2012年04月25日

新しくなったカピトリーニ美術館の魅力(5)修復されたベルニーニの[メドゥーサ]、ダンシング・マエナード、アルカイック・スマイルのカリアティッド

2012年3月22日 カピトリーニ美術館

最高傑作としては[瀕死のガリア人]を挙げたが、私はベルニーニの追っかけなので、一番好きな作品はこの[メドゥーサ]である。

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すぐに触れられるほどの狭い空間に置かれていた。

一瞬を描く達人であるベルニーニの最高傑作のひとつだと思う。

しかし、オスティアのバッコスとアリアドネの館の床モザイクで、天使に囲まれた豊かな顔のメドゥーサを見たり、石棺ではガーランドで飾られ、髪も蛇ではないメドゥーサを見たりして、考えが変わった。

コリントスでは大地の女神だったし、墓堀人の事務所にゴルゴンが飾られていることから、死とは関係があったが、むしろ死者を守る(それも平和のうちに)方だったと、思う。

そうでなければ、棺に掘られるわけがない。

どちらにしろ伝承の架空の話なのだが、ゴルゴン姉妹は根本的に悪人ではなく、特にメドゥーサは知性を代表する美しい女性で、殺すように命じたミネルヴァのほうが愚かだった、と思う。

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せっかくのベルニーニの作品だが、私はこれを見るとかわいそうになる。

メドゥーサも私が理解しているから、訴えるように見ている。
なんてことある訳ないが・・

他のすてきな彫刻も見よう。

[踊るマエナード] デュオニソスの祭りで踊リ狂う女たちだ。

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ヘレニズムの流れるような衣が美しいギリシャの浮き彫りのローマン・コピーだ。

こちらは[カリアティッドのHERM]と呼ばれるもの

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アルカイック・スマイルがはっきりと見てとれるローマン・コピー。

私はHERMというとどうしても髭を生やしたヘルメスの頭が付いた道標が頭に浮かぶ。HERMには中央に男性生殖器がついているし、女性でHERMはないだろう、と思う。

脚の部分が角ばって先細りになっているからHERMとつけたらしいが、ヴィラ・ジュリアのカリアティッドも先細りだったけど。

さて、次にすてきなもの、それは犬が四隅に付いた台。

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庭園に使われていたらしい。ぜひ、コピーして使いたいものだ。

当時の犬はこの種類が多い。

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ミニ・ダックスのメイちゃんに鼻と耳が似ている。
メイちゃんもいつもこうやって私を見上げる。
脚の長さと太さが違うが・・

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2012年04月24日

新しくなったカピトリーニ美術館の魅力(4) [瀕死のガラテア人]に知るコピー文化の重要性

2012年3月22日 − カピトリーニ美術館で最も芸術性の高いものをひとつ挙げよ、といわれたら、私は躊躇せずにこの[瀕死のガリア人]だと答える。

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しかし、瀕死の状態にあって、ここまで感情が剥き出しになっているとは、どういう事情で死ぬのだろうと疑問に思った。

首に縄がかけられて苦しいだけでは、この諦観と悔しさと強い悲しみが混ざった表情にはならない。

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ギリシャ語のパトス(Pathos)がこの像ひとつで表されている。

そこでまた余り好きでない歴史を紐解くことにした。(注:意外に好きなのかも・・)

[瀕死のガラテア人]のオリジナル(ブロンズ製と思われる)が造られたのは小アジアの都市ペルガーモで、3世紀前半だった。

異民族のガラテア人を退治したアッターロ王(AttaloI)が戦勝記念碑を作り、滅びゆくガラテア人の像で飾ったのである。

趣味の悪い嗜好ではあるが、当時このペルガーモという都市は美術の中心地だったので、このような優れた作品ができたのである。

さて、この記念碑もブロンズ像も全て消失し、次に[瀕死のガラテア人]が現れたのはローマのピンチョの丘の遺跡からで、なんと、このとき、大理石に変わっていた(爆)。

古代ローマの金持の誰かが小アジアでブロンズ像をコピーしていたのである。

遺跡は枢機卿ルドヴィージ邸だが、もともとは最も古い貴族のオルシーニ家の邸宅なので、この関係者がコピーしたのかもしれない。

この像が発見されたときは一大センセーションが起きて、金持がコピーをしたので、現在はコピーのコピーが世界中に幾つか残っている。

しかしナポレオンは、コピーすれば良いものをオリジナルをパリに持っていってしまった。1815年にめづらしくフランス人が返却したので、今日、カピトリーニ美術館で見られる。

しかし長いこと、この像は[グラディエーター]と呼ばれていた。ただの戦士ではなく深く悲しい事情があるガラテア人であるとわかったのは後のことだ。

実はこのときに発見されたガラテア人がもうひとりいる。
アルテンプス宮殿に保管されている[自害するガラテア人]Galata Suicidaである。

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躍動的で、体のひねりがバロック芸術とつながるのだが(ベルニーニの作品のよう)、こちらは金持にはコピーされなかった。自害は忌み嫌われるし、右下に殺害した妻がいるからだろう。

アルテンプス宮殿にまで行く人は少ないし、コピーのおかげでこの世に残ることができた数奇なガラテア人たちを一緒にしてあげたいと思い、ここに書いた。
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2012年04月23日

新しくなったカピトリーニ美術館の魅力(3) ヘラクレスに扮したコンモディス帝の危ない生活

2012年3月22日 カピトリーニ美術館 

コンセルヴァトーリ宮でこの像を見たとき、私はヘラクレスだと確信した。

退治したネメアのライオンの皮を被り、棍棒を持っている。

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しかし、これはコンモドゥス帝というローマ皇帝の一人であった。

ヘラクレスに変装している訳を知りたいと、余り好きでない歴史を探ってみた。
すると、この人は自分がヘラクレスの生まれ変わりだといって、狼の皮を被っていたという。
名前にもヘラクレスと入れ、後にロムルスという名も入れたので長〜〜い名になった。

こんな変な人が皇帝だったのに驚いたが、なんと、初めての親から子への継承である。
コモンドゥスは18歳で皇帝になった。

それまでは皇帝になるべき人物を養子にしたから賢帝が生まれたのだが、マルクス・アウレリウス帝も息子に継がせるとは愚かであった。

さて、私が興味をひかれたのは、ヘラクレスの衣装より両横の美しい青年たちだ。
全体はケンタウロスの形をとっていたとも言われる。

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公共の場で両脇を美少年に固められているのだ。
歴史を紐解くまでもなく、彼が少年を愛していたことが伺える。

当たっていた。

彼は30歳で暗殺されるのだが、少年の男娼との現場を妾に見つかり、彼女が毒を飲ませるなどして暗殺に加担したのであった。

なんで私ってこの方面の勘が冴えるのだろうか?
でも、想像しなければ、こんな彫像なんてちっとも面白くない。
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新しくなったカピトリーニ美術館の魅力(2)有名な展示物 コンスタンティヌス大帝、マルクス・アウレリウスの騎馬像、カピトリーノの雌狼

2012年3月22日 カピトリーニ美術館 

入り口から入ったところにあるコンセルヴァトーリ宮の中庭

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エレガントな美しい空間だ。

ここにあるのがコンスタンティヌス大帝の頭部、腕、手、足先など。

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胴体が無いのは壊れたからではなく、アクロリートというギリシャの製造方法だから。
acrolitoのacroはトップなどの上部、litoは石。
重要な部分だけを石やブロンズで造り、他の部分は木などで造る。

外から見ると何の変化もないように見えるコンセルバトーリ宮だが、内部が刷新されていた。

かつて[ローマの庭]と呼ばれた場所にモダンな大きな空間ができて、

修復が終わったマルクス・アウレリウス帝の騎馬像がでんと置かれている。

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その横にはカピトリーヌの雌狼のブロンズがあって、半円状の階段に座った子供たちがローマの起源について説明を受けていた。

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でも、雌狼の顔をよく観察すると、困惑した表情だ。

ジツは双子は15世紀に作られてここに合体されたものなのだ。

それだけではなかった。

このブロンズはローマの前のエトルスコ時代のものであるとされていた。
しかし、科学的分析がされたところ、雌狼は中世のものであった。

これで雌狼の困惑する理由がわかったではないか。
オスティア・アンティーカの祭壇の浮き彫りに描かれた雌狼は優しく双子のほうを見ている。

カピトリーノの雌狼は「私の子ではありません!」と言いたいのだろう。
とはいえ、来歴の違いくらいでこのブロンズの価値は揺るがない。

・・続く・・
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新しくなったカピトリーニ美術館の魅力(1)

2012年3月22日 カピトリーニ美術館

カンピドリオ広場の両側の建物が総合的に複数形でカピトリーニと呼ばれる美術館である。

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正面は旧元老院の市長舎だが、この建物は古代の文書館(タブラリウム)の上に建てられていて、現在は左右をつなぐ地下通路になり、多くの展示がされている。だから、全体がカピトリーニ美術館といえる。

少し前までは左側はカピトリーノ美術館と単数で呼ばれ、右側はコンセルヴァトーリ美術館と呼ばれていて、入り口も別々だった。

今は左の建物は新宮と呼ばれている。といっても今日、新しく造られたのではない。

ミケランジェロがカンピドリオ広場全体を設計したとき、右側のコンセルヴァトーリ宮と対称になるように新しく造ったので[新宮]と呼ばれた。

その名が、今日、復活して、紛らわしいカピトリーノ美術館という名称は消えた。

入り口は右側のコンセルヴァトーリ宮、出口は左の新宮から。

地下通路からはタブラリウムに入ることができ、フォロ全体が見渡せる。

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古代遺跡のアーチから外に出るテラスもできていて、ここからの絶景はこのあとアップしていく。

この通路ができる前は、絶景ポイントは市長舎の横の坂道だった。

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ここから見るより広い範囲が間近に見られる。

新しいカピトリーニ美術館はフォロ・ロマーナ鑑賞も含めた美術館になったわけだ。

それだけではない。最上階のテラスはすてきなカフェになっていて、ローマの北側も見張らせる。

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前に見た彫刻ばかりだから今回はパスしようと思っていたなんて信じられない!

中の展示品も素晴らしかった。

・・続く・・


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2012年04月22日

カピトリーニ美術館に赴くとディオスクーリの双子が出迎えてくれた。

2012年3月22日 カピトリーニ美術館 

カンピドリオの丘にはふたつの魅力的な場所がある。
カピトリーニ美術館とサンタ・マリア・イン・アラコエリ聖堂だ。

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美術館には何度か行ったので、今回はアラコエリに行くつもりだったが、
直前にこの急な階段にめげた。

手前の段のほうがカピトリーニ美術館行きで、格段に楽そうだ。
美しい大きな平石の階段、コルドナータ。

アラコエリ聖堂の階段も美しいのだが、日本人がウェディングドレスを着て写真撮影をしていたので、驚いてしまって、撮るのを忘れた。

この上の2人がカストールとポルックスのディオスクーリの双子だ。

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テベレ川の近くのカストールとポルックスに捧げられた神殿で見つかったもので、16世紀にここに運ばれた。

二人は旅人の守り神で、船乗りも守るのだが、絵画では馬の手綱を持っているのが多い。

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面白いのはこのいつも被っているキャップである。

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これは卵の殻で、ふたりは卵から生まれたとされる。
二卵性、さらにトロイアのヘレンも同時に卵から生まれた。

なぜかというと、母親のレダが白鳥にばけたゼウスによって身篭ったからで、カストールのほうは実の父親、スパルタの王の子供だという話もある。

でも、ふたりとも卵から生まれたところから、ゼウス白鳥の影響が強いと思う。

さて、ちょうどこの美術館に[レダと白鳥]の彫刻があった。

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どの絵画でも彫刻でも[レダと白鳥]はちょっと異常な感じがする。

この彫刻ではレダはなぜかマントを大きく広げている。
一方、レダの表情からはふいをつかれたように見える。

受胎したときの複雑な事情が見てとれる彫刻であった。

さて、双子の像に戻ると、この後ろが有名なカンピドリオ広場だ。
ミケランジェロのデザインがステキだが、人が多くて見られなかった。

残念。



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2012年04月19日

サン・ニコラ・イン・カルチェレ聖堂、マルチェッロ劇場、アポロ・ソシアノ神殿

2012年3月22日(木)

カンピドーリオの丘に向かうテアトロ・マルチェッロ大通り沿いでは、前の記事のコーラ・ディ・リエンツォの家もそうだが、次々に面白いものを発見した。

マルチェッロ劇場の内側(右端)が見えてきたところ。
 (白い乗用車の上のあたりは旧サヴェッリ家の城。遺跡の上に建てられている)

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漆喰のファサードがぺたっとついたバジリカがあった。

サン・ニコラ・イン・カルチェレ聖堂だ。

よく見ると、側面に円柱のようなものが残り、手前の芝生には遺跡の破片が転がっている。

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ここには3つの神殿があって、そのうちの一番大きな中央の神殿、Tempio di Giunone Sospitaが教会となって残っているのだった。

入り口に高いイオニア式の円柱が見えるが、2重の列柱の部分が教会内部から見られるという。
もしまた来ることがあったら、ぜひ見たいものだ。

側面に見えるドーリス式の列柱は、Tempio della Speranzaのもの。スペランツァは希望を擬人化した古代の女神である。

もうひとつの神殿、Tempio di Gianoは中世に作られた塔の向こう側にあって、空き地に円柱が数本残っている。

このあたりはフォロ・オリトリオといって果物や野菜などを扱う業者のフォロであった。
すぐ近くの勝利者ヘラクレスの神殿は畜産業者のフォロに建てられたものだ。
つまり、この周辺には大きな市場があり、商業活動が活発で、古い神殿は教会などに変えられて再利用されていった。
そのおかげで後期の建築をはがすと古代ローマの遺跡が現れてくる。
何が幸いするかわからないものだ。

さて、マルチェッロ劇場だが、ここには最近まで人が住み着いていた。

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遺跡の上にレンガで造られているのが住居になっていた部分。

さて、唐突に現れるこの3本の柱も、建物の中に隠れていた神殿の一部である。
アポロ・ソシアノ神殿(=アポロ・イン・チルコ神殿)

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コリント式の美しい柱はアポロ神殿になる前の紀元前5世紀に造られたというから驚きだ。
これが20世紀前半までは存在さえ確認されていなかったというから、さらに驚く。
コロッセオとつながっていた部分を取り去ったところ現れたということだ。

マルチェッロ劇場周辺は一昔前はちょっと危険だから女ひとりでうろつかないほうが良いといわれた。
今は不法占拠の人々は追い出されて建物もきれいになったように感じる。

次回は(次回があれば)劇場の中も見たいと思う。

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ワーグナーのオペラにもなった中世末期の護民官、コーラ・ディ・リエンツォの家と銅像

2012年3月22日(木)

ポルトゥーノ神殿を見て、振り返ると小路の向こうに古いレンガの建物があった。

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後ろの新しい建物の前に残してあるこの建物は何だろう。

近づいてみると、古代建築に使われたフリーズなどが張り付けられている。

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オスティア・アンティーカではフリーズの破片などを新しいレンガの壁に貼り付けてあったが、この家はロマネスクの洗礼堂に使われたようなレンガで造られている。

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何だか判らずにさーっと流すのが嫌な私(要するにシツコイ)は東京に戻って調べることにした。

しかし、何の手がかりも無く、最後にGoogleで小路の名前、Via del Ponte Rottoを入れてみた。
小路は紀元2世紀に造られたった最も古い橋ポンテ・ロットから通じている。
(注:ポンテ・ロットとは橋が崩れてから付けられた名前でポンテ・エミリオ橋という名などがついていた)

そうしたら、この建物の名前が判った。

Casa di Cola di Rienzo コーラ・ディ・リエンツォの家

コーラ・ディ・リエンツォは14世紀前半の護民官で、中世の末期に教皇や貴族を相手に人民を守った素晴らしい人物だった。

どのくらい素晴らしい人だったかというと、ワーグナーがオペラを捧げるほどである。

[ Rienzi, l'ultimo tribuni ]  [リエンツィ、最高の護民官]
Rienziはルネサンス期の呼び名

どのくらい素晴らしい人だったかというとこんなところに銅像が立てられるほど。

カンピドリオ広場に上る階段の横の芝生に立っているのはリエンツォの銅像だけ!

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右端、高いところからローマを見下ろしている。

〔後記〕 理由は別のところにあったのであった。この場所はリエンツォが殺された場所であった。それも、民衆に殺されたのであった。複雑な気分・・・


ここは左側にはエマニュエル2世祈念堂がそびえている。

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護民官リエンツォは右手をまっすぐに伸ばしている。何かを訴えているのだろうか?

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台座をよく見ると、彼の家と同じ古いレンガと古代のフリーズが貼り付けてある。

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19世紀末の作品。

後ろにはサンタ・マリア・アラコエリ教会のレンガのファサードが見える。

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後で知ったのだが、リエンツォはこの教会の石段の横で群衆に殺された。
ほぼ銅像が立っている場所である。
元老院議員になってからは護民官時代とは違う人格になっていったのだろうか。

そういうコーラ・ディ・リエンツォだが、誰も・・それほど・・関心をもたず、せっせとはあはあと、カンピドリオ広場に上って行くのであった。



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2012年04月18日

真実の口広場の2つの素晴らしい神殿とベルニーニ風の噴水

2012年3月22日(木)

アヴェンティーノの丘から下りてくるとロマネスク様式の鐘楼が見える。

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サンタ・マリア・イン・コスメディン教会。

真実の口に手を突っ込んでみたい観光客でごたがえしているが、私はもうミーハーは卒業したので、テベレ川沿いの真実の口広場へ向かった。

ベルニーニがデザインしたような素敵な噴水がある。

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トリトンが貝殻を持ち上げているトリトンの噴水だ。
(あとで解ったのだが、これは18世紀に18世紀にカルロ・ピッツァチェリが法王クレメンス11世のために造ったものだった)

お目当てはこの円形のヴィンチトーレ・エルコーレ神殿(勝利者ヘラクレス神殿)
人だかりがしているが、学生の団体が説明を受けているところ。

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昔、真実の口の前で記念写真を撮ったころ、この神殿を目にしたが、余りに完成された姿なので、まがいものだと思ったのだった。

他が瓦礫になっているのに、古代のものがこのように残るはずがないと決め付けて。

ここが壊れなかったのは中世から教会として使われていたからで、公式に古代の建築であると認められたのは1935年になってからだから、私が疑うのも無理はなかった。

そして、ちょっと前までの本では[ヴェスパ神殿]となっている。

これはルネッサンス期から続いた間違いで、フォロ・ロマーノのヴェスパ神殿と似た形なのでそう呼ばれていた。

近年になって大理石に刻まれた献辞からこれが勝利者ヘラクレスに捧げられたものだと判明した。

この神殿があったのはForo Boario (畜産業者のフォロ)内であり、ヘラクレスは家畜の守り神なので理由もあるのである。

円形神殿の右奥に見える修復中の建物はポルトゥーノ神殿である。

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裏側から見ると、これも今建てられたようである。
イオニア式の列柱がきれいに残っている。

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ポルトゥーノ神殿も、ヘラクレス神殿より早い9世紀に、キリスト教会に改築されて使われていたため破壊の難を逃れたのだ。

20世紀の前半に古代の姿に戻すため教会は取り潰された。

さて、名称についても、長い間別の名前で呼ばれていた。
[フォルトゥーナ・ヴィリーレ神殿] 
男性的幸運の神殿

ううむ、何のこっちゃ。私みたいな嫁をもらうという幸運...ではない。

この神殿がポルトゥーナという川や港を守る古い神に捧げられたものだと判明したのは1920年代である。すぐそばにティベリーノ港があったのである。

ローマではイタリア経済云々とは反対に、古代の遺跡の修復がどんどん進められているような気がする。

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頼もしい女性たち。

次はカピトリーノの丘へ上っていく。


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アヴェンティーノの丘からチルコ・マッシモへ歩いた。

2012年3月22日(木)

アヴェンティーノの丘を下ると前方に遺跡群が見えてきた。
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パラティーノの丘である。

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ただの散策なのに、昨日、オスティア・アンティーカで双子のロムルスとレムスの祭壇を見たばかりなので一人興奮した。

親の国を出て、どこに都を定めるかという時、レムスが主張したのがアヴェンティーノの丘で、ロムルスが主張したのがパラティーノの丘だった。
ロムルスの足元に舞い降りた鷲が一羽多かったので都はパラティーノの丘に決まった。

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パラティーノの丘には豪勢な邸宅がずらっと並んでいたのだろう。
パレスはパラティーノからできた言葉。

さて、手前の広大な原っぱがチルコ・マッシモだ。

以前にパラティーノの丘から見たときはただの空き地にしか見えず、チルコ・マッシモがどれだけ凄いものだったかはシチリアのカザーレ荘の床に描かれたモザイク画で知った。このモザイク画はチルコ・マッシモの様子を記した唯一の絵であった。

ここで馬車競技が行われたのだ。

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楕円形のスタディアムはパラティーノの丘にも残っているし、ナボナ広場もその跡だが、これほど広大なスタディアムが古代に造られたことに驚く。

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何もない空き地にも想像ができるようになるとは、私も熟したものだ。

・・春草やつわものどもが夢の跡・・

ローマは一日にして成らず、老婆も一日にして成らず、知恵がつくなり。
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2012年04月17日

サヴェッロ公園のオレンジの庭からテベレ川対岸を見晴らす。

2012年3月22日(木)

サンタ・サビーナ聖堂を出てサヴェッロ公園に向かう。

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聖堂の窓はレースのカーテンがかかっているようで素敵だ。

オレンジの庭は元々ドメニコ派の神父たちがガーデニングをしていた果樹園だった。
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塀越しに聖堂や鐘楼が見える。
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ここにオレンジの庭が造られたのは20世紀になってからで、その目的は公共のベルベデーレを造るためであった。

なんと、粋な取り計らいがされたのだろう。

おかげで今日、私もこのような景色を見ることができるのだ。

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北側はヴィットリオ・エマヌエーレ記念堂まで

ぽこぽことクーポラがあるが、一番遠くにあるのがサン・ピエトロ寺院のクーポラ

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春霞の中にぼやっと見える。

テベレ川と川沿いの並木。春の新芽のやわらかい萌黄色がもやのようだ。

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この淡いパステルな景色を私はいつまでも忘れないと思う。
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もう一度見たかったサンタ・サビーナ聖堂だったが・・

2012年3月22日(木) 昔の思い出では素晴らしかったものが、再び見ると平凡なものにしか見えない、ということがある。

なぜこれをそんなに素晴らしいと思ったのだろう、と自分自身を疑う。

それが、サンタ・サビーナ聖堂に入ったときの感覚だった。

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天気のせいで、明るすぎたからかもしれない。

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アプスのモザイク画であったと思われる場所には後世のフレスコ画が描かれている。
 
後陣のガラスのような窓、木の天井はすてき。

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まあ、古代建築を取り込んだキリスト教会という所が魅力的に感じられたのだと思う。

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床は白くぴかぴかに光っていて、TOTOのショールームのようである。

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ところどころにお墓がある。

修道尼のお墓

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1300年に作られたドミニコ派総長ミュノース・デ・ザモーラの墓

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床の墓石としてはめづらしいモザイク画である。

行きたかったのに行けなかった、とずっと思い続けるよりは多少落胆するほうがよいとは思う。
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マルタ騎士団の館の鍵穴からサン・ピエトロ寺院を見て、サンタ・サビーナ聖堂へ

3月22日(木) 着いてすぐに向かうのがマルタ騎士団の館の鍵穴というと、ミーハーみたいだが、訳がある。その隣にローマで一番美しいと思ったサンタ・サビーナ聖堂があるからだ。

誰と来たのか記憶がないが、まずはこの鍵穴を目的に来たと思われる。クラスの課外授業だったような気もする。

タクシーでアヴェンティーノの丘の上にあるマルタ騎士団の館へ

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扉の鍵穴から先を撮りたいのだけれど、失敗

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内視鏡みたい・・・

もう一枚撮ってみて、修正すると、サンピエトロ寺院が現れました!

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もやがかかっている中、上出来です。

それから、隣のサンタ・サビーナ聖堂へ

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春はまだ始まったばかりで芽吹いていないから、建物がよく見えた。

古いローマの円柱を残した建築

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よく観察すると、左のほうが右より高い感じがする。
柱の長さが違う?

入り口脇の関係者の像

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ここはドミニコ派の聖堂になっている。

外の泉。マスクから水が出ている。

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人間の顔のようだけれど、かわいい前足があるからライオンか。

では中へ。
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最後のローマ散策はパンテオン広場のアルベルゴ・デル・セナートに5泊して

2012年3月22日(木) 

パンテオンやナボナ広場のある地区、テベレ川の蛇行で丸く突き出たあたりはゆっくり見ていないので、今回はここに宿をとった。

パンテオンの前は相変わらず人がぎっしり。
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2008年はこの左手の小路にあるタッツア・ドーロにコーヒーを飲みに来てついでに中もちらっと見たのだった。

小さなオベリスクの噴水のあるロトンダ広場
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赤い馬車がとまっているけれど、人が乗っているのをみたことはなかった。

おとなしい馬
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お尻の下あたりに糞用の袋が取り付けられていた。ポコッと落ちるようになっている。

アルベルゴ・デル・セナートは右側の白い建物。
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タッツア・ドーロは左側の小路にある。

ここは夜レストランに行っても歩いて5分で帰れるのがよい。
そしてどのレストランもおいしかった。

さらに、このあたりはジェラート激戦区で、ジェラテリアが乱立している。
私は抜群においしいジェラテリアを発見した。
ひ・み・つ。 体を張って調査した結果は教えたくない。

部屋から見たパンテオン
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朝は気味が悪いほど静かだ。
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なんと言っても霊廟ですからね。

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そうそう、パンテオンの右手にいつもタクシーが並んでいるのも好都合だった。

初めは後半は雨が降るという予報だったが、毎日がこのように晴れた。
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雨は通り雨が夕方にあったくらいで、気温は初夏のように暑かった。
ローマでは異常気象だといっていたが、最近は冬からすぐに夏になるようだ。

最後の夜にはきれいな三日月が出ていた。
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足の筋肉痛以外には問題なくすごせた5泊6日を感謝した。

ローマには20世紀(爆)にも長くいたのに、写真が余り残っていない。
今回は以前に行ったところも含め、1000枚以上撮った。
後から見るのが老後の楽しみだ。
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2012年04月16日

御者たちの浴場@オスティア・アンティーカ遺跡

2012年のオスティア・アンティーカ訪問では朝9時から5時まで歩き続けた。
入念に計画を練り、グーグルで場所の様子を確認し、効率的に回ったつもりだが、見逃したものもあった。
悲しかったのは、ネプチューンの浴場や皇帝の祭壇などの最高のモザイクが修復中だったことである。
このモザイクは先回見ているのでまだ良いが、多くの色彩モザイクが完全に移されたようで、残念だった。
もっとも、バッカスとアリアドネの家のように修復がきれいにされたモザイクを見ることもできたし、良しとしよう。

膨大な写真はフリッカーにアップした。
http://www.flickr.com/photos/machilin/sets/72157629335081588/
イタリア語だが、説明もついている。

ブログでは先回見られなかった、御者たちの浴場だけを記録しておく。

今回も草むらの向こうにあるこの遺跡は見逃すところだった。
外側を歩く道から見下ろせるようになっていた。
034  Terme dei Cisiarii.jpg
ここも土に埋もれていて、それだから保存されていたのだ。
033  Terme dei Cisiarii.jpg
他の部屋へ通じる道は見あたらなかったが、
このモザイクが見たかったので満足である。
032  Terme dei Cisiarii.jpg
ローマ門から入ってすぐに御者たちが休めるようにこの浴場が造られた。
他のモザイクにはない客車が描かれている。
032 dettaglio -  Terme dei Cisiarii.jpg
レンガで街を表し、アトラースのカリアティードが塔を支えている。
髭の男性のカリアティードはめづらしいが、天空まで支えることのできたアトラースは適任であると思われる。
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