2008年10月24日

知られざる美の館、ドーリア・パンフィーリ宮殿(美術館)@ローマ

2008年10月06日 1日目の6

朝早くから出っ放しでカフェの一杯も飲まずに歩いてもう午後になっていた。ドーリア・パンフィーリ宮殿に行こうと思ったのは、トラステヴェレとホテルの中間にあって、[地球の歩き方]によると館内にすてきなカフェがあるからだった。

ヴェネチア広場でタクシーを降り、[地歩]の案内に従って宮殿の裏側の広場に向かうと確かに入り口があった。[GALLELIA DORIA PANPHILJ]という緑色のサイン。写真に出ていたとおりだ。

2008年10月16日 648.jpg

しかし、門が閉まっている。ここは月曜日は開いているはずなのに。左側にある小さな白い紙を見ると、入り口が変ったという。地図によると、コルソ通りに面している。なんだ、それならこのでっかい宮殿をぐるっと廻る必要なかったのに。

2008年10月16日 649.jpg

コルソ通り側の鉄柵の間からはこの中庭が見えるので、玄関としてはここしかない、という場所。今まで裏にあったのが不思議なくらいだ。パンフィーリ家から輩出した一番偉い人[法王インノチェンツォ10世]の絵があるが、ヴェラスケスさまの絵。 

2008年10月16日 032.jpg

私は貴族の家系や歴史には全く興味がないのだが、今回は違う。この館を造ったのが、ドーリア家でもパンフィーリ家でもなく、アルドブランディーニ家だと知って、調べたら、面白いことがわかった。

1601年にフィレンツェ出身のピエトロ・アルドブランディーニがこの館を造る。そして一人娘のオリンピアはボルゲーゼ家に嫁ぐ。となると、この館はボルゲーゼのものになるはずだった。しかし、皮肉なもので、夫はすぐに亡くなり、オリンピアは若くして未亡人になる。

この未亡人と結婚したのが、カミーロ・パンフィーリで館はパンフィーリ家のものになる。あんまり面白くない? では続きがある。

[エジプトへの逃避の中の休息]という絵は若き未亡人オリンピアに贈られた絵だ。長いこと発注主がわからなかったが、法王だとわかった。つまり、甥っ子との再婚をうながすために(後から祝福するためかもしれないけど)プレゼントしたんじゃないの?カラヴァッジョだから高かったはずよ。もちろん公費を使ったわね。

かんぐり? 違います。だってこのカラヴァッジョの[エジプトへの逃避の間の休息]ってものすごく変な絵だから。

2008年10月16日 034.jpg

私は少年愛のカラヴァッジョが苦手。小太りの笑顔の男の子を見ると、この子もやられたんだわ、とぞっとしていた。この絵も新しい男の子の裸体を描きたかったのだと思った。

しかし、注文主が法王で贈り先が甥っ子の相手の若き未亡人となると同性愛はまずいだろう。結婚を賛美しなくてはいけないのだ。そこでぼんやりした背景を見ると、なにやらわかる。

まず、普段は添え物のヨセフが立派に描かれすぎている。これは甥っ子を立てている。マリアは赤子を抱いている。若い夫婦を天使が音楽で祝福しているのだ。

そういう意図はわかった。でも、私はまだカラヴァッジョのやり方にこだわる。マリアを見ると、田舎娘が田んぼで乳を飲ませたあとに眠りこけている格好だ。聖母の美しさも威厳もない。

カラヴァッジョは女性も相手にしたので、妻(愛人)と子供かもしてない。そして、こともあろうに[マグダラのマリア]にも同じモデルを使っているのだ。 

2008年10月16日 033.jpg

一般的に[マグダラのマリア]は改悛したり、髑髏を持って嘆いたりしている。こんなに平和に寝ほうけている絵はない。これも法王が発注したのだが、壊れた宝石くらいで納得したのだろうか?

この美術館には翌日もロンドンのK姉さんと行った。BBCで[カラヴァッジョの生涯]をやっていて、彼は出入りする男の子や女の子と片っ端からやったという。そして最後には殺人事件を起こして逃亡したのだ。そういう無責任なカラヴァッジョでなくては描けないマリアとマグダラのマリアの絵だった。

ドーリア・パンフィーリ美術館には高い壁に所狭しと絵がかかっている。個人の所有なので小品も多いけれど、見ごたえがある。こちらはフィリッポ・リッピの[受胎告知]

2008年10月16日 035.jpg

ルネッサンス期の絵ってやっぱりすてきだと思う。私たちは写真の時代にいて具体的な描写は写真で間に合っている。だから、こういう様式化した絵に憧れるのかもしれない。

こちらはベルニーニの彫刻、[インノチェンツォ10世]

2008年10月16日 030.jpg

ヴェラスケスの作品よりハンサムだ。そういうことも注文が多かった理由だろうか。

さて、この美術館で素晴らしいのは、実は絵より館内の装飾である。小さなヴェルサイユ宮殿のようだというのも過剰表現ではない。こういう部屋が幾つも続く。

2008年10月16日 028.jpg

ついこの間まで貴族がこういう贅沢な暮らしをしていたんだ、と驚くばかりである。今はこういうホールだけでなく、寝室などの居室部分も柵越えに見ることができる。

ドーリア・パンフィーリ宮殿は前はガイド付きの観覧だったが、今は入り口で各国語(日本語ナシ)の案内を聞くことができる携帯電話みたいなものを渡される。主要な場所に番号が出ているので、それを押すと解説が流れる仕組みだ。整備されたからか、9ユーロに値上がりしていた。

私は英語を選んだのだが、流れてきたのはいかにもボーディング・スクールあがりの英語だった。しゃべっているのはドーリア家の末裔で、ドーリア家に19世紀にイギリス人のメアリーさんが嫁いでからイギリスの血が入り、今では家族はほとんどロンドンで暮らしているというこどだった。

お目当てのカフェはとっても洒落ていた。あ、カフェではなくてTEA ROOMです。今日のランチのラザーニャとインディアン・トニックで一息ついた。

2008年10月16日 653.jpg

外からも入れて、服装の良い人たちがいっぱい。観光客が溢れるローマにもこういう閉鎖的な雰囲気の場所があるんだな、と面白くてきょろきょろしていた。

このあと、いったんバルベリーニ広場にあるホテルに戻ったが、ロンドンのK姉さんはまだ到着していなかったので、クワトロ・フォンターニへ散歩に行った。
.
.

posted by iconologist at 10:05| Comment(0) | '08 ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
,
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。