2008年12月05日

ティヴォリ、ハドリアヌス帝の別荘B ポイキレ

2008年10月9日 ポイキレは入り口からすぐの長い壁の内側の広大な場所の名で、中心には大きな長方形の池がある。

消防士の宿舎から見渡した写真だが、池は左の隅に見える。

2008年10月16日 171.jpg
 
この光景を見たとき、空いているところに樹木を植えて公園にしたのかと思ったが、違った。もともと池のまわりは庭であった。

さて、この長い塀だが、なぜ敷地の真ん中にあるのだろうと、思った。調べてみると、これは塀ではなくて、ポルティコの外側の部分だった。

長さ232メートルの長いポルティコがなぜ造られたのか。 

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模型を見て解ったのだか、当時はポルティコは池をぐるっと周って同じものが向こう側にも建っていた。

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ここを全部歩くと1450フィート、429メートルになる。

これが、医者が食後に薦めたウォーキングの長さなのだ。古代ローマの人はなんと健康に気を使っていたのだろうと感心する。ハドリアヌス帝は62歳まで生きた。

右側の木の下に、ポルティコの列柱の跡が点々と残っている。

2008年10月16日 160bisibis.jpg

奥にポルティコへ下る階段が見える。

2008年10月16日 160bis.jpg

階段を登った左側に皇帝の食堂があり、このエリアは客室などのアッパークラスの社交的な地域だ。

そうそう、ポイキレという名前である。私ははじめ池のことかと思ったら、このポルティコのことだった。

じゃあ、ギリシア語ではポルティコのことをポイキレというのかというと、これも違った。ポイキレとは古代ギリシャ語でpainted,絵の描かれた、という形容詞。ポルティコはストアである。

ハドリアヌス帝はギリシャのアゴラにあった憧れのストア・ポイキレ(Painted Portico)をティヴォリに造ったのである。そして、壁のフレスコ画が消えてしまったのに、ポイキレという言葉が残っているわけ。

では、ハドリアヌス君はアゴラのストア・ポイキレの何に憧れたかのか? たぶん、アゴラのポルティコの絵の素晴らしさだろう。でも、このポルティコ(ストア)で哲学を教えた有名な哲学者に憧れたのかもしれない。

この哲学者たちはストア派と呼ばれる。現在もストイックという言葉として残っているが、そのストアとは古代ギリシャ語でポルティコという意味なのである。

この写真は庭側から撮ったものだが、オリーヴの木の向こうにポルティコの入り口が見える。そして、半分隠れた丸い建物、これは哲学者の間なのだ。哲学尊重の姿勢が見えるではないか。

2008年10月16日 161.jpg

このあたりにはギリシャ語図書館、ラテン語図書館もあり、ハドリアヌス帝は知的な人だったかもしれないと思う。スペイン人は勉強家だし。

言語の成り立ちにはとても興味があるのでしつこいけれど、ここまで調べるとやっと面白くなる。
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posted by iconologist at 18:04| Comment(0) | '08 ティヴォリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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