2014年03月28日

昼食はサルディニア料理のLe Virtu In Tavola、夕食はSapore Di Mare

2012年3月24日 教会美術の探索は脚が疲れるし、お腹が空く。

サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂のあとはすぐに食事をしたいと思って探したら、地元の人で混むサルディニア料理の店があった。Le Virtu in Tavola

食卓の徳というたいそうな名前だが、シンプルなレストラン。

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アンティパスタ2種

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旅行中はどうしても足りなくなるサラダ

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この辺はフツウだったが、

お目当てのカラスミのパスタが絶品

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ミニトマトを使うとよいのね。

このラテラン地区は観光客が少ないのでタクシー乗り場もなく、結局歩いてサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂まで行った。

スーパーSmaがあったのでパスタなどの買い物をしてホテルに帰り、一休み。ジェラート屋に行ったり。

夕方になってもお腹が空いてきて、近くのレストランへ。ジェラート屋とレストランの溢れる界隈のホテルにして本当によかった。

Sapore Di Mare

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発砲スチロールが飾ってあって魚河岸風だが、中は修道院を改装したいい感じのレストラン。

客でいっぱいで、ウェイターがきびきびと動き回っていた。

まずは、これでしょ!

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パスタは少し

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ムール貝!

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自分たちの好きなものだけ選んで食べられるのが一番。
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2014年03月26日

サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂のキオストロ(回廊)写真集

2012年3月24日、

サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂のキオストロ(回廊)に一歩入ると、明るい光に満ちていて驚いた。チェリオの丘の端に大聖堂の南側に造られていて大聖堂の陰にならず、一辺が36メートルと広いので光が入るのだ。

13世紀にコズマーティ家の流れを組む大理石職人ヴァッサレットたちによって造られたロマネスク様式からゴシック様式への移行期の建築だ。

なぜ、大聖堂に回廊が付いているのかというと、当時このあたり、アウレリウスの外壁との間にベネディクト派の修道院があり、修道僧たちが聖堂で奉仕していたのだという。

そういえば、サンティ・クワットロ・コロナーティの回廊もベネディクト修道院だった。

このブログは将来私が年を取ってお金がなくなりイタリアに行けなくなったときに楽しむために作っているので、あとは説明なしで写真集にしよう。

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こんなに素晴らしいところなのに人がほとんどいない! 

大聖堂は5分で通っただけで、ここには20分もいられた。
朝からずっと歩きどうしで疲れてしまったので、名残惜しかったけれど外に出た。
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サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂の聖堂の扉

2012年3月24日 サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂はローマにある4つの法王の大聖堂のひとつで最も古いものだ。だから、増設、改築が繰り返され様式が入り混じっていて美しくない。

ラテラーノ聖堂のから時計回りに半周しないと巨大なコンプレックスの玄関にはたどり着かない。せっせと歩く。

広場のオベリスクが青い空に映えて美しい。

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先端には十字架がついている。がっちりした台座の上には星があるような。

今まで見たオベリスクの上には何がついていたか、改めて見てみるとパンテオンの前の広場のオベリスクにもついていた。

こちらのほうが十字架の下の星がはっきりするが、やはりキージ家の紋章だろうか。

ソプラ・ミネルヴァ教会の前の広場のオベリスクを見てみると、あ、俵を積んだような例の山の形が見える。やはり星だけでもキージ家の紋章なのであった。

これらに比べるとナヴォ―ナ広場の四大河の噴水の中央に立つオベリスクには十字架は無くオリーブの葉を加えた鳩のブロンズ像が載っている。

エジプトから盗んできたものの上にさらに十字架をつけるのは冒涜だと思う。

入口の正面は真っ白なネオクラシカルなファサードだった。

ここにフォロ・ロマーノのクーリア、元老院から持ってきた聖堂の扉がある。

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額縁に入れられたみたいだ。

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中に入ると、巨大な大聖堂はごてごてと飾り立てられていて、ぞっとした。
あのボッローミニの執念が感じられる装飾過多である。
こうなると床の細かいコズマーティ様式も装飾過多の一部でしかない。

ふんだんに金をかけて造った教皇の大聖堂は4つとも似たような感じだ。
ヴァチカンのサン・ピエトロ、サンタ・マリア・マッジョーレ、もうひとつのサン・パウロ・フオーリ・レ・ムーラはまだ行ったことがないが、キオストロは見に行きたいと思っている場所。

室内で撮った写真はこれだけ。

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滞在時間5分、というツアー並のスピードで目的であるキオストロ、回廊に入った。

続く

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2014年03月25日

ラテラーノ洗礼堂

2012年3月24日 4世紀に建てられたラテラーノ洗礼堂は素敵だ。

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4世紀に建てられたこの八角形の洗礼堂はしばらくはローマで唯一の洗礼堂であり、その後の洗礼堂のプロトタイプとなった。

中は1637年にウルバヌス8世の命で大規模な改修が行われ立派な造りになっている。
外側とは天と地の差がある。

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洗礼桶のまわりには8本の斑岩の柱が立っている。
その上の古代の柱頭は形がバラバラである。

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その上に白い大理石の細い柱が立っている。

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天井は金ぴか。

こんな内装を見るために、12時半に閉まるからとせっせと歩いてきて損した気分だ。

そのとき、面白いものに気がついた。

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バルベリーニ家の紋章、3匹の蜂である。

ということはウルバヌス8世はバルベリーニ家出身なのだ。
調べると、彼の本名はマッフェオ・ヴィンチェンツォ・バルベリーニというのだった。

洗礼堂を出てもう一度素敵な外観を見ていたら、ここにも面白いものをみつけた。

山の上に星があるキージ家の紋章だ。俵が積んであるみたいだが、山である。

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調べてみると、キージ家出身の法王は1655−67に在位したアレクサンドロ7世だった。

ということは、ウルバヌス8世とアレクサンドロ7世の間にはもうひとりいる。

調べてみると、それはインノケンティウス(インノチェンツォ)10世(1644−55)だった。
ドーリア・パンフィーリ宮殿にベラスケスが描いた肖像画があるあの方!

ということはキージ家の山のとなりの鍵が交差する紋章はパンフィーリ家のものなのね。

ということは、中はウルバヌス8世が造らせたが、外の改修はインノケンティウス10世とアレクサンドロ7世が命じて17世紀半ばにできたってことだろう。

ちなみに、インノケンティウス10世は法王になるとまずバルベリーニ家一族の弾劾から始めた。その後、法王の世襲制がなくなることになる。

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サンティ・クワットロ・コロナーティ聖堂、コズマーティ様式の回廊

2012年3月24日 このサンティ・クワットロ・コロナーティはひとつの教会ではない。

4世紀の聖堂、枢機卿の住居部分、ベネディクト派の修道院、そして13世紀初めに造られた回廊からなるコンプレックスである。

16世紀にアウグスティノ修道会の手に渡り、女子孤児院として利用され、赤ちゃんポストが置かれるなど、尼僧たちによる活動がされていた。暗いジメジメした雰囲気は破壊、再建、荒廃を繰り返した歴史を感じさせる。

私の目的である回廊もゴシックの雰囲気が残るジメッとした場所だった。

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手前に石が置かれているが、20世紀初頭に地域のFine Arts Superintendent Antonio Muñozがこの回廊を修復した際に掘り出した古い美術品である。

彼の働きはイタリアの美術品修復のマイルストーンになったほど素晴らしいものだった。
 
内側のオレンジ色の模様が美しい。

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この回廊は13世紀の初めに造られ、最も古いコズマーティ様式の建築物である。

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中世の回廊好きの私には堪えられない美しさだ。

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細かい石で模様が作られている。素朴でhumbleな装飾だ。

さて、修復から1世紀たち、もっと根本的な修復の必要がでてきた。
それは庭の部分の排水だ。

2002年にポール・ゲッティ財団などの援助を受けWMF(WORLD MONUMENTS FUND)は庭を元のレベルまで掘り起し、歴史的価値のない舗装を取り除き、排水設備を施した。

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一見単純すぎるデザインだが、この下にはそういう設備ができているのだ。

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いつも日陰になってしまう中庭の湿気が建物をだめにするので、必要だった。

しかしこの回廊はまだまだ修復が必要で、少しづつ行われるようだ。

13世紀に造られたときは決して古びた建物ではなかったわけで、美しい13世紀の建築が再現されるのはありがたいことだ。

それで、寄付金を入れるボックスに、私にはめずらしく20ユーロも献金した。

今日は朝から精力的に見たい教会を回った。

サンタ・プデンツィアーナ、サンタ・プラッセーデ、サンタ・マリア・マッジョーレ、サン・クレメンテ、そしてこのサンティ・クワットロ・コロナーティ。

タクシーに3度乗って、時間と体力を稼いで観てきたが、これからは歩いてラテラーノに行く。
歩くのは構わないが、ラテラーノ洗礼堂は12時半で閉まってしまう。

それで、2002年に修道院の旧ゴシック・ホールの修復中に発見されたフレスコ画を見る時間がなかった。次回、もし、ローマにまた来ることがあれば、見に行きたい。




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2014年03月24日

サンティ・クワットロ・コロナーティ聖堂、聖アウグスティノ修道会

2012年3月24日 地図を見るとサン・クレメント教会から細い道が折れ曲がってサンティ・クワットロ・コロナーティ聖堂に続くようになるが、つづら折りの坂を上るのだった。

その先に要塞のような建物が現れた。中世の騎士が出て来そうである。

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チェリオの丘の西端に位置するこの教会はラテラーノの法王を守る要塞の役目をもっていた。

入口を入ると9世紀に造られたコートヤードがある。

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そして、この先にもコートヤードがあるようなのだ。

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2つも中庭があるなんて、面白い造りだが、1084年にロベール・ジスカールの軍隊によって壊滅的に壊されたあと、法王も全部の再建は諦めて、身廊の半分はコートヤードにしたのだった。

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その後、枢機卿の住居部分が増設され、北側は外国の侵入を防ぐために外壁を強固にした。
外から見たときに要塞のようだと思ったわけだ。

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ここは法王がフランス人にかわってアヴィニョンに法王庁を移してからは役目を失い、荒廃した。

法王がアヴィニョンから戻ってから、一時は再建の動きもあったが、法王庁がヴァチカンに移ると全く必要なくなり、1564年に聖アウグスティノ修道会の手に渡った。

16、17世紀にはこのコートヤードの回りは改築され、18、19世紀は孤児院(女子)として使われていた。

ここから古い教会に入る。

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小さなフレスコ画に描かれた4人の人物

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この聖堂の名前になっている4人の無名の聖人・殉教者たちだ。
サンティ・クワットロ・コロナーティ、4人の桂冠聖人である。

聖堂の内部は11世紀末から再建されたもの。

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アプシスは5世紀のままの形だというが、あまり興味がなかったのか、コズマーティ様式の床だけ撮ってある。

横の壁にもフレスコ画が少し残っている。

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ずっと実用的に使われていた建物であり、中世の文化遺産として本格的に修復保存が始まったのは20世紀になってからだ。

でも、正面玄関の崩れたレンガはあのままにしておいてほしい。
ここが荒廃していた時期をしのばせるものだから。

13世紀のベネディクト派の回廊については次に書く。



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2014年03月21日

サン・クレメンテ教会 

2012年3月24日  サン・クレメンテ教会の古い銅版画を見ると、この辺りはほとんど変わっていないことがわかる。

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右側の壁は中世の建築物でオフィスとして使われていた。

美しいレンガの壁。入口は手前にドーリア、後ろにイオニア様式の円柱で支えられている。

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この間を通って中に入るようになっている。

中庭の向うに教会が見える。

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ここは一見、修道院の回廊のように見えるが、アトリウムである。

現在のアトリウムと同じく、出店が出たりして商業活動が行われていた。

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古い建物の廃材とみられる石が敷いてあるので殺風景な印象だが、
円柱は当時は高価な材料で、贅沢な装飾であった。

この教会も古い教会の上に建てられているので、柱は再利用されたもので、柱頭の飾りの様式も異なる。

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教会側のこの2つのピンク色の円柱がアスワンから切り出したというものだと思う。

なぜ教会には暑い国の棕櫚があるのだろう、と思ったことがあったが、棕櫚(なつめやし)はキリストの育った国の植物で、エルサレム入場の際、人々が道に敷いた葉である。

サン・クレメンテ教会の中庭には棕櫚以外の植物は無く、これもすっきりとしていてよい。

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上の階に上る階段

これは古い教会の名残だろうか、壁に埋まっている。

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というように外観には感激したのだが、中は暗くて天井が見えなかったので、つまらなかった。

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アプシスのモザイクは目を凝らしてこのくらい。

修正して見てみると他のアプシスとは全く違うデザインが面白かった。

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アカンサスの木が全面を覆っていて、サンタ・マリア・マッジョーレ教会のモザイク画のようだが、全く違うところがある。

このアカンサスは中央から一本出ているもので、生命の樹なのである。

ユニークなのは磔刑の十字架がアカンサスの茎から伸びていることだ。
十字架には12匹の白い鳩、12使徒がとまっているのも初めて見たデザイン。

十字架の左右はマリアとヨハネで後世の降架の絵にあるようなマグダラのマリアはいない。

この教会の特色として、地下のミトラ神殿があるので、もちろんそこにも行った。
費用をかけて安全に配慮して作られた路だったが、穴倉が嫌いで、インディー・ジョーンズの映画も見られない私には苦痛だった。
入場料を取るのに写真も撮れないし、ぶつぶつ言いながら教会を出た。

教会の外は木々の芽が吹きだして、春だった。

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カンパニュラも春の光を浴びてきれいだ。

この辺りはパリの下町みたいな雰囲気。向かいのカフェでお茶。
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2014年03月18日

サンタ・マッジョーレ教会、アプシスのモザイク画(2) 下段と上段

2012年3月24日、 サンタ・マッジョーレ教会のアプシスの下段にはマリアの生涯が描かれているが、ここでも高い主祭壇が邪魔をしていて、真後ろ(中央)にあるマリアの死(被昇天の前)は全く見えなかった。

かろうじて隅の絵が見えるが、左隅は生誕のようだ。

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右隅はイエスの割礼のようだ。白い桶に血が溜まっている。

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上の様式化されたモザイク画と比べると稚拙な感じがする。場所が狭いからか。

周りのモザイク画をデザインした人は中央とは違うかもしれない。

上部にはヨハネの黙示録のシーンが描かれている。

虹色の天国の雲の中には右は牛のマタイと鷲のヨハネ、いつもこの順序で描かれる。

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下は24人の長老たち

バンドには鳥や花が描かれ、ち密なモザイク画である。

左隅は人間のルカしか見えないが、左にライオンのマルコがいるはず。

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ルカの右側に棒が立っているのは天国を表す7本の燭台

中央には玉座に子羊がいる。その下段のバンドの中にキリストのモノグラムが見える。

XとPの組み合わせ、Chi−Rhoだが、両側にΑとΩが描いてある。

全能の神の「我は始まりであり終わりである」という意味だが、キリストに付加されると、全能者キリストとなる。このアプシスのキリストは全能者キリストなのである。

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玉座の下に7つの封印の本があるが、子羊が手にしているのは、いつもの「我は光なり」とかいうフライヤーだろうか。

それとも、封印のひとつを開けたところだろうか? まさか・・

7つの封印は7つの目と7つの角を持った子羊によって開けられると書いてあるが、今までそういう絵を見たことがない。7つの目も角も何かの比ゆなのかしらん。

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サンタ・マッジョーレ教会、アプシスのモザイク画(1) マリアの戴冠

2012年3月24日 サンタ・マッジョーレ教会のアプシスはちょっと奥まったところにあり、2008年に訪れたときはほとんど見えなかった。

今回はカメラの性能が多少良くなったのか、写真を調整してみると良く見えた。

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円形の中にキリストとマリアがいて、全体がアカンサスの文様で覆われて、国際ゴシック様式の天使たちが音楽をかなでる素晴らしいモザイク画だった。

キリストがマリアに冠を授けているところである。

サンタ・マリア・イン・トラステベレの戴冠式の神々しいマリアと比べると地味な服だ。

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しかし、マリアのサイズがキリストと同じで、ひとつの椅子に座った二人は同等の扱いである。
この教会がマリアをMOTHER OF CHURCHとして重んじたからだと思う。

服装が地味なのは、たぶん、デザインした人がフランチェスコ修道会のジャコポ・トリッティだからではないかと思う。

実は、古いアプシスを壊して現在のアプシスを造らせたのはフランチェスコ派としては初めての法王ニコラスIV世なのである。

左側のパウロとペテロの後ろには、こういう絵には珍しくサン・フランチェスコがおられるではないか!

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法王ニコラスIV世は赤い法服で参加しているが、小さい。
サンタ・プラッセーデ教会のアプシスのモザイク画では法王パスカリス一世は自分を同じ大きさで描かせている。
それと比べるとなんとhumbleな方だろう。

右側に並ぶのは、洗礼者ヨハネ、エヴァンジェリストのヨハネ、そしてアッシジのフランチェスコに共感して入会したパドヴァのアントニオが描かれている。

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手前の小さな人物は財政面を担ったコロンナ枢機卿である。

ローマにおいて、フランチェスコ派の個性が感じられるモザイク画を見るとは想像していなかった。

マリアとキリストの足元には太陽と月が描かれている。

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ぼやけているが、外枠の4本の線は天国の4本の川だ。
じっと見ると、水を飲んでいる鹿も見える。
すると、その下の小さな街は天国のエルサレムだろうか。

もっともっと細かく見られたら面白いのになあ、と思う。



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2014年03月17日

サンタ・マリア・マッジョーレ教会、勝利のアーチの5世紀のモザイク画の解読

2012年3月24日、

431年のエフェソス公会議でマリアがイエス・キリストの母ではなく神の母と解釈されたので、法王シクストゥス3世は大きな(マッジョーレ)サンタ・マリア教会を造ってキリスト教の中心にしようと張り切った。

神の母でも神はキリストなんだから同じことなのだが、キリストの神格化によりマリアも繰り上げ当選という感じだろうか。

勝利のアーチの中央にシクストゥスが神の民のためにエスクリーノ(の丘に)建てたことが記されている。
シクストゥスの目指したキリスト教の中心である教会、という願望は達成された。
アヴィニョンの幽閉が解けた後、ヴァチカンに移るまで、法王庁はここにあったのである。
現在でも、HOLY SEEのひとつである。

下方のアーチ下の部分にはキリストのモノグラムが見える。

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上方には空の玉座に十字架が置かれている(ここでは立っている)。両側はパウロとペテロ。
後ろに4匹の有翼の動物の形を借りたエヴァンジェリストたち。

ヨハネの黙示録的な題材はここまでで、アーチに描かれているのはマリアと幼子イエスの物語である。

左上から、受胎告知、右側がヨセフへの告知

マリアは驚いた仕草ではなく、どっしりと座っている。上に精霊の鳩が見える。

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中段はマギの礼拝。イエスは一人で大きな椅子に座っている。
下段はヘロデ王の幼児虐殺。右の青い服はエリザベスで幼いヨハネ(洗礼者)を抱いて逃げるところ。

一番下には街が描かれている。生誕の地ベツレヘム。

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羊が6匹。

右側上段はイエスの神殿奉献。生後40日目にエルサレム神殿に赴いた。

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右下の街はエルサレムである。

上段の右側はエジプトへの逃避。マリアはイエスを抱いて逃げるところ。他の人は寝ている。

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中段は聖家族がエジプトの街で村長や村人と出会うところ。

下段は3賢人がヘロデ王に進言しに行くところ。ヘロデ王はもう老人だ。

この勝利のアーチのモザイク画と同じ時期に造られた身廊内側のモザイク画

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アカンサスの文様の方がすてきだ。絵は両側の窓が目を晦ますので良く見えない。

テーマは旧約聖書で、この絵に描かれているのはモーゼだろうか。

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古いモザイク画はは好きなんだけれど、ここの5世紀のモザイク画には少しも感動しない。

写実的で小学生が描いた絵みたいだからか。

やはり、モザイク画は様式化された平坦なものが素敵だ。
アカンサスの文様やこのアーチの後ろ側にあるアプシスのモザイクみたいに。
(続く)


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サンタ・マリア・マッジョーレ教会、コズマーティ様式の床、ベルニーニのお墓、etc.

2012年3月24日、サンタ・マリア・マッジョーレ教会の床は多くのコズマーティ様式のものが残っている。

オスティア・アンティーカの遺跡でもよく見られた結び目(KNOT)に似ている。

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ダヴィデの星

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修復もちゃんとされたみたいだ。

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材料は古い建物に用いられたものなどを細かく砕いて使ったようだ。

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円形は柱を横に切ったものである。

この大きな円形の中にΑとキリストのモノグラムとΩが描かれている。

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周りにも字が彫ってあるから重要なものなのだろう。

この床の美しさに比べ、天井は醜悪だ。

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枠天井は金を張ってある。これだけなら好みではないが醜悪とは思わない。

でも、この金がスペインのフェルナンドとイザベラが寄付したものとなると話は違う。
スペインのラテン・アメリカでの蛮行、強奪の結果である。

スペインは忘れて、今回の目的だったベルニーニのお墓を探した。

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ありました! ラテン語でジャン・ロレンツォ・ベルニーニと書かれている。

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ローマの美術に貢献した、と献辞が書かれている。
ジャン・ロレンツォだけでなく、ファミリーのお墓である。
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2014年03月14日

サンタ・プラッセーデ教会、サン・ゼノ礼拝堂、側壁のモザイク画(3)(4)

2012年3月24日、サン・ゼノ礼拝堂の女性のモザイク画の向かいの壁にあるのが3人の男性が描かれたモザイク画。

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記されているので、3人がそれぞれ使徒のヨハネ、ヤコブ、アンドレ、であると分かっている。

捧げものを持って行く先はやはり小さなニッチで、豪華に飾られている。
何か意味があるのだと思われる。

その下の小さなスペースにはキリストを中心に男性が2人描かれている。

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可能性としては主祭ヴァレンタインと助祭ゼノだが、記されていないので分からない。

さて、次のモザイク画が2008年にはお粗末な解釈をしてしまった絵だ。

ペテロ(左、鍵を持っている方)とパウロが指しているものが十字架のある王冠に見えたのだった。

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ちょっと勉強したので、今では胸を張ってこれが天の玉座であり紫色のクッションの上に十字架が置いてあるのだと言える! 椅子の下には7つの封印の書物がある。

サンタ・プレッセーデ教会のアプスのモザイク画ではこの玉座に神の子羊が座っている

椅子には十字架が置かれているだけで空である。

中央の全能者キリストのアイコンの真下にこの絵はあるので、教会のテーマがキリストの再臨であることから、ペテロとパウロの差し出す手が「どうぞ」と言っているように感じた。

サンタ・プラッセーデ教会のモザイク画は、ヨハネの黙示録とキリストの再臨のテーマに貫かれたとても興味深い教会だった。

山登りでも上に登れば違う景色が見られるように、自分が成長すると同じものでも興味深く見られるようになる。

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サンタ・プラッセーデ教会、サン・ゼノ礼拝堂、側壁のモザイク画(2)

2012年3月24日、サン・ゼノ礼拝堂のこの壁面のモザイクも素晴らしい。

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美しい女性が描かれていて、下の野原に咲く花も見事だ。

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女性たちは記されているので、サンタ・プラッセーデ、サンタ・プデンツィアーナ、サンタ・アグネスである。

彼女たちは捧げものを運んでいる様子で、上のニッチはその対象を示しているのだろう。

この下の小さなニッチには興味深いモザイク画が3つある。

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一つ目のモザイク画は神の子羊と4匹の鹿の絵。

4つの川は黙示録に描かれた神の国の川で、蜜の川ピソン、乳の川ユフラテ、オリーブ油の川ギボン、ぶどう酒の川ティグリス。

鹿をはじめ、動物も地上で虐げられた人たちも神の国ではこれらを享受できるのだった。

図像で4つ描かれる場合はたいていエヴァンジェリストたちだが、解釈はいろいろだろう。

二つ目のモザイク画は下段の4人の人物。

左端がパスカリス法王の母、テオドラであることは記されているのでわかる。
なぜ四角いものをかぶっているかは2008年に初めて見たときはわからなったが、テオドラが聖女として扱われる前、つまり生きているときに作られたので聖女の光輪とは形が違うのであった。

パスカリス法王かと思ったときもあったが、確かにアプスの教会を持つパスカリスと似た顔立ちだ。親子はかなり本人に似せて描かれているのかもしれない。

右から2番目は赤い服に青いマントで、マリアである。
その両側はサンタ・プデンツィアーナとサンタ・プラッセーデだが、いつも片方が十字架をしている。
どっちがどっちなのか、そのうち解る時がくるかもしれない。

3つ目のモザイクはこの側面にある。

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キリストが地獄の門を吹き飛ばし、アダムとイヴをはじめ旧約聖書の登場人物たちを救済する。
今まで見たことがなかったのは、この題が私の嫌いな墓に描かれるものだからだろう。

ニッチの上部のモザイク画は他と違うデザインで、これも美しい。

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サンタ・プラッセーデ教会、サン・ゼノ礼拝堂、側壁のモザイク画(1)

2012年 3月24日、 アプシスでキリストの顔を上下逆の撮ったのは次への関連を示すためだ。

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キリストの頭の上に四角い窓が開いている。

この両側に描かれているのは聖母マリアと洗礼者ヨハネである。

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彼らの姿勢と視線の方向を見ると、この窓がある。

この教会のテーマ、再臨からすると、天上のキリストがこの窓から降りてくるのを待っているとか。
私の想像だけど。

下のニッチにもキリストたちのモザイクがある。

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こちらは記されていないので、誰だかわからない。
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2014年03月13日

サンタ・プラッセーデ教会、サン・ゼノ礼拝堂の祭壇とアプシスのモザイク

2012年3月24日、 サン・ゼノ礼拝堂はカタコンベの形を模しているので狭い空間で、正面にあるこの祭壇はとって付けたみたいだと思ったら、17世紀のものだった。

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中のモザイク画は13世紀のもので、〔マドンナと神の子〕が描かれている。

〔聖母子像〕と違って、偉そうな立派な子供である。

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両側はサンタ・プラッセーデとサンタ・プデンツィアーナ

祭壇のニッチの天井のモチーフはブドウの木の蔦の間に動物や花が描かれたデザイン

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他のニッチの天井にも同じ紋様があるが、ここが修復されたのか最もきれいだ。

その上方にアプシスがある。

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天使を柱に見立てたこのデザインの素晴らしさ!

一緒にラベンナに行った同行者はここは初めてだったが、大感激していた。

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中央には〔全能者キリスト〕が描かれている。
右手の指はまっすぐで、聖書ではなくスクロールのようなものを持っているが、パントクラトールである。

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サンタ・プラッセーデ教会、サン・ゼノ礼拝堂入口

2012年3月24日、法王パスカリス1世が母親テオドラの霊廟として造ったサン・ゼノ礼拝堂の入口は小さいが、サンタ・プラッセーデ教会内のどこよりも豪華である。

上のモザイクにすぐに目が行ってしまって見落とすが、両側の柱は黒い御影石と青いラピスでできていて、当時ではたいへん高価な建材だ。

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イオニア様式の柱頭の間には芸術品を造ったパスカリスへの賛辞がなんたらかんたら書かれている。

中央にある埋葬の壺には母親テオドラの骨が入っている。

馬蹄型のモザイク画は外側がキリストを中央に12使徒、内側は聖母マリアを中心にビザンチン風の女性たちが描かれている。

どれが誰かは不明だが、礼拝堂内部のモザイクに記されているプラッセーデとプデンツィアーナ姉妹、聖アグネスはいると思われる。

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右上と左上の隅にはモーゼとエリヤが描かれている。

右下と左下には法王の帽子をかぶった人物がいる。年を取っているほうがパスカリスだと思われる。
法服からみると19世紀のモザイクであるとわかるが、それでももう一人が誰かは定かではない。

聖母マリアの両脇には助祭と主祭が描かれている。

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アプシスにも描かれている助祭ゼノと主祭ヴァレンタインであると思われる。
助祭はゼノという名前だがサン・ゼノ礼拝堂とは関係ない。

そもそも、なぜここにサン・ゼノの遺骨があるのか(カタコンベから持ち込まれたというが)、そもそもサン・ゼノという人物は何をした人なのか、今ではわからなくなっている。

確かなのはこの礼拝堂がサン・ゼノ礼拝堂という名前であるということだ。
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サンタ・プラッセーデ教会 アプシスのモザイク画

2012年3月24日 法王パスカリス一世の命によって造られたアプシスのモザイク画は、上の部分は残っているが、下の部分は失われている。

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さらに18世紀には残っていた中央の部分も壊され、〔殉教者の血を集めるプラッセーデ〕という平凡な油絵がかけられた。

しかし、一番の冒涜はこの大理石で造られた聖壇である。

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中央の青いバンドの上に12使徒の羊が見えるが、中央の肝心な神の羊は全く見えない。

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羊は左右にあるベツレヘムとエルサレムの街から出てくるのである。
ラベンナのモザイクでも見たデザインだったのに残念だ。

聖壇上の天使像を避けながら一生懸命に見る。

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羊が4匹きれいに見える。羊の上の青い線は図像で広く用いられる洗礼の象徴だ。
この絵ではヨルダン川であると記されている。

右がキリストで、後ろの熱帯魚のようなものは雲を表している。神々しく輝いているのである。
左の3人とは並んでいるわけではない。天と地の違いが雲によって表されている。

上の白いイワシ雲の中から父なる神の手が伸びて、キリストに勝利のリースを授けようとしている。
宗教に勝利というと違和感があるが、宗教も世界制覇を狙うものであった。宗教こそが。

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キリストの左の男性はパウロでプラッセーデ(又はプデンツィアーナ)の肩に手をかけ、キリストに紹介している。左右どちらがプラッセーデかは記されているらしいが、見えない。

右上方に玉座に座る神の子羊がよく見える。玉座の下には7つの封印の書物がある。

その下にあるのが法王パスカリウス一世のモノグラム。これはオリジナルのまま。

一番左の男性がパスカリスで、四角い変わった形の光輪をつけている。
これはパスカリウスが存命中なのでまだ聖人とは呼べないことを示している。

手には教会の模型を持ち、ひたすらにキリストにへつらうという雰囲気。

パスカリウスは永遠に生きることに執着し、左のナツメヤシの上にフェニックスを留らせている。

右側のナツメヤシにはフェニックスはいないので、自分のためだけに置いているのだ。

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キリストの右はペテロ、やはり姉妹のひとりの肩に手をかけて紹介している。

一番右は助祭の服装であるが、誰だかは定かではない。
ゼノという名の助祭はここにいたらしいが、ここに飾られるほど重要だったのだろうか?
サン・ゼノという説もあったらしいが、今では支持されていないようだ。

当時は同じ名前の聖職者が大勢いて混同されることが多かった上、学者たちが安易に説を立て、ますますこんがらがっているらしい。




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2014年03月12日

サンタ・プラッセーデ教会 勝利のアーチのモザイクは黙示録がテーマ

2012年3月24日 サンタ・プラッセーデ教会の勝利のアーチのモザイクは法王(聖)パスカリス一世(817-24)の命で作られた。

モザイクの中に登場するパスカリスは他の聖者とは異なる四角い光輪をつけているので、存命中に作り上げられたものだ。

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短期間で造られたからか、パスカリスが造詣の深い人物であったからか、テーマがヨハネの黙示録とキリストの再臨で統一されている。これは凄いことだと思う。

まず、一番上の勝利のアーチから見ていく。

中央がキリストで両側は天使。
左右に6人づつの使徒たち、中央の右がプラッセーデで左は聖母と洗礼者ヨハネ。
両隅にいるのは、モザイク画ではいつもこういう使われ方をするモーゼとエリア。

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ここで面白いのは彼らが金色のブロックのようなもので囲まれていること。
ここは天国のエルサレム、Heavenly Jerusalem予知された都市である。

そのゲートには天使が立っていて花咲く野原にが聖人たちが集まっている。

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その下に棕櫚の枝と冠を持っている集団は殉教者たち。
後の代の法王により石造りの棚が造られてしまって陰になっている。残念なことだ。

右側の門にも聖人の集団が描かれている。

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天使の両側にいるのはパウロとペテロ。

アーチの縁にあるこのモノグラムは気になったが解読しようにもできなかった。

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今回、パスカリス法王のモノグラムであることがわかった。

この下には2つ目のアーチがあり、その間には星空が広がる。

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中央の玉座には神の子羊が座り、玉座の下に黙示録に出てくる7つの封印の本がある。

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右に4つ、左に3つ棒のようなものが見えるが、天国を表す7つの燭台。

アーチの中央に二つ目のパスカリス法王のモノグラム

ヨハネの黙示録といえば有翼の動物で表されるエヴァンジェリストたち

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牛のマタイ、鷲のヨハネ、

ライオンのマルコ、人間のルカ、下には12人づつの白い服の人たち

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塊のように見えるが、黙示録4:4によると、〔御座のまわりには二十四の座があって、二十四人の長老が白い衣を身にまとい、頭に金の冠をかぶって、それらの座についていた〕

ほんとうに、見事なまでに黙示録の世界だけを閉じ込めたモザイク画なのであった。

感激。
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ローマで一番好きな教会、サンタ・プラッセーデ教会再訪

2012年3月24日、サンタ・プラッセーデ教会の小さな入口

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再びここに来れたことに感謝する。

いつも、ローマはこれが最後だと思うが、今度こそこれで最後だと思う。

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2008年10月に初めてサンタ・プラッセーデ教会に来たときはアメリカ人の団体のためのミサがあって、このベンチから先には進めなかった。アプスのモザイクも遠くからでは見えなくて残念だった。

そこで、今回は人の少ない朝早くに来たのだが、誰もいない!
床のモザイクの大きな黒い円形は殉教したサンタ・プラッセーデが葬られたという井戸の場所。
(実際は一番後ろのモザイクだが、すべて逸話だから、まあいいでしょう)


人がいないおかげで床もしっかりと鑑賞できた。
現在の床は20世紀前半に造られたものだが、コズマーティ様式に忠実である。

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2008年からもう5年たち、2012年の旅行からも2年たち、写真から記憶を呼び起こすのがたいへんになっていた。

つくづく2013年の冬を「どうぶつの森」のゲームで無駄に使ってしまって後悔していた。

しかし、この間にカトリック教会のWEBページが充実し、今までの疑問がするすると解けた。
全くの独学で図像学を齧っている私には素晴らしい環境だ。
3月末には別荘に移って11月までコテージガーデンの整備をするから、急がないと。



posted by iconologist at 13:08| '12 ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月11日

サンタ・プデンツィアーナ教会アプスのモザイクの解読

2012年3月24日 サンタ・プデンツィアーナ教会に来た理由はアプスのモザイク画を見るためだった。

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遠くから見るとフレスコ画のように見えるが、4世紀末から5世紀初めにかけて造られたモザイク画だ。

ラベンナと比べられるが、実際にラベンナをじっくりと見たので、それには及ばないと思った。

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それでも、ローマの小さな古い教会に4世紀のモザイク画が残っているのは素晴らしい事だ。

16世紀に大幅な修復が行われて使徒が2人減り、10人しかいない。
どこから2人削ったのかわからないが、右端は修復の多かった場所だという。

キリストの両側は左がパウロ、右がペテロである。
どちらにも女性がリースを差し出している。

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キリストは人間的に描かれているというが、むしろ父なる神の風体で描かれている。
黄金の着衣、宝石のちりばめられた十字架もキリストには豪華すぎる。

十字架が立っているゴルゴダの丘とは不釣り合いだ。

こういう絵の背景にある街はたいていエルサレムとベツレヘムである。
でも、よく見るとラベンナの絵などにある建物ではなく、ローマ遺跡が描かれている。
制作当時の教会周辺を描いたものだといわれる。

女性二人のうち、右側のペテロに冠を差し出しているのがプデンツィアーナだ。

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他の説もあるが、プデンツィアーナとプラッセーデでない女性をわざわざ2人も描く場面ではないと思う。

空にはエヴァンジェリストが翼をつけた動物のアイコンで描かれている。

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牛はマタイ、鷲はヨハネ

ライオンはマルコ、泳いでいるような人間はルカ(羽があるから天使に見えるが)

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図像学を齧っている者はこういうモザイクを見つけると感激する。
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サンタ・プデンツィアーナ教会

2012年3月24日 今日も初めて訪れる場所が多いので、朝早くから張り切る。 

誰もいないパンテオン前の広場は古い絵を見ているようだ。

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サンタ・プデンツィアーナ教会には開館の少し前に着いた。

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2世紀のピウス1世の時代に造られた建物の上に4世紀に建てられたローマで最も古いキリスト教信仰の場所である。

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後ろの鐘楼は13世紀のもので、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の鐘楼と似ている。

しかし、8時半をとっくに過ぎても誰も出てこない。

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ロートアイアンの柵の前にはなぜか、アジア系の人たちが数人開門を待っている。

あとで知ったのだが、ここはフィリピン人のための教会と定められているのだった。

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ファサードの剥げたフレスコ画を眺めたりしていたら、鍵の束を持ったシスターが坂の上から現れて門を開けた。

建物は道から階段を降りたところに建っている。

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長いことローマン・バスがあった場所だとされていたが、浴場に必要な設備が発見されないので逸話かもしれないとも言われる。

屋根の下とドアウェイの上にフレスコ画がある。

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修復されたり、されなかったりで、自然に残っている。

面白いのはこのフリーズだ。11世紀に作られたもの。

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中央が神の羊、キリストで、右側の女性がサンタ・プデンツィアーナ、左がサンタ・プラッセーデ、二人は姉妹である。いわゆる処女で処刑されて聖女になった人たちだ。

教会の基となった古い家はDOMUS PUDENTEと呼ばれ、元老院議員のプデンテの家であったといわれる。そこにペテロが7年滞在して娘の姉妹たちとも会ったといわれる。

しかし、この聖女たちは存在しなかった可能性が強い。
最近カトリック教会の聖人カレンダーから除去されている。

古い教会なので、その始まりはまだまだ論議中である。
事実かもしれないし、レジェンドかもしれない。



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2014年03月10日

ヴィットリオ・エマヌエーレ記念堂の最上階からローマを眺める。

2012年3月23日、ヴィットリオ・エマヌエーレ記念堂は中段のテラスから最上階にはエレベーターで上れた。

4頭立ての馬車を操る勝利の女神像。

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東側

西側

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夕日を背にして詩的である。

この間を歩いて遮るものの無い景色を堪能する。

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北のヴェネツィア広場側は街並みが広がっている。

楽しいのは南側

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コロッセオもフォロ・ロマーノも、パラティーノの丘も全てが視野に入る。
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2014年03月09日

ヴィットリオのテラスから見るトラヤヌスのフォロとカエサルのフォロ

2013年3月23日 邪魔だと言っていたエマヌエーレ2世記念堂だが、このテラスにはアラチェリ教会の外から歩いて入れるようになっていて、便利だった。

東側に広がる景色。

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フォーリ・インぺリアーリは木立に隠れて見えないが、トラヤヌス帝のフォロが良く見える。

半円形のトラヤヌスのマーケットが見える。

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木立の上にフォーリ・インぺリアーリの数本の円柱も見えていた。

こちらはカエサルのフォロ、フォロ・ジュリア−ノだが、こういう角度で見られる場所は少ない。

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3本の柱はウェヌス・ジェネトリクス神殿の跡。
手前は西側のポルティコの跡。西側のポルティコはフォーリ・インペリアーリ通りの下にある。

カエサルは自分の祖先はウェヌスだとしてウェヌス・ジェニトリクス神殿を作った。
ジェニトリクスとは生物学的母親という意味。

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このフォロはカエサルの死後に壊れ、再建するも壊れ、遺跡はディオクレティアヌス帝の時代に造られたものの残骸である。


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2014年03月08日

サンタ・マリア・イン・アラチェリ教会

2012年3月23日 サンタ・マリア・イン・アラチェリ(アラコエリ)教会はカピトリーニ美術館の隣にある。手前のカンピドーリ広場に上る階段の緩やかさと比べると急で長い階段だ。

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それにしても、このふたつの建物ほどの不調和はイタリアにはめづらしい。
ヴィットリオは〔ローマの休日〕でオードリーが走ったヴェネツィア広場から見ればきれいだが、横から見ると邪魔である。

サンタ・マリア・イン・アラチェリ教会のファサードはロマネスク様式だ。

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こんなに大きなレンガのファサードは他に類がないと思う。

当初この教会はこの丘にあった修道院の一部として建てられ、サンタ・マリア・イン・カンピトリーオと呼ばれていた。 

それが、間もなくサンタ・マリア・イン・アラチェリと呼ばれるようになった。

中世の逸話に基づく話なので私は省略するが、アラチェリとはARA CIELOを繋げたもので、ARAは英語でいうAltar, 祭壇。CIELOは空(=天国)である。

丘の上に建つシンプルでがっちりした建物は天国の祭壇という名前がふさわしいとは思う。
古いリトグラフを見るとヴィットリオが無く、アラチェリが最も高い。
これなら、確かに、アラチェリ、天国の祭壇という感じがする。

18世紀の絵では幅広い階段は行列などの儀式に活用されていたようで、今ではヴィットリオの裏側に追いやられてしまったが、歴史のある教会である。(前のリトグラフと比べると窓の外側のゴシック的装飾が剥げ落ちていて、今と同じ外観に戻っている)

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上から見ると階段の高さだけでなく、その幅広さがよくわかる。

この124段の階段は14世紀にコーラ・ディ・リエンツォの指示で造られたのだった。
(その横で殺されるとは、何という運命だろう)

教会内部は主にゴシック様式だ。

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完成が18世紀だから、バロックも入る。
長い年月をかける教会建築はひとつの様式で統一することは不可能である。

それで教会内部はどうしてもごちゃごちゃした印象となる。

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円柱は古代ローマのもの。ローマ2000年の歴史が詰め込まれている。 

すてきなもの、発見。

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このシャンデリアの縁取りはたいへん気に入った。

天井は枠天井になっていて、立派な造りだ。

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1571年のレパントの海戦の勝利を祝ったものだ。

床の大理石細工はシンプルなものだ。

コズマ風と書いてあったので期待していたが、コズマーティ様式は12世紀末からで、この床はもっと古い。

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8世紀ごろの作品だとすれば建設以前のことだ。
壊したビザンチン様式の修道院の建物から持ってきたのだろうか。

両側の円柱も古代ローマの遺跡から出たものだが、これも前の建物の柱を利用したのだろう。


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2014年03月07日

カンチェッレリア宮殿の回廊

2012年3月23日

カンチェッレリア宮殿を見ると、ローマにではなくてフィレンツェにいるような気になる。

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16世紀初頭に建てられたこの宮殿はローマで最初の新(当時は)ルネッサンス建築である。

簡素に見えるが、歴代法王が税の限りを尽くした内装がされており、人民には公開されていない。

今も法王庁が使っていて、世界遺産に指定されているHOLY SEE(sedeの意)の建物のひとつだ。
HOLY SEEとは小さな治外法権独立国家みたいなもので(緩いが)アメリカ大使館の入る建物もそのひとつに指定された。

でも、中庭の回廊は公開されているので見に行くのである。

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ローマで一番美しい回廊とか、書いてあったので期待していたのだが、車が何台かとまっている。

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ま、仕方ない。HOLY SEEの偉い方とかはここに駐車するのだろう。

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ううむ、ごちゃごちゃしたものがある、と思ったら、ここでレオナルド・ダ・ヴィンチの機械展をやっているのだ。

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ま、仕方ない。いろいろな文化に利用しなくちゃ。

そういうときはきれいな面を見よう。

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ブラマンテもこの建築にかかわったとされているから、回廊はブラマンテが設計したかもしれない。

誰が設計しても同じだと思うのは、一番の魅力がこの花崗岩の円柱だからだ。

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44本のドーリア式の円柱はこの場所にあったサン・ロレンツォ・イン・ダマーゾ教会のものを使ったのだが、もともとは古代ローマのポンペイ劇場の柱だった。

ポンペイ劇場といってもポンペイにあったのではなく、すぐ近くにあった。
バジリカが建てられた380年頃はまだこんな立派な円柱がごろごろしていたのだろう。
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2014年03月06日

ブラマンテの回廊のカフェで昼食

2012年3月23日

ブラマンテの回廊で当時の美しさを残しているのは2階なので、ここをゆっくりと歩けるだけで幸せだ。

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ここにカフェがあってお茶することができるなんて、さらに幸せである。

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お茶だけにしようと思ったら、しゃれたメニューがあって食事もできるようなので、頼んだ。

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とても上等な味だった。

他に人のいないブラマンテの回廊で春の日差しの中でランチができた。
密かにとても感激していた。
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サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会 ブラマンテの回廊

2012年3月23日

この回廊はブラマンテが1500年にローマで初めて手掛けた回廊である。

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並ぶ柱の美しさに心打たれる。

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石の縁は丸く、500年の歳月を感じさせた。

柱の間から向う側を見る。

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古い屋根が味わい深い。ここは2階(first floor)である。

下を見ようと思っても無粋な強化プラスチックの屋根があって見えない。

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一階に降りてみると、中庭はイベント会場になっていたのであった。

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きっと庭があったと思うが、床になっている。

中に入れなかったので遠くからフレスコ画を見る。

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左側はキリストの生誕、他もマリアを中心とした絵だ。

このプラスチックのテントは常設なんだろうか。
いつかもう一度来たら、良い眺めが見られるのだろうか。

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サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会

2012年3月23にち

アルテンプス宮からナヴォナ広場の北側を通ってサンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会に向かった。

この北側のカーブの下が発掘作業中だった。

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昔の競技場跡が見えてくるのだろう。

サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会のあたりは道は細く、暗い。

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建物と建物がブリッジでつながっている。

夏は多少緑で覆われる外壁もむき出しでさびれている。

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味があるけれど、急がないとサンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会の午前中の開館時間に間に合わない。

しかし、着いたら扉ががっちりと閉まっていたのだ。
あとで調べたら、2010年から週に3回だけ月水土の午前中に開館になったという。

ま、いいや、バロック建築の教会には興味がないし、お目当てはラッファエッロが描いたフレスコ画だけだったから。

そこでさっさと一番の目的だったブラマンテの回廊に向かったが、ここで一枚くらい教会正面の写真を撮っておくべきだった。これじゃあ、どの教会かわからないじゃないの!

ブラマンテの回廊については次にゆっくりと書くとして、ここに上ったら、サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会のクーポラがすぐ前に見えて、得した気分になった。

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おまけに、左側にサンタ・マリア・デラニーマ教会の尖塔も見えた。

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この高さでふたつを一緒に見られるところは余り無いだろう。得した気分になった。

さらに、回廊を歩くと、人々がガラス窓を覗き込んでいるコーナーがあった。

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なんと教会の内部、それもキージ礼拝堂のアーチが見えるように作られている。

これこそ、私の見たかったラッファエッロのフレスコ画、Sibille(巫女たち)である。

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ガラス窓の前にはちゃんと〔SIBILLE]と書いてあった。

教会内部には入れなかったがお目当てのフレスコ画を見られて、おおいに得した気分になった。

教会には絵を目当ての観光客だけではなくふつうの信者さんもいるから、名作があっても金をとれない。
多くの教会では回廊の入口で料金を取っているが、そこからこのように教会内部を見せてくれるサービスは初めてだ。
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2014年03月05日

ローマ国立博物館アルテンプス宮(8) 美しいロッジャ

2012年3月23日 ローマ国立博物館アルテンプス宮(8) 美しいロッジャ

私は回廊が大好きで追っかけをしているのだが、回廊というとどうしても中世のイメージがある。

このアルテンプス宮の美しい回廊内部はやはりロッジャと呼ぶのがぴったりだ。

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ここにこんなに素晴らしい絵の描かれたロッジャがあったとは知らなかった。

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ヴィラ・ジュリアでの感激が思い出される。

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ヴィッラ・ジュリアの天井よりは低いが、絵の繊細さは勝る。

庭側の柱などにも絵が描かれている。

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とにかく美しい完成された空間だ。

奥には噴水だったと思われるアルコーブが見える。

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そのとき、不思議なものを発見した。

2匹の山羊の頭をした海獣である。子供の足には蹄があってパンの子供たちだ。

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これで、礼拝堂の太陽神とともに描かれていた動物が山羊の頭を持つ海獣であると確信できた。

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要所要所に現れるこの海山羊たちはきっとアルテンプス家と関わりがあるのだろうか。

もしかしたら、紋章かもしれない。

と思ってオフィシャル・ページを読むと、grapes と deer's headがアルテンプス家の紋章であるという記述があった。

しかし、どう見ても、deer,鹿ではなくてgoat山羊の頭である。
山羊は頭だけでなく、尾が魚のものも、普通の四足の山羊もいる。

山羊でよいのなら、ブドウと山羊の頭がアルテンプス家の紋章であるのが、天井の絵などを見ると納得がいく。

やたらと多いプッティたちもアルテンプス家エンブレムの一要素なのかもしれない。
posted by iconologist at 18:45| '12 ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ローマ国立博物館アルテンプス宮(7)極彩色の天井

2012年3月23日 ローマ国立博物館アルテンプス宮(7)極彩色の天井

アルテンプス宮の中には極彩色の木製天井の部屋があった。

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どこか日本の居城の天井板を思わせるデザインだ。

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でも、もちろん違う。その下の壁には細かいフレスコ画が描かれているし。

この部屋の天井は菊の御紋が並べられているようだ。

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フレスコ画は前から剥げていたのか、戦いの絵や天使のスタッコがつけられている。

フレスコ画が半分見えるところが後代のセンス(の無さ)を物語るが、もしかしたら、塗りつぶされていたのを塗料を取り除いたら見えたのかもしれない。
posted by iconologist at 16:08| '12 ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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