後に薦めたウォーキングの長さなのだ。古代ローマの人はなんと健康に気を使っていたのだろうと感心する。ハドリアヌス帝は62歳まで生きた。

右側の木の下に、ポルティコの列柱の跡が点々と残っている。

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奥にポルティコへ下る階段が見える。

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階段を登った左側に皇帝の食堂があり、このエリアは客室などのアッパークラスの社交的な地域だ。

そうそう、ポイキレという名前である。私ははじめ池のことかと思ったら、このポルティコのことだった。

じゃあ、ギリシア語ではポルティコのことをポイキレというのかというと、これも違った。ポイキレとは古代ギリシャ語でpainted,絵の描かれた、という形容詞。ポルティコはストアである。

ハドリアヌス帝はギリシャのアゴラにあった憧れのストア・ポイキレ(Painted Portico)をティヴォリに造ったのである。そして、壁のフレスコ画が消えてしまったのに、ポイキレという言葉が残っているわけ。

では、ハドリアヌス君はアゴラのストア・ポイキレの何に憧れたかのか? たぶん、アゴラのポルティコの絵の素晴らしさだろう。でも、このポルティコ(ストア)で哲学を教えた有名な哲学者に憧れたのかもしれない。

この哲学者たちはストア派と呼ばれる。現在もストイックという言葉として残っているが、そのストアとは古代ギリシャ語でポルティコという意味なのである。

この写真は庭側から撮ったものだが、オリーヴの木の向こうにポルティコの入り口が見える。そして、半分隠れた丸い建物、これは哲学者の間なのだ。哲学尊重の姿勢が見えるではないか。

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このあたりにはギリシャ語図書館、ラテン語図書館もあり、ハドリアヌス帝は知的な人だったかもしれないと思う。スペイン人は勉強家だし。

言語の成り立ちにはとても興味があるのでしつこいけれど、ここまで調べるとやっと面白くなる。
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ティヴォリ、ハドリアヌス帝の別荘A カノプスとセラピス神殿

2008年10月9日 カノプスはハドリアヌス帝の別荘の南の端にある。直線距離では1キロだが、あちらを見たりこちらを見たりして丘の上から歩いて来たので1時間かかった。

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遺跡は重要だけれど、松の緑と芝生の緑の中、植えられたばかりの紅葉の赤にほっとしたりする。カノプスがこの右下に見えてきた。

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奥にカリアティッドが並んでいるのが見える。この像はコピーだろうが、博物館に本物があるとはいえ、元々あった場所に復元されたコピーを見るほうが好きだ。

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逆光です。

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ひとつのカリアティッドを拡大してみると、

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プールに映る姿のなんと美しいこと。

このカリアティッドが目的だったので、いろいろな角度からじっくりと見る。

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カリアティッドはもちろん屋根を支えていたわけで、ここにはパーゴラがあった。プールがあり、滝もあるカノプスは夏に食事をする場所ではなかったかと思われる。

カノプスとは、エジプトのアレキサンドリアの近くにある街の名前で、ここにはナイルの支流を引いた運河がある。この長い広いプールのような池はそれを模したものである。

池の北端には曲線的なポルティコがある。

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右手前に列柱の跡がが残っている。こちら側にもパーゴラとかポルティコがあったのかもしれない。

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彫刻はアレスと傷ついた2人のアマゾン。ギリシャの彫刻のコピーである。私はエルメスかと思ったが、確かに盾を持っているし軍神アレスなんだろう。もっとも、エルメスと書いている著者もいる。

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私は男性の体の中で一番魅力的なのはお尻だと思う。惚れ惚れするようなお尻だ。

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重心を右足にかけてなよっとしたところなど、ミケランジェロのダヴィデに通じるものがあり、男性をも女性をも魅了する。

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前から見ると、足はそれほどなよっとしていない。むしろマッチョな感じだ。でも、正面から見ると、いつも興ざめする。何故かしら?

カリアティッドの後ろ側を歩く。

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横から見ても美しい。

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良く見ると、ドレスを着た女性だけではなかった。上半身裸で籠を頭に載せた女性(使用人とか)もいる。

さて、重要なのがこの後ろに見える半円形ドームの建物。建築用語ではエクセドラというが、前方に列柱があって、庭や表に面するように開放されている。ここハドリアヌス帝の別荘にはエクセドラが多くあるが、このように列柱が残っているのも(復元されたのかもしれないが)は少ない。

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なぜ、この半円形ドーム、エクセドラが重要かというと、これが現在のバジリカや教会のアプスの原型だからだ。壊れてしまっているが、横には祈りのための小部屋が多くあったようで、それが現在の礼拝堂に繋がるのではないかと思う。

もちろん、このエクセドラにも祈りの対象が祀られていた。セラピス神殿だった。

ハドリアヌス帝はカノプスにあるセラピス神殿を模した。つまり、ここがカノプスと呼ばれるのは、カノプス運河に見立てた池に由来するのではなく、有名なセラピス神殿のあった街の名だからだと思う。

この別荘の敷地内にある神殿は北のヴィーナス神殿とこのセラピス神殿の2つで、ヴィーナスなら解るが、なぜ、よりによってセラピス神というエジプトの神を選んだのだろう。素朴な疑問がわく。

それで、調べてみると、セラピス信仰というのは1世紀に生まれて4世紀にテオドシウス帝から禁止命令が出されるまでは絶大なカルトだった。

なぜ、テオドシウス帝がこれを禁止して神殿を破壊したかというと、キリスト教を広げるためである。つまり、破壊しなければならないほど強力なカルトだったからだ。

ハドリアヌスはこのことを手紙によって知らされていたが、そこには、キリストとセラピスが混同されて信仰の対象になっているアレクサンドリアの事情が書いてあった。

セラピスは現在のセラピストという名詞に通じるので癒しの役目もあり、それだから、民衆が熱狂したのだと思う。

セラピスという名前についてはセラという女性とアピスという聖牛のあいのこだとか、いろいろ説明があるが、一番納得できたのはこれである。

セラピスはエジプトの神オシリスとエジプトの聖牛アピスの混合神である。オシリスはエジプトの言葉でAserという。アピスはhapiである。これを繋げるとAser-hapiアセラピとなる。これがSerapisセラピスとなった。なぜこのような混合神が作られたかというと、上下エジプト全域で崇拝される対象が必要だったからで、これが大ヒットしたわけだ。

セラピスはエジプトの神としてはアピスの牛の顔をしているが、ギリシャでは動物の顔を持つ人物像は嫌われるので、ひげの男の顔である。オシリス由来の特徴は冥界の支配者を現す二股の王笏と、ギリシャ神話のハデスの犬セルベウスと同じ犬を従えているところ。残念ながら、この像はハドリアヌス帝には残っていない。

エジプトの神をこれ以上深く調べる気はないが、なぜ、こんな冥界の王のおっさんが一世紀には古代ローマにやってきて流行ったのだろう、と疑問に思う。上下エジプトを統合する神として現地で流行ったのは解るが。

それで、調べると、セラピスの妻はイシス(オシリスの妻なので自動的に)であった。宗教は、キリスト教でも爆発的な人気が出たのはマリア信仰によるものだった。セラピスは美しい妻のおかげで成功したのだろう。二人は一緒に古代ローマに進出したのである。まだキリストというライバルの力が弱い時代だった。

ローマに受け入れられるためには、ゼウスが雄牛にも変身することから、聖牛アピスをゼウスに見立ててエジプトとギリシャの融合神としたのも良かったかもしれない。

2008年10月16日 212.jpg

ハドリアヌス帝の別荘で出合った人たちの80%(といっても十数人)はこの池の周りで休んでいた。昔、この水辺の緑陰が憩いの場所であったことが感じられた。

ハドリアヌス帝の小さなセラピス神殿の残骸だけで、これだけ楽しめてしまった。旅行自体はもちろん楽しいが、そのあとで知的探検旅行をすると、思い出も意味を増してきて、とても楽しい。
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posted by iconologist at 12:39| Comment(0) | '08 ティヴォリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月04日

ティヴォリ、ハドリアヌス帝の別荘 @

2008年10月9日 午前中にエステ家の別荘(Villa d'Este)を見て、食事をしてからハドリアヌス帝の別荘(Villa Adirana)に着いた。門から遺跡らしきものがある所まですでにハイキングコースのように木が茂っている。長いに開いた入り口を入るとそこは広大な公園が広がっていた。

2008年10月16日 159.jpg

2008年10月16日 171.jpg

別荘なのになんでこんなに広いのだろう。こんなに広いのになぜ別荘と呼ぶのだろう。同じ質問が何度も頭に浮かんだ。

世界遺産だし、余力があったら来てみようと思っていたから、ガイドブックは[地歩]だけだった。疑問だらけの中歩き回って、鑑識が現場写真を撮って帰ってきて調べるように家で調べたら、疑問が解けて、やっと、面白いものを見たのだと解った。

まず、ここは別荘ではない。街である。ハドリアヌス帝はスペイン人で、トラヤヌス帝の死後にローマにやってきたので、お友達がひとりもいなかった。そこでここに街を造ったのだった。ローマ皇帝なので、ローマが本宅でこちらが別荘となっているが、ほとんどここで過ごしていた。

次の疑問は、ポイキレ、カノプスというような訳のわからない言葉。カノプスはエジプトの地名で、ポイキレはアテネにあるストア・ポイキレを模したので付けたものだった。

ハドリアヌス帝はローマが嫌いで、外地ばかり訪問していて自分の見た素晴らしいものをここで再現したのである。だから、統一感がないのは当然だった。

そうやって調べてみると、初めの写真の塀と思ったものは塀ではなくて、ダブル・ポルティコの外側の部分だった。内側のプールに面したほうには列柱があったわけだが、全部壊れて、外側の堅固な部分だけが残った形だった。

何も無いと思ったところも、良く見ると家の基礎の石があり、ここに小家屋がぎっしりと建っていたことがわかる。


私は有名なカリアティッドの並ぶカノプスをどうしても見たかったので、一番奥まで急いで歩いた。

2008年10月16日 196.jpg

ここはここで素敵だったけれど、知識があったらもっと細かく見たと思われる場所をざっとしかまわれなかった。 

ハドリアヌス帝の別荘は一日かけて手元にガイドブックを持って見ないと面白くないと思う。今度はもっと事前に勉強して、ノートを作ってきて見ようと思う。

世界遺産なのに、団体客はゼロ。個人も2時間歩いて10組くらいだったろうか。これからもっと整備されるだろうが、説明のボードが現場に置かれたらいいのにと思う。

ハドリアヌス帝の別荘の目次

A カリアティッドの並ぶカノプス
B 広大なポイキレは何だったか?
C 太陽暖房付き浴場
D 大浴場、小浴場
E 列柱で囲まれたプールのある館、皇帝のウィンター・パレス
F 消防士の宿舎、大きな倉庫、
G ヴィーナスの小神殿
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posted by iconologist at 10:55| Comment(0) | '08 ティヴォリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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