2006年02月14日

シチリア各地で撮影された[マレーナ]2002

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イタリアを感じたくて[ニュー・シネマ・パラダイス][海の上のピアニスト]のジュゼッペ・トルナトーレ監督による[マレーナ]を借りてきた。シチリアの漁村カステルクトに住む少年の熱烈な憧れの対象になったマレーナをモニカ・ベルッチが演じている。

原作の舞台はカステルクトという漁村だが、ロケはシラクーサで行われた。だだっぴろい焼け付くような海沿いの道にマレーナの家があり、少年達が防波堤にずらっと並んで座って見物する。この道路の広さが、手の届かない憧れを表しているように感じた。

[ニューシネマ・パラダイス]もシチリアでロケが行われた。殺伐とした広い土地や時代から取り残された建物の多いシチリアは、第2次世界大戦前後を描くにはぴったりの場所だ。この映画はシラクーザだけでなく、タオルミーナやメッシーナでも撮影されている。シチリアはジュゼッペ・トルナトーレ監督の故郷である。

マレーナは平凡な人妻だが、他の女とちがうのは際立った美貌だった。彼女が歩くシーンが多いが、キャットウォークで訓練されたモデル出身のモニカ・ベルッチの姿は見飽きることがない。

マレーナはいつも目を伏せて歩く。哀愁のある男は多いが、哀愁のある美しい女というのは少ない。マレーナはその一人だ。

夫の戦死の誤報から町中の男やドイツ兵に体を売り、裸を惜しげもなく出して体当たり演技。女たちからは蔑まれる。それでも、とても救われる結末で、観てよかったと思った。

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ソフィア・ローレン

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この映画はイタリア映画ではないが、ソフィア・ローレンの100作目の記念作品なのでオマージュとして私のITALIA DIARYのほうにも載せておく。

邦題は[微笑みに出会う街角]という。モントリオールの街が舞台になっているとはいえ、誰がこんな安っぽい題を考えつくのだろうか。原題は[Between Strangers] この写真は一番最後の場面で3人の女性がまったく知らない人間としてひとつのテーブルにつくところ。だから題はそのままにしておいてほしかった。

3人の女性を演じるのは右からミラ・ソルヴィーノ、ソフィア・ローレン、デボラ・カーラ・アンガー。それぞれまったく異なる問題を内に秘めていて、それが同時並行しているのだが、話の移り方が上手でちっとも疲れない。

もちろんソフィア・ローレンが凄い。この写真のように笑ったのはただ一度このときだけ。あとは車椅子に乗る元軍人の夫と惨めな日々を送っている。おりしもイタリアの宝としてオリンピックの旗を持ったソフィアがこれほどまでに普通の惨めなbuttered wifeを演じられるとは!!

ピート・ポスルスウェイト演じる夫は憎らしい男だ。妻の外出がちょっと長いと、どこに行っていたんだ、と詰問する。足が不自由で世話をしてもらわなければならない状態なのに、「おれはお前なんか必要ない。お前は俺が必要だがな」と豪語する。

カメラワークも素晴らしい。たとえばこの豪語した後で夫はワイングラスを倒し自分にかけてしまう。しかし世話が必要ないと言った直後なので何も言えない。

カメラはゆっくりと壁を写して回る。台所の布巾がかかっている場所で停まる。そしてまたゆっくりと回って夫妻のところに戻る。

妻は台所の方に歩いていく。夫はその背中を見る。しかし妻は布巾には近寄らず、窓をあけて深呼吸するのだ。カメラは窓の外から大きく胸を広げるソフィア・ローレンを写す。その後ろのほうで夫が怒るのが見える。という具合。

夫は友人とのトランプではいんちきをやって金を巻き上げる。そしてくしゃくしゃの札束を大事に引き出しにしまっている。金を数えるのが楽しみだ。

ある日、妻はフィレンツエに行くという。夫は「スーパーより遠くに行ったことがないくせに」というが、妻の決心は固い。妻は自分が働いてためた1200ドルを交通費にするつもりなのだ。

夫は「おれがシャワーを浴びているうちにさっさと行け」という。取り上げた本はベッドの上にある、と示して。妻は大事な本を手にして表紙を開ける。そこにはかなりの札が挟んであった。その時のソフィアの演技には心打たれる。そしてピート・ポスルスウェイトにも。夫はシャワー室の真ん中に呆然といるだけなのだった。

すばらしい脚本と監督を担当した人はエドアルド・ポンティという。ソフィア・ローレンとカルロ・ポンティの息子である。たいてはこういう場合は親の七光だが、彼は南カルフォルニア大学を主席で卒業し、さらに後に博士号も取っている。頭が良いのだ。この映画は頭のよい監督が作ったきちんとした映画である。


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2006年02月13日

イタリア映画[イル・ポスティーノ]

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この映画はほとんどがサリーナ島で撮影された。ポラーラという小さな村の下に広がるビーチでとられたシーンは実際に自分が寄せては返す波をいつまでも眺めている気分になる。

郵便配達夫マリオや家族の話す言葉はゆっくりで解りやすく、イタリア語の感覚を取り戻すのに役立った。たとえば、ばあちゃんがいつも言う格言、”L'uccello che ha mangiato vole via!" 餌を食べた鳥は飛び立つ! とかをキャッチ。でも余りの緩慢な展開に眠たくなってしまった。2回中断して、3回目に最後まで観た。

この主人公のマリオは映画の中で死んでいくのだが、演じる俳優も映画ができた一ヵ月後に亡くなったのだ。私は、この人は病気なのに演技に集中しているのだ、思いながら不思議な気分で観た。

もうひとりの主人公はパブロ・ネルーダという有名な詩人なのだが、私は知らなかった。私は詩は好きなのだけれど、この詩人のようなメタフォール(隠喩)を連発する形容詞的な詩は好きじゃない。とても古臭くて、いかにも詩だという臭いがぷんぷんする。

映画としての評価は高いようだが、戦後のイタリアやこのアルゼンチンの詩人によほど思い入れがある場合以外は暗くて辛い印象だけ。

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