2011年12月26日

10 カピトリウム@オスティア・アンティーカの遺跡

オスティア・アンティーカは河の氾濫によって消滅した街なので、ほとんどは土台と壁の一部しか残っていない。

だから、急にこのような立派な建物が現れると驚く。
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現代の議事堂の建物のように広い階段がついている。

私は疑い深いので、劇場と同じように修復された新しいものかと思ってしまう。
でも、正真正銘の(爆)な瓦礫である。
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手前の広場の両横には列柱がある。
階段の上の柱は特に太い。これは建物の上まで伸びていたと思われる。

ここは公共の建物が集まる中心部。FORO。

隣にはCURIAがあった。(CVRIAとラテン語の表示がある)

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CURIAとは評議会、あるいはトリビューンのようなもの。
このFOROが市制の中心であったことは間違いない。 


カピトリウムは神殿で、祭られていたのがゼウスとユノの夫妻とミネルヴァの3名だから、この街一番の荘厳な神殿であったと思われる。

ちなみに、道を挟んで反対側にはアウグストとローマ(ローマの女神)の神殿があるが、ずっと小さい。

このローマの彫像は幸いにも現場で発見された。

もちろん、ゼウスもユノもミネルヴァもすばらしい彫刻で祭られていたはずだが、残ってはいない。

斜め前から見たカピトリウム。
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白い柱はこの神殿前のテラスの屋根を支えていたものだという。

横には3つの窓の模様のようなものがある。装飾だったのか、何だったのか。
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カピトリウムは全体がレンガでできている。
これは1分後の写真だから、たぶん、近くだったと思うが、
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とても繊細な仕事だ。

こういう古代の建築がちゃんと立っているのを見ると不思議な感じがする。

2000年前のオスティアの人々と同じように階段を登る自分が不思議な感じがする。

2011年12月21日

9 交易人組合の広場@オスティア・アンティーカ Part II

Part IIに続いてモザイクの検証。

象牙のトレーダー
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テキストによると、リビアからの輸入


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奥の下段のモザイクは消滅している。

これを見てもわかるように、当初は区分けはされていなかったかもしれない。
後ろの壁と手前の柱がポルティコを造っていて、後にダブル・ポルティコになったのかもしれない。

2隻の船
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NAVIC TVRRITANIのTURRITANはサルデーニャの港町の名前
そういえば、サルデーニャってイタリアとアフリカの中間にあるんだった。

損傷がひどくて解読の難しいモザイク。字によると犬や馬がいたはずだという。
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クロスは初期キリスト教の要素だという。卍もある。卍はもともと吉兆。

船と2つの穀物の秤。樽のようなものだ。
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船と灯台
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2匹の、いるかと灯台らしきもの。粗雑なモザイク。
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テキストにあるハートの葉のもようは初期キリスト教の要素

灯台と2隻の船とドルフィン
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灯台が崩れている。おそらく、雑草が生えたのだ。

右下の雑草もいずれモザイクを壊す。
グリホエースを撒いてきたかった!

2隻の船
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3匹の魚、2本のなつめ椰子の木。壺。
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テキストにはアルジェリアの地名が書かれている。

海馬に座るネレイド
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ドルフィン
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いるかいないかいないかいるか、あああ、疲れてきた。

狩のシーン。雄牛を槍で仕留めようとしている男。上は木の枝の模様か。
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これは商業とは関係のない模様で、西側のモザイクにいくつか見られる。

こちらも商業とは関係のない模様。入り口近くだからだろうか。
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海馬に座るネレイド。第一回目の改築(嵩上げ)の時期に造られた。

こちらも同じく、商業と関係ない幾何学もよう。
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奥の美しい飾りの縁の下には鹿とアルテミス(ディアナ)が描かれているのだけれど・・
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アルテミスの頭しか見えない。
角度が悪かったのか、それとも損傷したのか・・

イタリアは財政難だから、オスティア・アンティーカのモザイクの修復なんて後回しになるんだろう。
だから、早く写真を撮らなくちゃ。

4年もたってしまって、心配だが、3月にはもっと細かいディテールまで撮りたいな。
posted by iconologist at 16:16| '06 ミラノと北イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月18日

8交易人組合の広場@オスティア・アンティーカ Part I

Piazzale delle Corporazioniは交易人組合という日本語になっているのでので使ったが、実際に組合があったかどうかはわからないので、Corporationという広義の単語がよいと思う。
劇場の裏側にある広大な広場である。同じ時期に一体として建造された。
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松林のある中央部は、当時は彫像などのある庭のような場所であった。
(ケレス神の祭壇は後世に造られた)

その3辺にポルティコのある歩道があってモザイクが残っている。
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左側は区分けされた区画でここにも個性的なモザイク画が残っている。
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後にパーティションとして木の壁が造られたようだが、建設当初はどのようだったのか、また、何のために造られたかはまだ解明されていない。

日本のサイトでは交易人の事務所だと書いてあったが、裕福な交易人の事務所としては区画はごく小さく、モザイクも粗末である。商業活動の場とは想像できなかった。

この広場は劇場の横幅とおなじで観客席から見渡せるように造られている。
庭を囲む形になっているから、人が集まって楽しむ夜店のような場所だったとすれば納得がいく。
(ちなみに、他の人は誰もそんなこと言ってません! 参考にしないように)

これからひとつひとつ見ていくモザイクには確かに交易の品や船や所有者の名前などが書かれているが、宣伝あるいは寄付の見返りかもしれない。

区画は約60ある。東側から見ていく。

字だけが書かれたモザイク。
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上の2行は名前で、下はSTUPPATORES、ロープ用の麻紐のトレーダー

2隻の船と灯台らしきもの
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文字 LIGNARIORVMから木材トレーダー

穀物を計る樽と男。右手のしゃもじのような物が何かは不明。
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穀物の計り(measure) 
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形はそれぞれ多少異なるが、多くのモザイクに描かれている。
当時の貿易の中心は穀物だったのだろう。

2匹のドルフィン。といってもドルフィンを食べたのではなく、海のイメージだと思う。
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奥の幾何学模様
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前後の模様が異なる。この広場は2度に渡って嵩上げされている。
奥の幾何学模様のほうが古い。

繊細なモザイク。2隻の船の帆がくっきりと描かれている。
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2匹の魚、中央は塔か。テキストにはカルタゴ近くの都市の名前が記されている。

3匹のいるか。ひとつにはアモールが乗っている。
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上の2つの丸の中には女性が描かれている。

シチリアのカザーレ荘のモザイクでは女性の年齢で四季を表していた。
そうとも思えるが、2つだからなあ。

右の女性は高いシニョンが消防士の宿舎のモザイクにあったアフリカの女性に似ている。
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いるか。
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続く

2011年12月07日

7 ロームルスとレムスの祭壇@オスティア・アンティーカ

これはオスティア・アンティーカで出合った最も素晴らしい美術品。
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場所は交易人組合の広場近くで、壁の残骸の中。

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後ろの壁に掲げられたサイン
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これだけしか、手がかりがないので、じーっと見ると、わかった。
ここは[ロームルスとレムスの祭壇のあるチャペル]の跡だ。

なるほど、ローマ誕生の物語が描かれている。
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メス狼に育てられる双子の有名なシーン。
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このメス狼は優しく双子のほうを向いている。
右下に寝そべっているのはテベレ川の精、ティベリウスだ。葦を持っている。
双子が捨てられたのがテベレ川岸。

では、上は成人してからのロームルスとレムス
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杖を持っているが、羊飼いとして育てられたからだろうか?

いや、それにしてはこの歩幅が広すぎる。
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私は杉下右京さんと同じく、小さなことが気になる。
となると、自分たちの王国を造るべく父の元を出たときではないだろうか。

さらに、二人の目線が左側の鷲に注がれていることに注目した。
鷲はゼウスの持物で、神の使いであるが、なぜここにいるのか?

調べると、ロームルスとレムスはどこに国を作るかという点で対立する。
ロームルスはパラティーノの丘、レムスはアヴェンティーノの丘を主張する。

その決め手となったのが、神の使いである鷲の数で、レムスには6羽の鷲が舞い降りたのに対し、ロームルスには12羽の鷲が舞い降りた。
ということで、二人の目線の先に鷲が描かれたのだ。

となると、鷲の後ろはパラティーノの丘だ。
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そして、その上の人物はパラティーノの象徴。
右下のティベリウスと対称の位置にある。

次に注目したのはこのレリーフ。
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リボンで飾られていることから祝宴である。
女性と男性がいるので結婚式だと思われる。

注目したのはこの兜、軍神マールスのものだ。
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となると、隣の女性はヴィーナスということになる。
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右に息子のエロスがいるし・・

この祭壇は現在はローマの美術館にあって、そこでもタイトルは[マールスとヴィーナス]になっている。
でも、なぜ、ロームルスとレムスの祭壇に彼らがいるのだろう。

調べてみると、ロームルスとレムスの父親は軍神マールスなのであった。
にわかに信じがたいが・・・

でも、母親はヴィーナスではなく、巫女のレア・シルウィアなのである。

レア・シルウィアとマールスの結婚を題材にした絵もあるが、後世のものだ。
当時はやはり、軍神マールスのお相手はヴィーナスでなければ格好がつかなかったのだろう。

そうなると、このレリーフの意味もわかる。
2008年10月16日 461 - コピー.jpgいたずら天使たちがマールスの馬車(下に輪が見える)や持物で遊んでいるところだ。

では、こちらのレリーフは何を表しているのか?
天使たちはいるが、いたずらしている雰囲気ではない。
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リボンはあるけれど華やかという感じでもなく・・

そこで注目したのがこの斜めになった甲冑
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頭や脚は見えないが、3人の天使が持ち上げているから遺体である。

左の天使が棒で遺体を差しているように見えるが、棒ではなくて天国との境界だと思う。
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となると、右の2人の天使が掲げているメダルのようなものは、神格化へのお墨付きか。

調べてみると、優れた軍人であったロームルス王の最後は秘密のベールに包まれている。
歴史学者は暗殺されたと書いているが、当時は突然姿を消し、神となったことになっている。

ということで、4枚のレリーフが両親の結婚から誕生、成人、死まですべてロームルスとレムスに関わったものであったと解った。

野に置かれたレリーフには説明がないが、こうして写真を撮ってくることができ、後から調べれば、かなりわかる。

久しぶりに解読を楽しめて、今日はとてもよい気分だ。

美術館に行っても、ここまでの解読は書いてないわよ(鼻息)。
解釈が間違っているかもしれないけれど、私は100%自由人だからOK。

2011年12月06日

5 劇場とケレス神殿@オスティア・アンティーカ

夏には音楽祭が開かれる劇場の外観は新しく立派なものだった。

中央のメイン・エントランスから入るとこのような光景が広がっていた。
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ギリシャ劇場ではたいてい背景に白い列柱があるが、ここから見える列柱は劇場の一部ではない。
ケレス神殿(ケレス=CERERE=デメテル)の柱で、中央の入り口を入ると正面に祭壇がある。

それで、この記事の題にふたつを並べた。
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もちろん、この柱の上には神殿の屋根があったのだ。
もちろん、当時はこんな松林はなかったと思うが、劇場の背景としては完璧だ。

斜めから見たところ。
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細長いところが舞台で、木製の床があったという。

古い壁が一部で残っている。上にあるのは仮面劇のお面。
2008年10月16日 458.jpg前からここにあったかは知らない。

階段席の一番下の白い大理石製の3段は貴賓席である。
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もっともこの貴賓席を含め階段席のほとんどが新しく造られたものだ。
オリジナルは3つしか残っていなかった。

でも、オリジナルでなくても、この美しいフォルムは素晴らしい景観だし、古代を味わうことができる。
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古代遺跡の中で一番好きなのが劇場だが、この広がりが魅力なのかもしれない。

緑色の草の生えているところはオーケストラ・ボックスだが、水中競技(水球とかなんかでしょうか?)が流行ると、ここはプールとしても使われたという。
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水は中央の入り口から通路にパイプを通して入れたという。

真っ直ぐオーケストラ・ボックスに通じるメイン・エントランスというのは意外に他に無いものらしい。
普通は側面に2箇所あるのだそうだ。
今までそんなこと気づかなかったけれど、今度、ちゃんと見てみよう。

それにしても、古代のオスティアの街に3500人から4000人を収容する劇場があったということはその繁栄を雄弁に物語るものだった。



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