2008年02月04日

シラクーザのギリシャ劇場

2006年3月27日 シラクーザのギリシャ劇場は平ったい石がゴロゴロしていて、上品なタオルミーナのギリシャ劇場とは趣が違うけれど、私はとても好きな場所です。

団体はまず石切り場に行くので、石切り場や洞窟に興味がない私はみなさんとお別れしてさっさとこちらに。

こんもりとした緑の木々をバックに。

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あら、唯一のフォトジェニックな古い建物の右に、例の奇跡の記念会堂が見えてしまうわ。ちょっと左に寄って見えなくしよう。

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ハイシーズンにはこの座席に人々がわんさといるのだろうな、それに、物凄く暑いだろうな。3月に来て良かった。

3月でも太陽は強烈で、石切り場前のベンチに座るとひやっとして気持が良かった。

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イゾラ・ベッラ@タオルミーナ

2006年3月 食べ過ぎるほど食べたので、長いウォーキングでカロリーを消費することにした。坂を上ってウンベルト通りに出て、再び西へ向かう。お目当ては、懐かしいサン・ドメニコ・パレスだが、ウンベルト通りからは木々の植わった広い駐車場の向こうに小さな入り口が見えるだけである。

ホテルの空中からの写真を見ると通りからは何にも見えないことが解る。

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庭だけでも見えるかなあ、と思って、左側の道を下りてきたが、生垣の向こうから水遣りの音と小鳥のさえずりが聞こえるだけだった。宿泊客だけが楽しめる花園。

残念だけれど、青い海を望む散歩道は広大な自然の庭、今日はこれを楽しもう。目指すはこの写真に小さく見えるイゾラ・ベッラ。

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突き出ている岬がカーポ・タオルミーナ。ここにあるホテルのレストランがちょうどこちらから見える崖の途中にある。[グラン・ブルー]でジャン・レノが「エンゾ!」と友人の名を呼んで入ってきたところ。いっしょにスパゲッティ食べて、お母さんに何で家で食べないのかと叱られるんでした。

ここはウンベルト通りと違って車の走れる生活通り。海を臨む小さなホテルがたくさんあってガーデニングもきれい。最高の散歩道だった。ポチッと赤いサボテンの実。

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中央の山の上のギリシャ劇場のレンガ色の壁の下に、泊まっているホテル、ティメオが見えそうなので、望遠で見てみた。

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見える、見える。細長い白い建物。ここはまだ先ほどのレストランの下あたり。今日はすでに2キロは歩いているけれど、目的地はまだまだ先です。

市民公園を抜け、下から上がってくるピランデッロ通りに出るころにはちょっと疲れてきた。ベルべデーレがあったので、一休み。

お〜〜〜、イゾラ・ベッラが見える!

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でも、ここから車専用道路みたいなピランデッロ通りをくねくねと下まで降りるのはいやだなあと思ったら、ベルべデーレの横に階段があるではないか。きっとここを行けばイゾラ・ベッラに出られる#63904;

階段を下り始めると、意外に辛いことが解ってきた。でも、上がるのはもっと嫌なので、下るしかない。でも、イゾラ・ベッラがだんだんに大きくなってくるのを見ることのできるのはここを下る人だけだ。誰も歩いていないから、私たちだけなのよ! 

こんなに素晴らしい写真を撮れるのは私たちだけなのよ!

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イゾラ・ベッラの上にあるおうちの屋根も見える。

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でも、でも、道は下に下りず、イゾラ・ベッラを通りすぎていく。ここから、街の裏側を通る地元ロードに。買い物袋をさげたおばあさんが階段を登ってくる。毎日こんな階段を登っているなんて尊敬する。

この道は結局、マッツァーノの町の外れで国道に下りた。イゾラ・ベッラはさらに階段を下りて砂浜を行ったところにある。階段は下ったら上らなくてはならない。私はくじけてMちゃんだけで行ってもらい、カフェに残った。

そのとき、我が団体のみなさんが添乗員さんと共にマッツァーノのほうから現れた。なんと、ロープウェイが止まっていて(このシーズンは止まるのに添乗員さんは知らなかった)タクシーで来たのだそうだ。タクシーは駐車場で待っているそうだ。

このときほど、我が同胞をありがたいと思ったことはなかった。帰りはそのタクシーに同乗させてもらったが、医者夫妻は費用の半額を要求した。帰りだけなのになあ。美女2人なのになあ。ウチの夫だったら、きっとお金なんて取らなかったと思った。
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2008年01月31日

エトナ山fromグランド・ホテル・テメオのテラス

2006年3月 朝食を終えてテラスに出ると、雲ひとつない青空が広がっていた。建物のピンク色とゼラニウムのピンク色がぴったり合致している。

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後ろに岩山があって、モナコのエルミタージュのテラスを思い出した。モナコに3週間滞在することになったが、ホテルがどこも満杯でしかたなくエルミタージュに3週間滞在して破産しかけたあの夏・・・。エルミタージュのテラスはどこより素敵だが、ここティメオのテラスはその次くらいに素敵だ。

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雪を抱いたエトナ山が息を飲むほど美しい!

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長い長い稜線は河口湖から見る富士山を思い出す。でも、いつまでも眺めていると、右端の雲が沸いてきて山を覆うだろう。だから急いでギリシャ劇場に行かなければならない。ギリシャ劇場正面の柱の間からこの美しい姿のエトナ山をどうしても見なくちゃ。

幸い、ツアーはすぐに出発したので雲がかかる前に見ることができました。[朝日に輝くギリシャ劇場@タオルミーナ]に続く。
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グランド・ホテル・ティメオ@タオルミーナ

2006年3月 ティメオの団体客の泊まる別館は本館の後ろ側にあるのだけれど、運が良く3階に泊まれると素晴らしい驚きがある。それは屋根の上に出るテラス! 私たちはとても運が良く、ここに割り当てられた。

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お部屋もきれい。ビンに挿してあるのは南イタリアのレストランの庭で摘んできた野の花。黄色はオキザリス、オレンジはハナビシソウ。

アメニティも豪華。エトロです! いかにも高級リゾートという香りがしました。

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テラスに出てみると、遠くまで続いている海岸線が見える。

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サン・ドメニコ・パレスから見えるイゾラ・ベッラは左手に隠れているけれど、何もかも欲張ってはだめ。こういう見晴らしほど贅沢なものはないと思う。

ギリシャ劇場に行くので(前の日記参照)夕日で逆光になっているエトナ山は明日に撮ることにした。

そして、朝、空が明るくなってきた。

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大地はまだ日陰。エトナ山は雲の中だった。がっかり。

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しかし、紫色の雲が徐々に流れて、エトナ山が現れた。嬉しくて手を合わせて拝んじゃいました。

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右手の岩山は朝日を浴びて輝いている。

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薄紫にけむる美しい海岸線! 絶景です。

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これが全部、グランド・ホテル・ティメオの裏の別館の3階の私たちの部屋のベランダから見た風景。割り当てられた運の良さと、晴れ女の運の良さと、この他より割高なツアーに来る費用を貯められた運の良さとに感謝しました。



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2008年01月29日

メッシーナ海峡を渡ってシチリアへ

2006年3月  マテーラから少し南に下ると海が見えた。あの廃墟をずっと歩いた後だったので、海を見て気分が明るくなった。ここはイタリア半島の長靴の土踏まずの部分。山ばかりのバジリカータ州もここだけはイオニア海に面している。

それから再び内陸に入り、長靴のつま先の部分へ向かい、コゼンツァで一泊した。何にもない街外れだったが、ホリデイ・インはきれいだった。夜はルームサービスでツナサラダを食べた。

翌日はカラーブリア州をひたすら南下する。もう長靴のつま先の部分を半分来て、残りは177キロというのに、フェリーに乗る港までは3時間もかかる。

それでも、また海が見えてきて感激。今度はテレニア海だから、沿岸をずっと北に行くとアマルフィがある。高台のレストランの庭からは遠くシチリア島が見えた。

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一面に咲いている黄色い花はオキザリス。日本で鉢植えで350円とかで売られている。

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食事は生ハムとパスタ。なかなか美味しかった。

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先回はレッジョ・ディ・カラーブリアの埠頭に面した小さな食堂だったが、鰯のマッケローニ(松の実入り)がおいしかった。今度も食べられるかなあと思ったが、鰯は入っていなかった。

私の人生での三大感激パスタはレッジョ・ディ・カラーブリアの[鰯のマッケローニ]、フィレンツエの食堂の[バジル・ソースのスパゲッティ]、アッシジの[木の実(Noci)のスパゲッティ]なのです。

私が食べたものは、観光客向きに作ったのか、トマト味だったが、ある本によると、シチリアの[Pasta con le sarde]はオリーヴ・オイル系で、イワシ、松の実、ウイキョウのソースでマカロニを和えたものだという。東京で作るときはウイキョウは高くて入れられない。シチリアでは山にいっぱい生えているから使えるわけね。

シチリアへ渡る埠頭は2つあるが、車ごと渡るにはレッジョ・ディ・カラーブリアの埠頭からちょっと北に行ったところのヴィラ・サン・ジョヴァンニの埠頭を使う。運が悪いと延々と待たされるのだけれど、すんなりとフェリーのお腹に入った。

メッシーナへは約1時間の≪青い地中海の船旅≫だ。バスから出て上に行ったり、下に行ったり。修学旅行の小学生のようね。

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対岸が近づいてくるのを見ると(実際は船のほうが岸に近づいている)、私は興奮した。古代の人たちがこうやってシチリアに渡ったんだ、なんて想像して。

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でも、それは勝手な想像だった。ギリシャ人が渡ってきてマーニャ・グレーチャ(大ギリシャ圏)を造ったときはもっと南のシラクーザに上陸したのだ。

メッシーナはイタリア半島に隠れた場所にあり、メッシーナ海峡を短時間で渡れる連絡船の町である。地中海を航行する大きな船はパレルモの港から出る。
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2008年01月28日

2006年の世界遺産マテーラ再訪

2006年3月 同行者Mちゃんは私が96年に撮ったマテーラの写真を見てぐっと来て、自分も行ってみたいと言った。それで、南イタリア&シチリアならもう一度来ても良いと思って、同じコースに一緒に来た。私も物好きなものです。(1996年の驚きと感動いっぱいの記事も読んでね

まず、あの展望台に。Mちゃんは、「ここだわ、あの写真の場所ね」と喜んだ。

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ここから見える洞窟住居地区は谷に向かう斜面にできている。細かい修復はあるかもしれないが、ほとんど10年前のままだった。おかしいのは手前にある電線も同じなのだ。ドウモの左側には新しい建物もある。この左に新市街が広がっている。

よーく見ると、昔よりこぎれいになっている。駐車している車もけっこうある。

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展望台の右手にはカヴェオーソ教会がある。ちょうど映画の撮影をしているところだった。17世紀に建てられたものだが、このような断崖絶壁に立つ教会も少ないだろう。

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10年前は廃墟に目が釘付けでこの教会の美しさに気が付かなかったが、今回はこの写真が一番好きだ。

それからまた歩いて、教会の後ろ側に行った。遠くにドゥオモが見える。

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ここには中が見学できる洞窟があって、みんなは入ったけれど、私は閉所恐怖症ということで、行かなかった。本当は、貧乏な人たちが病気で死んだような場所に物見遊山で入りたくなかったから。それより、断崖の上の遊歩道を歩くほうがいい。

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こちらがわは開発されていないらしく、本当に廃墟ばかりだ。深い谷底には河が勢いよく流れている。季節のせいか、水が多い。

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左側を見る。こちらもステキだ。

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マテーラという街が岩山をくり抜いて造られて行ったのが解る。

食事は洞窟を利用したレストラン、[イル・テラッツィーノ」で食べた。観光地にしてはまあまあ良かったが、先回、広場の[ダ・マリオ]で食べたパスタのほうがずっとおいしかった。

洞窟を利用してホテルもできている。超高級ホテルだそうだが、料金を高くとらなければこんな面倒な場所で運営はできないだろう。ホテルの入り口のテラスで。

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開発は進んでいるらしいが、壊れたままのものもあった。コンセルヴァトワールのファサード。左の搭の時計ははがれていて、鐘もない。味があってとてもステキだと思う。

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ここがコンセルヴァトワールだと解ったのは先回ヴァイオリンなどの音が聞こえてきたからだ。国立音楽院とはとても思えない愛らしい建物をデジカメで撮ることができて嬉しかった。

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2008年01月25日

アルベロベッロ

アルベロベッロの旧市街は道路を隔てて2つに別れている。トゥルリに普通に人が住んでいる住宅街。

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屋根と屋根がくっついているのは、水を受けて下の水槽に溜めるためだってNHKのドキュメンタリーでやっていたっけ。

ここから反対側の地区を見たところ。この風景がいちばんアルベロベッロらしいかもしれない。

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反対側の地区のお土産物街は昔のままで、相変わらず戸口に店員が立って客引きをしていた。すてきな坂なのに、ほんとうに興ざめである。

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先回のアルベロベッロはガイドがお土産屋の日本人妻で、みんなをごっそりと自分の店に連れて行ったので、印象が悪かった。今回は同じワールドのツアーだけれどこのガイドは使わなかった。

なるべく店員と目を合わせないようにして歩いたが、横から日本語女性の声が・・。「入って見てください。2階にも登れますよ」10年前と同じセリフだ! その女の人に「ヨウコさんでしょ」と言うと、目を真ん丸くしていた。

それから日本の雑誌で有名になったらしいマリアさんの店に行った。ここの織物はどれも欲しくなってしまうが、10年前にごっそりと買ってきたが、全部使わずに残っている。日本ではそんな高級な織物を使うような生活じゃないのだ。それで、ティッシュケースボックスなどの小物を少しだけ買った。

夕飯のレストランもこの路にあった。このレストランの前だけが客引きがいなかった。

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観光レストランだと思ったが、食事もおいしかった。ホテルは駅の側なので、帰りはちょっと歩いたが、超安全な街で、のんびりした夜だった。
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アペニン山脈を越えてアルベロベッロへ

2006年3月22日 朝早くアマルフィを出発した。細い道は通勤渋滞で交通整理のお姉さんたちが出ていた。そうでないとみんな自己主張して車がすれ違えないのである。サレルノの街に出るころには道も広くなったが、すぐに海を離れてアペニン山脈をめざした。

まだ雪の残るアペニン山脈を遠くからみたときは、わ、雪だ、と喜んだが、山の中には何もなかった。春の芽吹きを待つ木々がどこまでも続いていた。唯一の動きは小川で、道の右に現れ、左に現れ、私たちとともに下流に向かうのだった。岩にぶつかって白く泡立つ急流が穏やかになるころに、やっと家畜が現れ、のどかだなあと思ったが、工場なども現れて、このバジリカータ州が他の州に比べて貧しいのが想像できた。

マテーラはこのバジリカータ州にあるのだが、今日は、その先のプーリア州にまで入ってアルベロベッロに泊まるのである。

アルベロベッロの近くの野原には朽ち果てそうなトゥッリが点在していた。オリーブ畑の世話をするときの小屋として使われているようだが、桜だか桃だかの木があって、昔はここで人が生活していた気配がある。

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お土産物屋になっている市内のトゥッリよりずっとステキ。時間があったら、早春の野原の小屋を見てまわりたいけれど、ツアーなんで無理。
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2006年06月13日

アマルフィ海洋王国の残滓 March'06

アマルフィ王国は10〜11世紀に栄えたイタリア最古の海運共和国だった。NHKの[世界遺産]で見たところ、当時の衣装をつけた海の祭りかなんかだったが、とても雰囲気があった。

しかし、来てみると、とても矮小な場所なのであった。砂浜はほとんど無い。一番広いスペースはバスターミナルと駐車場であった。

アマルフィ王国の栄華はどこに行ったのだろう。そこで調べてみると、ここは地震と津波で壊滅的打撃を受け、砂浜もその時に失われたとだという。

そういえば、海岸から細い通りが一本山に登っていくのだが、津波が来たら、その通り道になりそうな地形である。

広場に面して長い階段の上に金色に輝くドウオモがあった。サラセン文化の色が濃い柱やアーチ。

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ファサードの絵は、美しいが迫力が無く平凡な感じだ、と思ったら、19世紀に再建されたときに装飾されたものだった。

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実はこの街で星が3つ★★★ついているのは一箇所だけで、それがこの回廊である。

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中央には真四角な中庭がある。緑と白だけの静謐な場所。ああ、ここに中世が残っていた。

この時代の庭には椰子や棕櫚があって、当時のヨーロッパ人の憧れが感じられる。

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この回廊は富裕階級の墓所だった。フレスコ画が残っているところが個人の礼拝堂だったのだろうか? 特に秀逸というわけではないが、中世から残っているものは貴重だ。

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当時はこのようなモザイクで装飾された庇がついていたのかもしれない。

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シチリアのモンレアーレの回廊のモザイクとそっくりだ。

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この回廊は小さなところなのに6ユーロも取る。ドゥオモでは料金を取り難いので付属の回廊で取るのか。モンレアーレでもそうだったが、あちらはここの10倍広い。まあ、価値は大きさではないけれど・・

ドゥオモの内部。バロックの装飾は好きではないが、この整然とした柱はなかなか趣があると思う。

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とはいえ、私の興味を引いたのはひとつだけだった。緑色の台座のすてきなシャンデリア。ヴェネチアン・グラス。

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あ、これも面白い。図像学的興味が出て、パチリ。

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ドゥオモの外に出ると空が真っ青だった。こういうのをシャッターチャンスというのだろう。改めてパチリ。

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しかし、すっかり忘れていたが、アマルフィ海洋共和国の残りが何かないものだろうか? 市立博物館というところに行ってみよう。

人に道を聞いてこれほど解りづらいところはなかった。おかげで、ドゥオモの下を通る真っ白なトンネルを発見。迷路のようなところで、とつぜん、アパートの中庭に出たり、人の家の戸口になったりしている。断崖の街に住む人たちは今でもこういうトンネルを使っているのだ。

市立博物館というのは市役所の一部屋だった。公務員の人たちが、あっちだ、と指差して教えてくれた部屋は会議もする場所らしく、プロジェクターがあった。

そのプロジェクターの向こうにこんな旗があった。中央にあったので多分重要なものかと思う。重要ではなくても、なかなか良い感じだ。

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2006年06月12日

美しきアマルフィ March'06

ホテルから街まで降りる道は狭くて交通量が多いので、タクシーに乗る。このたった数分の距離で10ユーロ、1500円。どこに行くにもこれが初乗り料金らしい。ああ、観光地なんだな、と思った。

海沿いのレストランのテラスに座ると、かもめが一列に休んでいた。

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右端にあるのが16世紀のアマルフィの搭。絵葉書や絵によると、荒波が大きく打ち寄せるポイントだ。

団体から離れた嬉しさでいつもは飲まない私もプロセッコ。だってこのほっぺの落ちそうなメニューだもの。

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3月末とはいえ素晴らしい陽光で半袖になりたいくらいなのに、こちらの人は黒い革ジャンパーを脱がない。バスターミナルには厚着をした高校生が溢れていた。
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2006年06月09日

アマルフィ海岸のドライヴ March'06

ナポリからアマルフィに向かう。地図で見ると近いようだが、ナポリ湾沿いにソレント近くまで行きそれから山道を登って半島の反対側のアマルフィ海岸に出るので、長いドライヴだった。

ナポリ湾とアマルフィ海岸をじっくりと鑑賞するプランだったが、あいにく天気が悪くて景色は楽しめなかった。細い曲がりくねった道を行くプルマンは何度もブレーキをかけ、そのたびに気分が悪くなって最悪のドライヴだった。

もっともこのドライヴの初めに振り返って見たナポリ湾はとても美しかった。このときだけ陽が差したのである。でも私はかなり天邪鬼なので、このあいだの熱海から下田のドライヴと変わらないわ、などと思った。

しかし、決定的に違うことがあった。それは、高さである。ソレントに向かうこの道は海岸からどんどん上に上るのだ。海ははるか下である。プルマンからは縁石が見えないから、怖い。お尻がぞくぞくしてきたので、山側に移った。

そして、もっと怖いことに、上に上って行くと霧が深くなってきた。日も落ちて真っ暗である。私たちの大型プルマンは断崖の上の真っ暗な細い道を走っているのだ。堕ちたら、確実にみんな死ぬ。こんなところで死ぬなんていやだ、とひたすら祈った。

アマルフィ海岸に出ても、もう夜だから何も見えない。幾つかの有名リゾート地と言われるところを通ったらしいが、闇の中に街の光があっただけだった。そして夜8時近くにやっと到着した。

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翌朝、ウソのように晴れた海とこのアマルフィの景色を見て、昨日からほぼ決めていたことだったが、団体のスケジュールから離れて、ここで一日過ごそうと決めた。

アマルフィ海岸をアマルことなく堪能するために団体は再びソレントまで往復するのだという。ソレントも何もないリゾート地った。行ったことがなくても行かなかったと思う。それより昔栄えたアマルフィ王国、NHKの世界遺産で特集されていたあのアマルフィをゆっくりと見たいと思った。


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2006年04月17日

ポンペイ出土モザイク@ナポリ国立考古学博物館 March'06

午前中にポンペイ遺跡を見て、午後にナポリ考古学博物館に収められたモザイクの逸品を見ることができた。ツアーなのに市内観光はせずにこの2箇所だけに特化してあった。個人だったら一日ではできないコースだ。

まず、ポンペイなどから出土したモザイクや絵画の部屋をまわった。

ポンペイのモザイクは細かい。時代が遡ってからの6世紀ごろのモザイクのほうが荒いのは不思議だ。



光と影の技法だって、奥行きを表す技法だって、もう既に存在していた。モザイクの細かさはこのめんどりとひよこたちを見るとよく解る。

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[カピトリーヌの鳩]として知られるモチーフも紀元前からのものである。

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私たちがアレクサンダー大王として持っているイメージはこのモザイク画から来ている。壁一面に広がるこのモザイクはフレスコ画かと思うほど大きいものだった。写真は10分の1程度である。



15世紀のウッチェルロの[サン・ロマーノの戦い]では槍が美しいが、その原点もここにある。アレキサンダーの背後には枯れ木があるが、これも図像学のお約束事で、戦いは死と関連するので枯れ木が描かれる。

紀元前に最も好まれた神は男性ではバッカスだろう。このモザイクは幼いバッカスが虎に乗っているもの。バッカスの聖獣は虎ではなくて豹だが、それは東方に武者修行に行った後のもの。



バッカスは好色で酒好きで、規律で縛られない当時の世界にぴったりの神だった。 悲劇や喜劇の場面のモザイク画もあるが、演劇はバッカナーレが原点であるといわれる。

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半獣半人が馬代わりになった馬車。下の馬車はなぜか後ろが蛇になっている。乗っているのは女は天使がぴったしと付いているのでウェヌスだと思う。男は大腿部に毛が生えているようだし、なにより男根丸出しなので牧神かまたは生殖の神プリアポスだと思う。



バッカスと同類の好色者ファウヌと、誰とでも寝るウェヌスが一緒で面白い。ボッティチェルリの[ヴィーナスの誕生]があまりに美しく楚々としているので私たちはヴィーナスについて誤ったイメージを持ってしまったが、これが正体。

モザイク画が貴重なのは芸術的価値や古さだけではない。当時の動植物が描かれているからだ。夫が「あ、スズキだ!」と言った。







ワニがアフリカとの交流があったことを示している。



また、日常生活もわかる。夫婦の肖像。



モザイクで肖像画を描かせることができるのは富裕階級。夫は巻物のようなものを持っているが、契約書で、大きな商取引をしているのだろう。妻は本を持っている。本が読めるのは女性では特に上流の証。

でも、彼らのパンはこういう固そうなパン。



こちらはモザイクではなく、フレスコ画。山の上までブドウ畑になっているが、形はヴェスヴィアス火山だろう。噴火の前は山頂は丸かった?

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左側の人物は葡萄の衣装をまとっているので、バッカスだろう。



実は、素晴らしいものを見たのだが、写真がうまくとれなかった。ラッファエルロの三美神のモデルになった絵であるが、りんごがなければ全く同じである。

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そして三美神のもうひとつの仮説を私は確信した。この三人の女性はレズビアンである。ホモもヘテオも区別しない時代にホモが男性だけというわけがない。



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2006年04月13日

ポンペイ遺跡、秘儀荘への散歩 March'06

2回目のポンペイ遺跡だが、運の良いことに今回は西北にある秘儀荘までを歩くことになり、西側に並ぶ遺跡群を見ることができた。

フォロとアポロ神殿  




フォロの奥にあるジュピター神殿




このフォロに入る手前のアーチ 車止めがある。




商品取引所のフレスコ画 ほんの一角に残っているだけ


右上は馬車を駆るヘリウスか?


廃墟に浮き出る天使たち


鮮明な赤色がポンペイの壁画の特徴


かまどはピザ屋のかまどと似ている。




大理石の公衆浴場 



明り取り窓のあたり。フレスコ画には魚や動物が描かれている。


鷲とともに蛇も描かれている。左上に半獣半人がいる。



[悲劇詩人の家]の玄関先のタイル画。



本では[猛犬注意]だというが、ちょっとニュアンスが違う。ラテン語でCAVE CANEMとあるが、CANEMは現在のcane、犬で、CAVEは飛びつくという意味だ。[犬が飛びつくぞ]と書いてある。


ここからはエルコラーノ門を出て秘儀荘に向かう。



石畳の道の両側に糸杉が植えられている。糸杉は墓の木だ。なぜかというと、根を横に張らずまっすぐ下に伸びるから。根が墓を壊さない。

今、カルドゥッチの詩を読んでいるが、詩人は並木の糸杉(cipressi)と語る。糸杉を墓に植えたのはエトルリア時代に遡るそうだ。


金持の人の棺おけ



右側面に船が描かれている。きっとこの船で儲けたのだろう。


道を下っていくと、地面の下に秘儀荘が見えてきた。



ここは当時の海の近くで、見晴らしがよかったので金持の別荘があったのだ。住宅の下を掘ったらこの遺跡が見つかったので、普通の住宅に見下ろされている。その住宅の下にも遺跡があるはずだが、政府の提示する金額では引っ越してくれないそうだ。


秘儀荘というから、なんやらいやらしいことが行われたのかと思ったら、このデュオニソスの入信の秘儀を描いたフレスコ画から取った名前だった。

これほどの規模のフレスコ画がオリジナルの場所に残っているのは素晴らしいことだ。





秘儀だけでなく、他の部屋のフレスコ画もすてきだ。






ひっそりとした中庭   



ここに2000年の歳月が凝縮されている。


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ナポリと洗濯物 March'06

添乗員さんが「トレド通りの向こう側は治安が悪いスペイン地区なので行かないでください」と言った。同じスペインでも、オードリー・ヘップバーンも座ったローマのスペイン階段とは違うようだ。

地図を見てみるとそこは他の場所とは異なって、細かい通りが密集した場所だった。だから、ヨーロッパでは通りの名前が普通なのに、[地区]なのである。

調べてみると、スペインの統治が始まった16世紀に入ってきた移民の労働者ためにこの地区が作られたという。

それを今でも[スペイン地区]というのだが、日本が他国の名前をこういう場所に残しておいたら、[国際]問題になると思う。すぐに[緑の地区]とか言い換えるだろう。

ナポリがこの名前を残すのは、かつて圧制でイタリア人を苦しめたスペインだからかもしれない。

さて、96年にはナポリには泊まらず、ローマからポンペイに行く途中でバスの車窓から見ただけだが、洗濯物の印象しかない。それでポンペイで洗濯物の絵葉書を買い、日本に送ったのだった。

今回もまずポンペイに行くことになり、高速道路を通った。そうしたら、またもや車窓からは洗濯物ばかりが見えるのだ。

ガイドさんによると、この高速道路(といっても40キロくらいで走る)は昔、カポディモンテの丘の王宮から港の近くの新しい城に行くために高架で作られた道の上にできているという。窓から下をみると確かに石で造られたの縁が見える。

そして、この南北一直線の道路はトレド通りと並行するのだ。だから、この高架道路を通る私たちも王たちと同じようにスペイン地区を見下ろすことになる。外国人にとってのナポリの印象が洗濯物になるにはここに理由がある。

でも、観光とはいえ、人々が普通に暮らしているところを見させてもらうわけだから、洗濯物まで写真にとるのは失礼だと思う。

もっとも写真に撮りたいそそられる洗濯物もあった。それは一階の窓辺に黒いストッキングと黒いショーツと黒いブラジャーが干してあって、おまけにその持ち主らしき中年の女性がひじをついて外を見ている光景だった。こんなに細かいところまで見られるのです!

しかし、いつから私たちは洗濯物を見えるところに干すことに罪悪感を感じるようになったのだろうか? 都市の景観てそんなに大切なものだろうか。それとも、乾燥機のメーカーの作戦か?

アングロサクソンやゲルマンの国では太陽がないから外に干さないのだと思う。イタリアや日本のように太陽がさんさんと年中ふりそそいでいたら、きっと洗濯物を前面に干す習慣になったと思う。
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2006年04月07日

ナポリに着いて March'06

3月19日夜、ミラノで乗り換えてナポリに着いた。予想していたより寒いが、夜だからだろうと思う。

だから、朝カーテンを開けて雨が降っているのを見たときは裏切られたような気分になった。ナポリに雨が降るなんて! 

暖かい服といえば、「恥ずかしいから持って行くな」と夫にいわれたユニクロのマイクロフリース一枚である。誤算だった。

朝食前に散歩に行く人たちもいたが、私はなかなか眠れずに朝が来てしまったので散歩どころではなかった。

良く眠れるように機内ではずっとソリテアをやり続けていたのに、ますます目が冴えてしまったのだ。これも誤算だった。

それでもがんばって起きて朝食バイキングに向かった。アリタリアでは同じく誤算により和食を選んでしまって失敗し、ほとんど空腹だったからだ。

アリタリアの機内食は今までの私の長い生涯で出会った飛行機の機内食の中で最悪のものだった。すき焼きを食べ終わった後に残る脂身と野菜のカスだった。出会ったと書いたのは食べなかったからである。

果して朝食バイキングに行くと、上等な生ハムやサラミや全部試食したいようなパンが並んでいてめちゃ豪華だった。これは嬉しい驚きだった。

部屋でちらっと見たブロッシャーにMarriottと書いてあったので、ここがツアーで一番良いホテルかもしれないとアメニティを残らずバッグにしまったのだが、朝食バイキングも食べられるだけ食べた。

私はこの旅行が2回目の団体旅行で、いつもはひとりで泊まるのだが、そういうときに一番憎らしいのが、料金に含まれている朝食バイキングを食べている団体客だった。

個人では朝食の料金は高く、一昨年のミラノのホテルでは30ユーロもしたのだった! だから今回はその恨みを晴らす意味でもおおいに食べた。
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