2012年01月13日

15 計量職人(Mensores)たちのホールのモザイク@オスティア・アンティーカ遺跡

ポルタ・マリーナに続く道を戻ると、左側は何もなさそうな野原が広がっていた。
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右手の木々の辺りが三叉路から西に伸びる道だろう。

遠くまで行くことが、まずは目的なので、この道を行く。
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草に覆われているので細い道に見えるが、ずうっと続いている。
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また広い石畳になってきた。
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奥の木立を目標に歩いた。

ううむ、美しいファサードが現れてしまった。
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ここは共和国を讃える神々を祭った神殿群があったところで、ヘルメスもその神の一人だ。
でも、中に入る時間はない。

そうしたら、広い空間にモザイクが現れた。
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Mensores、計量職人たちのホールという場所だ。

オスティアの貿易の中心である穀物の計量作業がはっきりとわかるモザイクは貴重だ。

左側には穀物の袋を担ぐ奴隷が描かれている。
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背の小さい人物が枝のようなものを下げている。絵画上のサイズで子供ではない。
これは枝葉ではなく、穀物の袋についていた木札で、9つある。

モザイクには余計なものは描かれていないので、9という数字に意味がある。
9袋で計量器がいっぱいになったと思われる。

右側は計量器と計量職人たち。左の男が持っているのも棍棒ではなく、計量道具だ。
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組合広場に多く描かれていた計量器の実寸がこれでわかる。

穀物の袋9個分にしてはまだ小さく描かれているかもしれない。

さて、面白いのが上に書かれている文字だ。

V・・・SEXHAGIHIと読める。
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SEXはみんなの好きなセックスではなく、古代ローマの単位SEXTARIUS(SEXと省略)である。
1パイントに相当する。

となるとその前にあるVはローマ数字の5で、
消えているところに100を表すC・・か1000を表すM・・があったと思われる。

一袋でも400〜430セクスタリあるのだから。
500セクスタリでは中途半端だから、VMSEX、5000セクスタリ。

ジェラール・ミノーの解読では、
H(odie)
AGI(tata)
Hi(c) というラテン語に相当する。

HODIEはカンタータの題でもある、THIS DAY
AGITATAは、成し遂げた
HICは、此処。 vos es hicがYou are hereである。フランス語の此処はiciで近い。


全体的には、[今日ここで5000セクスタリを成し遂げた]



2012年01月06日

14[図像学的ディテール]アスリートの部屋@海の門のテルメ@オスティア・アンティーカ

13 アスリートの部屋の中央にある台。
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上にあるものから見ていくと、勝者に与えられる冠、棕櫚の葉

棕櫚の葉は右側にもある。立てかけてあるフープも見える。

さて、このフープが立てかけてある彫像から見ていく。これはHERMである。
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HERMというと、HERMESを連想させるが、それにかなり近い。
しかし、旅人などの守り神として翼のついた靴を履くエルメスより古い時代のものだ。

HERMとは語源的には長方形の柱のことで、十字路に立てられる指標であった。
そして、この顔はHERMESなのだが、若い男性ではなくひげのある老人の顔をしている。

HERMにはあるべき位置に男根が描かれているのだが、目をこらしてもこのモザイクには見あたらない。
エルメスは昔は男根崇拝の対象で、HERMの男根には常にオリーブ油が塗られていたという。

HERMは競技場の絵にも描かれていた記憶があるが、競技とどういう関係があるのかはわからない。

中央のテーブルの下には3つの興味深いものがある。
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皮のボール、壷、3つの鉤のようなものがついた輪。

まずは、皮のボール。これをBUCKY-BALlだという人もいる。

現代のサッカーボールも黄金率の5角形と6角形が用いられている。

しかし、中央下の5角形らしきものは崩れた6角形の下の部分が隠れているからだと思う。


3つの鉤のようなものはSTRIGILという。

絵ではデフォルメされていて大きいが、実際はこの右の二人の男が持っているものだ。
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鉤のように見えるが、STRIGILは体をこするものなので、先端は平らである。

3つがセットになっているが、実際は大小がある。体の部分によって使い分けるからだ。

となると、前の写真のテーブルの下にある壷には油が入っていなければならない。

石鹸ができる前は、油を塗ってこのSTRIGILで汚れを擦り取って体をきれいにしていた。

化粧を落とすためのオイル・クレンジングと同じ方法である。

大急ぎで撮ってきた写真を詳しく見ていくと面白い発見がある。
これが私の冬の楽しみだ。

2012年01月05日

13 アスリートの部屋@海の門のテルメ@オスティア・アンティーカ

海の門のテルメの床モザイクのうち、当時のようすを最もよく伝えるのが、アスリートたちのモザイクだ。

多くの浴場には必ずアスリートたちの部屋があった。

スポーツ・ジムのようなものだが、現在のジムとは違って自由にトレーニングをする場所ではなく、体育教室があり、競技も行われた場所であった。

ちなみにこのスポーツ・ジムの伝統は、トルコには引き継がれなかった。

この人は円盤を投げるところ。
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屋外の競技場の絵にも必ず描かれるトランペッター。
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でも、この人は競技の開始を告げる役ではない。

なぜかというと、冠をつけているから。5本も針がある豪華な冠。
彼自身も音楽の競技の勝者なのであった。衣装も豪華だ。

小さなダンベルを持つ人はトレーニング中なのか、
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これを持って幅跳びをしたのではないかという見解もある。

右上の横向きの人たちは運動はしていない。
手に鉤のようなものを下げている。Strigil(次の回にまとめて説明する)。

面白いのはこの3人。
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両手を挙げているのが勝者である。

右側がレフリーで、敗者が抗議をしているところ。
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部屋のぐるりに描かれたアスリートたちはもっと大勢いるが、壊れていて何をしているところか、鮮明ではない。

さて、面白いのは中央の台の上やまわりにあるオブジェだ。
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続く。

2012年01月03日

12 海の門(Porta Marina)のテルメ@オスティア・アンティーカ

海の門といっても門は跡形も無く消えていて、先にはだだっ広い野原が広がっていた。
道は海に続いていたはずで、ともかくオスティア・アンティーカの街の外れまでは来れたようだ。

振り返ると、野原のはるか向こうに歩いてきたデクマノス大通りが見える。
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野原をちょっと歩いてから戻っても時間には余裕がありそうだ。

低い壁を乗り越えてみると、そこには幾何学模様の残る部屋があった。
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なにやら、アプスのようなものが見える。大きな建物があったのだ。
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実は、このアプスは洪水で町が埋もれた後にも地上から顔を出していて、それを目印に18世紀から発掘が行われていた。

イギリス人の発掘家の手紙には多くの彫像がイギリスの収集家に渡ったと書いてある。
そのうち、[ヘラクレスの4つの労働]の彫刻は今、ヴァチカン美術館にある。

彫刻の中にトラヤヌス帝の妻Portinaと妹Marcianaの彫像があったことから、このテルメは一般人用のテルメではなく皇室用のテルメではなかったか、と思われる。
(Ostia Antica Onlineの地図ではTerme del Palazzo Imperialeとなっていた)

美しい幾何学模様の床が広がる。
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野の花は風情はあるのだけれど、モザイクが心配・・
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このような単純なモザイクは浴室をつなぐ廊下である。

モザイクは盗掘の対象とならないので長い間眠っていた。
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1970年代からの発掘と修復保存により今、私の目の前に現れている。
すばらしいことだ。

この後、モザイクに関しては、さらにうれしい驚きが待っていた。

13 [アスリートの部屋、Palaestra]に続く。

11 アレクサンダーとへリックスのバー(Caupona)@オスティア・アンティーカ

カピトリウムを過ぎるとデクマヌス大通りは二股に分かれる。

右の道はごちゃごちゃと壁の残る場所へ入っていく。

左の道のほうが広く、遠くまで伸びている。こちらがデクマヌス大通りの本線だろう。
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沿道にぽつんと真っ白ないわくありげな台があったが、陽が傾いて来たので先を急いだ。
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左の松のあたりが道の分かれた所。

沿道には低い壁があるだけで、モザイクの残っている場所はここだけだった。
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ちょうど真ん中に陽が差して、見えにくいが、二人の人物の上に名前が書かれている。
[アレクサンダーとへリックス]

両方の手をあげ、勝利のポーズをとるふたりは、それぞれ、有名なアスリートだった。2008年10月16日 505 Caupona di Alexander Heli.jpgこちらがアレクサンダー。

もうひとつのモザイクは二人の人間が棒のようなものを持ち体をくねらせている。
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踊りだというが、デフォルメされた競技かもしれない。

この場所はモザイクに記された名前をとって[アレクサンダーとへリックスのバー]と呼ばれるが、当時もそう呼ばれていたかはわからない。

ともあれ、ここが海の門(Porta Marina)の脇にあったことは確かで、繁盛したと思われる。

もうひとつ確かなことがモザイクから判明する。

ヴィーナスとエロスのモザイク。
ヴィーナスは鏡を見ている。いつも鏡を見ては顔を作っていた自称美人の知り合いを思い出す。
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エロスはヴィーナスのまとっていた薄布をはがしている。ポン引きの本領発揮。

この2名がバーのモザイクに描かれるというのは、娼婦宿があったということ。

バーの奥手に入り口があるというのが、可笑しい。

日本人のヴィーナス像は、ミロのヴィーナスやボッティチェルリの[ヴィーナスの誕生]を基礎としているので美しい愛の象徴であるが、そろそろ考えを変えるべきだ。

ヴィーナスは稀代のあばずれで、奔放な性愛の象徴なのよ。

そういえば、自称美人の女も夫を無視して奔放に遊んでいたなあ。
美人でも自信のない女は褒められてちやほやされるとすぐに落ちる。
私も美人だが、自信があるのでお世辞では落ちない(鼻息)。

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