2008年01月28日

1996年のマテーラ、廃墟の街

マテーラは1993年に世界遺産になったところだから、それから3年後に訪れたことになる。バスを降りて岩窟教会というところに入る手前の展望台に立ったとき、アルベロベッロ観光でシラケた私の頭が何かにガーンとぶん殴られたような感覚があった。ここには何だか知らないが【本物】があるぞと身が引き締まる思いがした。

正面から左に広がる廃墟のような街。

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かなりしっかりした建物なのに黒い穴がボツボツと空いていのが見える。戸も窓ガラスもない。廃墟なのだ。よく見ると段々になった建物の屋上に道が通っている所がある。

私はなぜかこんな廃墟に魅入られてしまって、他の人たちは洞窟教会の見学に入って行ったが、残ってこの風景を見ていた。

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展望台から下を覗くと深い谷。岩山が浸食されてできたのだろう。細い川が見える。 

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教会から出てきた人たちと合流し、バスのパーキング場まで歩いたが、人はみかけなかった。改めてガイドブックを読むと、マテーラは農業に適さない貧しい村で、ここから多くの人々がアメリカに移住したと書いてあった。

団体バス旅行では考える暇がないから、そのときふと頭に浮かんだ疑問がもういちど頭に戻ってきたのは日本に帰って写真を見たときだった。【農業に適さない貧しい村】というのは当然だ。だってあの岩山で何の作物ができるというのだ。しかし、それなら、なぜあれほどの立派な建築物のある町が存在するのだろう? 金鉱があったとか、農産物ではない資源があったに違いない。

しかし、調べて見ると、マテーラの町を作ったのは産業ではななかった。8世紀に東方のギリシャ・ビザンチン教会の修道僧たちが移住してきて地上に地下に100を越える教会を作ったのだ。

岩山をくりぬいてカッパドキアに町を作ったのと同じ技術がここで生かされたのだ。ついこの間建てられたような堅固な建築物。写真の丘に高くそびえる教会は13世紀のもの。中世文化の程度の高さがよく解かる。

昔もマテーラは確かに住み難い町であったらしく、これらの建築物はその後、住居というより倉庫などとして使われていて住民は町の外に住んでいたらしい。

マテーラが突然イタリアで最も貧しい地区になったのは、1800年から1950年で、このときから【洞窟家畜小屋】が【洞窟住居】となって再び人が住むようになった。町の衰退には経済的な理由だけでなく政治的な理由もあったらしい。

その後、住民はインフラの施しようのない洞窟の町から新しい場所に移住させられて、今ではかなりの部分がUNESCOによる保存地域となっている。廃墟とはいえ、昔から変らない風景が保存されるのは素晴らしいことだ。

このマテーラの町を現代に生かしたものがあった。それは映画だ。メル・ギブソンという私の親友の好みの俳優がキリストの最期を演じた映画【パッションの撮影ではマテーラはエルサレムになった。エルサレムには大きな門が必要だ、ということで発砲スチロールで門が作られ、本物と見分けがつかなかったという。

1985年には私の好みの俳優のリチャード・ギアがダヴィデ王を演じた。ギアは今でも大根だが、前はもっと大根で、この【キング・ダヴィデ】も駄作だったらしいが、「この映画に出演しなかったらあのマテーラという≪時の止まった町≫を見る機会はなかっただろう」と言っている。良いこと言うなあ、さすがにギアさまだ。

私もシチリアへツアーで行かなかったらあのマテーラという不思議な町を見ることは絶対になかったと思う。旅では思い込みが強すぎて、がっかりすることもあるが、思いがけない物に出会えて感激することもある。マテーラは後者だった。

2006年にマテーラを再訪し、デジカメで鮮明な写真を撮ってきました。⇒http://italiadaisuki.seesaa.net/article/81094239.html
posted by iconologist at 11:30| Comment(0) | '96 南イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月27日

南イタリアとシチリアには2006年にも行ったので・・

96年の南イタリアとシチリアの旅ははじめて団体旅行を経験した旅だったが、ワールド航空が気に入って、同じコースを2006年にも旅行してしまった。

96年の旅程にあって2006年になかったのはこの前の記事、[ソレント]だけである。

一方、96年になくて2006年にあるものはデジタル・カメラ。96年版は写真をコピーするのでとても大変。ということで、この後の記事は2006年版に書くことにしました。

(マテーラだけは初めの感激がすごかったので96年版もアップしました)

[2006年南イタリア] ポンペイ、ナポリ考古学博物館、アマルフィ、アルベロベッロ、マテーラなど、ほぼ書き終わりました。⇒http://italiadaisuki.seesaa.net/category/1351230-1.html

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[2006年シチリア] タオルミーナ、シラクーサ、カルタジオーネ、アグリジェント、ピアッツア・アルメリーナ、チェファル、パレルモ、エリーチェ、セジェスタ、などで、これから書いていきます。
http://italiadaisuki.seesaa.net/category/1351234-1.html


posted by iconologist at 16:08| Comment(0) | '96 南イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月12日

ソレントの超高級ホテル November '96

バス旅行、団体旅行が嫌いな私がツアーに参加したのは、シチリアを効率よく安全にまわるにはこれしかない、と思ったからだった。

ローマに夜遅くに着いて、翌朝すぐにポンペイに向けて出発。6時起床、7時朝食、8時出発、友だちが言っていた[6・7・8]を初めて経験した。

会社勤め以来の早起きとバス移動に早くも挫けた私は2泊目のソレントでアマルフィ海岸往復をキャンセルしてホテルに残ることにした。

朝寝をしてから、高台の団体用ホテルから坂を下って散歩に出た。東京からの長距離便とバスの座席で固まっていた体が開放されて気持ちよい。11月とはいえ、陽光のまぶしいソレント、青い海が広がって、ああ、イタリアに来てよかった!!と実感。

しかし、ソレントの街は平凡な商店の連なる通りがあるだけ。寂れた昔の避暑地という感じで、コートダジュールなどとは比べ物にならない。入りたいようなレストランもなかった。

しかし、キョロキョロと探していると、素敵なお庭が目にはいった。アールデコの華奢な門の奥に細長くレモンの木やあらゆる草花が植えられている。

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庭の大好きな私、ふらふらと入り込む。庭師さんが水遣り中だった。人さまが手間、暇、金かけて手入れする庭を鑑賞するのはなんという贅沢だろう。

庭が終るとそこは駐車場でドイツナンバーのメルセデスが何台も。やっと、はてな、公園ではなかったんだわ、と気づいた私の目の前には重厚な美しい建物が・・・。ソレントの街ではなくモナコに来たよう。それがエクセルシオール・ヴィットリア・ホテルだった。☆☆☆☆☆!

庭に劣らずお屋敷訪問の好きな私、お茶かなんかいただいて中を見せてもらおう、っと臆せずにドアを開けた。ホールの向こうにはテラスがあって、その向こうに青い海が広がっていた。

テラスに出てオフシーズンの静かなプールサイドから見おろす海は、団体ホテルの窓から見おろす海と同じはずなのにどこか違う。一人でもロマンチック気分いっぱいになった。ああ、イタリアに来て本当によかった!!

しかし、コーヒーだけを飲む場所はなかったので、ここでランチをすることにした。小さなレストランに降りて行くと、そこは180度に湾曲した窓からヴェスーヴィオ火山が眺められる特等席だった。火山の形も団体用ホテルの窓から見えたやつと同 じはずなのに、どこか違う。上品な形だ。

私はエビのサラダとパスタを頼んだ。客は私一人。昼は皆さん観光におでかけなのだろう。そこへ、一人の男がずかずかと入ってきてスパゲッティを注文した。

こんな格調高いレストランでアンティパストもとらずにスパゲッティを注文するなんてずうずうしいやつ。観察すると青いシャツにはふけがいっぱいついている。よれよれのジーパンはどう見てもここの宿泊客ではない。そういう私も同類だが……
 
すると、向こうもこちらを観察して、私と給仕のお爺さんの会話を盗み聞きし、「日本人なのにこんなに英語が上手な人は初めて見た」と見え透いたお世辞を言った。

念のため日本に来たことがあるのかと聞くと、行ったことは無いと言う。私は冷たく「あ〜ら、イタリアに来る日本人は英語を話さないけど、日本じゃあみんなこのくらい喋るわ」と言ってやった。エビのサラダで美しく始めたランチをスパゲッティ男には邪魔されたくないからね。

スパゲッティ男は給仕のお爺さんとも親しいらしく、イタリア語で談笑していたが、食べ終わると東洋の美女に盛んに話しかけてきた。「デザートは食べないのか?」と聞く。スパゲッティだけのあんたに言われる筋合いはない、と思いながら、「これから決めます」と答えた。

すると「僕はここのオーナーだから、ご馳走する」と言うではないか!。思わず眉をあげて給仕のお爺さんの顔を見ると、にこにことうなづいた。ええっ、そうだったんだ。そうと解ると一瞬で物事が決められる私、「クレープ・シュゼット!」「2人前ですが・・」「食べられます!」

舌もとろけるクレープ・シュゼットを食べながらだと、会話の弾む事。オーナーのファミリーの一員だというおじさんはこのホテルの成り立ちとかを説明してくれた。そして、会計はデザートだけでなく、全部払ってくれたのだ! ラッキー、ラッキー。

おじさんは有名な階段の間などを案内してくれて、ホテルの豪華パンフレットも絵葉書もくれた。そして、部屋の中も見せてあげるから来ないか?と訊いたのだ。このとき、私は彼の魂胆がわかった。誰が、タダでご馳走してくれるかって、下心あればこそだ。
 
そうと解ると一瞬で演技ができる私、「たいへんだわ、団体のバスが出ちゃう! どうも有難う、楽しかったわ」 そして処女は脱兎のごとく麗しのグランドホテルを飛び出たのだった。

おじさんは本当に部屋を見せてくれるだけだったのかもしれない。でもイタリアの男には用心した方がいいからね!
posted by iconologist at 18:45| Comment(0) | '96 南イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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