2011年12月21日

9 交易人組合の広場@オスティア・アンティーカ Part II

Part IIに続いてモザイクの検証。

象牙のトレーダー
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テキストによると、リビアからの輸入


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奥の下段のモザイクは消滅している。

これを見てもわかるように、当初は区分けはされていなかったかもしれない。
後ろの壁と手前の柱がポルティコを造っていて、後にダブル・ポルティコになったのかもしれない。

2隻の船
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NAVIC TVRRITANIのTURRITANはサルデーニャの港町の名前
そういえば、サルデーニャってイタリアとアフリカの中間にあるんだった。

損傷がひどくて解読の難しいモザイク。字によると犬や馬がいたはずだという。
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クロスは初期キリスト教の要素だという。卍もある。卍はもともと吉兆。

船と2つの穀物の秤。樽のようなものだ。
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船と灯台
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2匹の、いるかと灯台らしきもの。粗雑なモザイク。
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テキストにあるハートの葉のもようは初期キリスト教の要素

灯台と2隻の船とドルフィン
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灯台が崩れている。おそらく、雑草が生えたのだ。

右下の雑草もいずれモザイクを壊す。
グリホエースを撒いてきたかった!

2隻の船
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3匹の魚、2本のなつめ椰子の木。壺。
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テキストにはアルジェリアの地名が書かれている。

海馬に座るネレイド
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ドルフィン
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いるかいないかいないかいるか、あああ、疲れてきた。

狩のシーン。雄牛を槍で仕留めようとしている男。上は木の枝の模様か。
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これは商業とは関係のない模様で、西側のモザイクにいくつか見られる。

こちらも商業とは関係のない模様。入り口近くだからだろうか。
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海馬に座るネレイド。第一回目の改築(嵩上げ)の時期に造られた。

こちらも同じく、商業と関係ない幾何学もよう。
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奥の美しい飾りの縁の下には鹿とアルテミス(ディアナ)が描かれているのだけれど・・
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アルテミスの頭しか見えない。
角度が悪かったのか、それとも損傷したのか・・

イタリアは財政難だから、オスティア・アンティーカのモザイクの修復なんて後回しになるんだろう。
だから、早く写真を撮らなくちゃ。

4年もたってしまって、心配だが、3月にはもっと細かいディテールまで撮りたいな。
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2007年02月27日

ベルガモからミラノへ

2006年10月6日

朝食後、ホテルの裏手にあるカッラーラ絵画館へ向かった。意外に近くて開館10分前に着いてしまった。

絵画館の建物はパッラーディオの円柱がついたネオ・クラシック様式。軽やかで上品な感じで、日本の昔の洋風建築を思わせる。

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ここはカッラーラ氏が自分のコレクションを中心に1810年に作った個人美術館で、15世紀から18世紀のイタリアとヨーロッパの絵画を所蔵している。

年代別展示がされているのが特徴で、教育的な美術館というのは見たことないので、来てみたのだ。

確かに、教育的な施設らしく、同じく開館を待っている小学校低学年の生徒たちがいた。しかし男子はふざけっこばかりしていて、ひとりおしっこを我慢できない子が先生に付き添われて木の陰でおしっこしたり(もちろん男子)、他の教育が先だろ、と思った。

展示は教育的だったが、教育的なものは余り面白くはない。有名画家の絵はどれも小さかった。それでも、レンブラントの光と影や、同じヴェニスを描くカナレットとグアルディの筆致の違いはわかるので、復習にはなった。

カッラーラ絵画館をさっと見てホテルに戻り、タクシーでミラノに向かった。このタクシーにはカーナビがついていて、問題なくホテルに着いた。

昼はリナシェンテの上階にあるビストロに行った。ここは2004年の夏に最後の仕事を終えて帰国する前にひとりで食べたところだ。今回も最後のランチはドオモの尖塔を前に食べたいと思った。

しかし、このしゃれたビストロはもうなかった。リナシェンテなんていうデパートの上階ではおしゃれな人が来ないからか? しかたないので普通のレストランのほうで食べた。定番のミラノカツレツと牛フィレカルパッチョ。美味しかった。

それから、旅の最後はやはりお買い物をしよう、とモンテ・ナポレオーネ通りに行った。ミラノの買い物といったらモンテ・ナポレオーネ通りだ。そして、いつものお店に行った。

ここの名前を出すと、人が来てしまうので書かないが、ブランドのアウトレットだ。ここではMarc Jacobsなどのタイを35ユーロで売っている。ネットで出ているような平凡なものではなく、けっこう新作があるのでいつも必ず覗く。

先回は10本買って夫に多すぎると言われたので2本にした。さらに、はじめて免税の手続きをした。こんなに安いのにまだ引いてもらえるのだ。

それからモンテナポレオーネ通りを早足で歩いてCafe Covaにお茶に行った。私たちは運よく良い席に座れたが、すぐに満員になって、後から来たふくらスズメのような身なりの良い外人おばさんたちは窮屈そうに座った。

それまでして来る店でもないが、モンテナポレオーネ通りにはここしかない。どうせならおいしいお菓子も食べようと思ってプチフールも一皿注文した。

コーヒー2杯とプチフールで34ユーロは凄い。やはり都会は高い。いや、お昼は40ユーロだったから、都会の中でもこういう高いところにお茶に来てしまうのが悪い。

それからまっすぐにタクシーでホテルに戻った。このホテルPierre Milanoは小さいながらレストランがついている。とても美味しく、旅の最後に町に出なくてすんでとても良かった。もちろん、それを調べて予約したのである。

こうして10日間の北イタリアの旅は終わったのである。しかし、終わりは新しい始まりだという。実は、今年もまた同じ頃に北イタリアに行くことにした。

というのは、ふと見たアリタリアのマイレージがかなり溜まっていて、一桁違うのかなあ、と心配しながら電話したら、なんとビジネスクラス往復分たまっていた。

アリタリアは経営が危うく、マイレージは今年で終わってしまうので、どうしても行かなければならない。

一緒に行ってくれる友人はいるが、彼女はもしかしたら行けないかもしれない。だから、ひとりでも安全な北イタリアの旅ということになり、また来ることになったのだ。

私は、これで終わりだ、と思うと、すぐにまた行くようになってしまう。ずっとこういう具合だったが、人生にはちゃんと本当の終わりが来るので、心配せず、遊ぼう。
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2007年02月14日

ベルガモ・アルタの古い広場に

2006年10月05日

9泊10日の短い北イタリアの旅の最後はベルガモにした。湖で休んだあとに、旧市街の教会建築を堪能しようというわけである。

ベルガモは丘の上にある古い街アルタ(上)と新市街バッサ(下)に分かれている。アルタにはフニクラで行くのでホテルはフニクラの駅から歩いて10分のエクセルシオールにした。

シルミオーネからの帰りにレストランでゆっくりしていて着くのが遅くなってしまった。フニクラでアルタに着くと、急いでコッレオーニ礼拝堂を目指した。

かわいい店が並ぶ古い通りをちょっと行くと左側に広場があった。中央の噴水があるらしき場所は修復中。

地図によるとコッレオーニ礼拝堂は広場に面しているのだけれど、ここではない。どうも、奥の建物の横の路地の突き当たりに何かがあるようだ。

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これが目指してきたコッレオーニ礼拝堂。ロンバルディア・ルネッサンス形式の大傑作と言われている。左側は市庁舎として使われていたラッジョーネ宮の壁。

このラッジョーネ宮が邪魔をしていてコッレオーニ礼拝堂のあるサンタ・マリア・マッジョーレ教会はこうやって斜めからしか写真を写真をとることができない。

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この左手にドゥオモがあり、ここがドゥオモ広場なのだ。子供たちが徒競走をやっている小さな運動場のような場所で、今まで見た中で一番小さなドゥオモ広場だった。

真っ黒で何の飾り気もないロマネスク形式の教会に彫刻で飾られた小玄関がくっついている。これもとても素敵だ。

ドゥオモ自体は見るからに私の苦手なバロック・ロココ形式で、ローマなら全部がそうだからいいけれど、北イタリアでは見る必要はない。ということで入らなかった。

それより、このコッレオーニ礼拝堂のファサードである。たぶん、どこのロンバルディア・ルネッサンス形式のファッサードより美しい。

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じっくりと見ていると、ふと、エッシャーの騙し絵を思い出した。エッシャーはイタリア人女性と結婚してローマに住んだのだけれど、その前に一度くらいはこのファッサードを見たことがあるのではないかしら?

コッレオーニ礼拝堂の内部はフィレンツエのメディチ家を思わせるようなしゃれたものだが、キンキラキラキラでそれほど私の好みではなかった。

一方、余り期待せずにあの小玄関を入ったサンタ・マリア・マッジョーレ教会の内部はすごかった。こんなに小さな街なのに、これでもかというほど豪華絢爛に飾られていた。

教会自体は1150年から1491年にかけて作られ、ロマネスクからルネッサンス期のものだが、内部はその後に改築されている。16世紀〜17世紀の大きなタペストリーが飾ってある教会は初めて見た。

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私が面白いと思ったのは入り口近くにあったこの古いフレスコ画。

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最後の晩餐ではユダだけに光輪がない。キリストも全員、黒い光輪である。そして、横顔の場合、ほっぺたに黒いまん丸な光輪がペタッっとくっついていておかしい。平面的な絵画の時代ね。

テーブルも面白い。丸パンや水差しやコップがたくさん並んでいる。かなり豪華な晩餐だ。平面的だとはいえちょっと遠近法を考えようかな、と思った跡が右端にある。でも、それならむしろ左端と同じ形になるはずだけど・・。側面は見えるはずないのでした。

左下の絵も面白い。光輪のある普通の服装の人が魚を持っているから、これは大天使ラファエルだ。天使だが、普通の人の服装で現れるので羽がない。そして魚の肝臓が効くと教えるのだ。

で、右の人は親の病気を治したい孝行青年のトビアスだ。しかし彼のお供をしている犬はいない。ユダヤ人が当時犬を嫌ったからだろうか。旧約聖書外典には犬はでてくるのに。

犬の代わりに白馬。まさか貧乏なトビアスがこんなに美しい白馬に乗ってくるわけないし、ラファエルも天使だから馬には乗らない。なぜ? 

もしかして画家はそんな旧約聖書の話よりこの美しい馬を描きたかったのではないかしら?

忙しいのにそんなことを考えて長居していたら夕方になってしまった。八百屋さんで干しいちじくやドライトマトやドライ・ポルチーニを秤で買ってお土産にした。

ベルガモは城壁から見るバッサの景色などまだまだ素晴らしいものがありそうなので、ゆっくりと来たいと思った。
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2007年01月23日

ガルダ湖畔の美しい町、シルミオーネ

2006年10月04−05日

シルミオーネはガルダ湖に突き出た細長い盲腸のような半島だ。先回は立ち寄っただけだが、きれいな場所だったので、今回は一泊することにした。

選んだホテルは中心部を抜けた丘の上にあるのだが、中心部には細い道が一本しかないので、ジェラート片手に歩き回る観光客の間を通ることになり、ちょっと気がひけた。

このブーゲンビリアの這う家のところから一方通行で2手に分かれる。

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イタリアの北部でブーゲンビリアというのは不思議だが、湖水地方は暖かいのだという。前回泊まったホテルもブーゲンビリアに覆われていたし、レモンの木の茂る丘もあるほどだ。

今回選んだのはVilla Cortine Palaceという五つ星の超高級ホテルで、今回一番高かった。それでも、シーズンオフなので宿泊料金でフルボード、つまり夕食がついてくるので、得だと思ったのである。

運転手が降りて呼び鈴を鳴らすと大きな門がするすると開いた。正面の池にはポセイドンなどのバロック式立像が配置されている。昔の庭に忍び込んだみたいでわくわくした。

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ここをぐるっと回って一番上に着くとそこにホテルがあった。1900年頃に立てられたパラーディアン形式のヴィラをホテルに改造したものである。

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サロンとして使われているヴィラの部分。客室部分は増築された味もそっけもないリゾートホテル仕様。

お昼は湖沿いに幾つかあるレストランに出かけた。きれいなところが見つかったので、入ろうとすると、店員に「ピザはありませんよ」と言われた。

中にはアメリカ人がいっぱいで、そういえば日本人やアジア人はいないのだった。私は日本国民に失礼な態度をされると頭に来る。にこりともせずに「湖の際の席にしてちょうだい」と言った。

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ま、この席ならいいだろう。メニューを見ると、ここもホテルがあるらしく、フルボードの場合、エビの料理を頼むと5ユーロとかアップになっている。せこいけれど、リゾート値段だからね。料理はどれも美味しくなかった。

それから、城塞の周りを歩き、湖を渡ってくる風を楽しんだ。

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ホテルに戻り、ちょっとおしゃれをして夕食に行った。隣のテーブルにはイギリス人の夫婦がいて、結婚30年の記念にヴェニスのダニエリに泊まり、ここに着たのだといった。結婚10年の記念にはヴェニスのグリッティ・パレスに泊まったのだという。

何の記念でもないのにここに来てしまって、何の記念でもないのにヴェニスのダニエリにもグリッティ・パレスにも泊まってしまった私はちょっと罪悪感を感じた。ただのホテル・フリークなので・・・。

メニューには値段が書いてなかった。どれをどういう風に注文したら割り増しをとられないのか、それも書いてなかった。そこで、聞いてみた。すると、係りのおじさんはにこにこ笑って「好きなものを好きなだけどうぞ」と言った。

つまり、オードブルを3個とかデザート5個とかもアリなのだった。きゃー、素敵! でも、それでは3キロは太ってしまう。そこで、なるべく高そうな、フォアグラのついているやつとかを選んだ。

その夜、イタリアに来て初めて雨が降った。すごい嵐で、丘の上の家だから、木々がざわざわと怖いくらいの音をたてていた。とうとう雨が降ったか、雨の湖畔なんて運が悪いこと、と思った。

明け方、静かになった外を見てみると、素晴らしい朝焼けだった。私って超晴れ女なのだけれど、それがまた証明された。一緒に旅に行きたがる人が多いのはこのせいかも。

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ホテルの庭を歩き、湖を眺めていたら、満足してしまって、今回も先端にあるローマ時代の遺跡に行くのを忘れてしまった。道半ばのホテルに泊まったのに残念なことだ。


ホテルをチェックアウトして、湖の対岸のレストラン、Capriccioに行った。そこはヴェローナのレストランで隣に座った日本人男性2人が働いているところだ。何も調べないで行ったら、2つ星のレストランだった! おいしいのは当たり前。

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食後のプチガトーはアンティークのカップ&ソーサーのソーサーを使ったりしていて暖かい感じだった。古いポットを花瓶にしてあって、その花は自宅の庭から切ってきたもので、それも暖かい感じだった。
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2007年01月05日

ヴェローナ第二日目

2006年10月4日

まずはマンテーニャ展の行われている市役所へ。

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今回のマンテーニャ展はどこでも会場のデザインが素晴らしく、イタリアが総力を挙げたという感じがした。古いものに観光客を呼び込むだけでなく、こういう企画をするとはイタリアはかなり進歩している。

サン・ゼーノ教会の奥にあった祭壇画は中央にでんと置かれていた。なんと、想像した以上に近づいて見ることができた。鎖も紐もないので、触れるくらい近くに!

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この下段の絵は全部フランス人によって持ち去られ、現在はルーブル美術館にあるのだが、今回、中央の絵が貸し出されていた。その絵だけが厳重にアクリルガラスで覆われていた。

やはり、その繊細さはレプリカとは格段の違いがある。こうして両方を一緒に見ることができたのは至福のできごとであった。ついでにこのままイタリアに返せば良いのにと思う。

日本だったら、すぐにへーこらへーこらと謝って、のしまで付けて友好のために返すだろうが、フランスは罪の意識なんか全く無いから駄目だ。

帰りはやはりアレーナの内部を見に行った。

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そしてやはり、一番上の段まで上り、ヴェローナの街を見渡した。このアレーナはコンサートにフル活用されていて、味も素っ気もなく、この最上段に残ったわずかな塀だけが古代を感じさせる。

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ホテルに着くともう12時だった。そのまま歩けば、ピサネッロの絵が残るサンタナスターシア教会があるが、もう歩く気がしなかった。M子が地図を見て、「シニョーリ広場っていうのもあるわよ」と言ったが、「エルベ広場と同じようなものよ」と言って、早いところガルダ湖に向かおうと提案した。

日本に帰って前の旅行の写真を見ていたら、シニョーリ広場の写真があった。丁寧にメモがあって「エルベ広場とは全く違った落ち着いた美しい広場だった」と書いてある。

ああ、M子に申し訳なかったと思う。自分も、もう一度、デジカメで撮っておけたのに、と残念に思う。
posted by iconologist at 20:47| Comment(0) | '06 ミラノと北イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヴェローナ第一日目

2006年10月3日

アル・ポンピエーレでプロシュートとポルチーニソースのかかったフィレ肉を食べ、もりもりと元気が出たところで、一番遠いところにあるサン・ゼーノ・マッジョーレ教会に向かった。ヴェローナで一番ステキなもの、[青銅の扉]とマンテーニャの祭壇画を見るために。

カステルヴェッキオを超えてからアディジェ川沿いのプロムナードを歩く。川はまだ水量が少なく中州が見える。土手には黄色い夏の花が咲いていた。

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サン・ゼノ教会は何世紀も変わらぬ姿だが、一箇所だけ違っていた。青銅のレリーフが打ち付けられた扉に代わって板の扉が作られている。扉と言っても入り口は別にある。このちょうど裏側に古い青銅の扉が置かれているのだ。

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今日まで800年も雨風にさらされてきた青銅のレリーフはそれでもこんなに素晴らしい。やはり11世紀のマエストロの作品心を打つ。[楽園追放]と[カインとアベル]

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しかし、ここまで来たのに、もう1つの目的のマンテーニャの祭壇画がなかったのだ。なんと、マンテーニャ展に出されているという。そういえば、町中のマンテーニャ展の垂れ幕にはこの絵の聖母子が描かれていたっけ。

ちょっと落胆したが、実は、この絵の置かれている祭壇は遠くからしか見るっことができず、おまけにとても暗い。だから、展覧会で近くから見れればとても幸運だ。それを期待してサン・ゼーノ教会を後にした。

それから欲張って他の教会もふらふら見ていたら、とても疲れてしまった。小学校のお迎えでごったがえす街中でバールに入って休む。

そしてカステルヴェッキオの前を通ったのだが、ちょっと休んだらまた欲が出てしまって中に入ってしまった。先回は飛ばしてしまって、もう2度と来ることもないだろう、と思い・・

城の中から見るスカリジェーロは橋を人が歩いているのが見える。この国では骨董品が今でも生活に使われている。

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この城も絵画館になっている。ヴェローナ派の[バラ園の聖母]と13世紀の彫刻[カングランデ騎馬像]

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夜はイル・デスコで食べた。夜だからジュリエットの家の鉄扉は閉まっていた。門の両脇の壁には殴り書きが描かれていた。ジュリエットの家ってこんなに街中にあったのだろうか。両隣はしゃれたブティックだ。

ホテルの前のエルベ広場の角では着飾った人たちがパーティをしていた。この地方の最大の特産品である大理石の買い付けに来た人たちだそうだ。ガッビア・ドーロも明日からは満室だそうだ。
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ヴェローナのホテルとレストラン

2006年10月3日

先回はドゥエ・トッリ(Due Torri)に泊まったので、今回は中心部のガッビア・ドーロ(Gabbia D'Oro)にした。

ドゥエ・トッリの古典的な重厚さとくらべ、ガッビア・ドーロは木組みの天井と白い漆喰のルスティックな愛らしいホテルだ。歩き疲れた身にはこういうアットホームな(値段以外は)雰囲気が嬉しい。

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さっそく、昼食に出た。ホテルからすぐのところにあるアル・ポンピエーレ。何種類もの生ハムが天井からぶら下がっていた。

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今回の旅行で、一番気に入ったレストラン。地元の人も大勢いた。M子がトイレに行ったら並んでいて、おじいさんに話しかけられたという。隣の大テーブルで店主が「インジェニエーレ、インジェニエーレ」とぺこぺこしていたその人だった。

イタリアでは誰でもミスターを使うのではなく、タイトルで呼ぶ。大卒なら「ドットーレ」と呼ばれる。私だって、ドットーレなのよね。あ、それで、小さな設計屋でもインジェニエーレと呼ばれるからたいしたことないと思っていたら、六本木の森ビルを設計したのだという。本当かもしれない。

夜は有名な2つ星のイル・デスコに行ったが、海鮮をひねくりまわした料理で、これなら日本で寿司屋に行って白子ポン酢食べたほうがいいや、と思った。

イル・デスコならではの逸品はデザートで、チョコレートの上にコーヒーのフラッペをのせ、生クリームをのせ、フライドライスでトッピングしたもの。これがスタバで食べられたらなあ、と思った。
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2006年12月14日

ラ・ロトンダとヴァルマラーナ荘

2006年10月3日

ヴィチェンザを発つ日は火曜日で、オリンピコ劇場は開いていた。しかし、街の端まで歩く気にならず、それより早くヴェローナに行こうと、車を待っていた。

タクシーが高いのでホテルの知り合いのいわゆる白タクにしたのだが、他に出ていてなかなか来ない。ロビーで待っていると支配人が近づいてきた。

どこに行くのかと聞くから、ヴェローナだと答えると、自分はヴェローナのドゥエ・トーリの支配人を15年していたのだと言った。何とそこはK姉さんと1991年に泊まったホテルだったので、その時シンクロしていたことになる。

引退してこのカンポ・マルツィオを買ったのだという。だから、この人は支配人室の扉をあけて、いつもロビーをチェックしているのだった。それで、今回はガッビオ・ドーロに泊まると言うと、あそこは良いホテルだと言った。

さらに、ヴィチェンザはどうだったかと聞くので、ヴィラを見る時間がなくて残念だと答えた。街の建物だけでは、期待したパッラーディオの建築のよさが余り感じられず、ちょっとつまらない気分だったのだ。

そうしたら、ちょっと遠回りして、ラ・ロトンダとヴィラ・ヴァルマラーナに寄ったらよい、とアドヴァイスしてくれた。ラ・ロトンダは中は見れないので(水曜日しか開いていない)、ティエポロのフレスコ画で飾られたヴィラ・ヴァルマラーナの内部を見るのがよいと。

私は18世紀の画家ではティエポロが大好きだが、ちょっとまてよ、と思った。う〜〜ん、16世紀のパッラーディオのヴィラにティエポロが描かれる?

そこへ運転手が現れ、支配人がここへ行くようにと言ってくれたので、出発した。

着いたところは道端で、細い山道を登るのだそうだ。え〜〜!と思ったが、途中で日本人女性がひとり、急いで登って追い越していったので、この先にヴィラがあることは確かであった。

着いたところは素晴らしい邸宅で、別の方向から車で来れるちゃんとした道もあった! パーキングもあった! 全く気のきかない運転手だと思ったが、実はその山道に入るところの向かいにロトンダがあるので、そこに車を停めたのは意味のあることだった。

バラの花(公園用のフロリバンダではなくて、ハイブリッド・ティー・ローズ!)が咲く庭園の向こうに四角い瀟洒な建物がある。ここはパッラーディオのヴィラではなく、後継者によって17世紀に建てられたパッラーディアン形式の建物だった。

入ろうとすると管理人が、本当はチケットがいるのだが、もう閉館の12時まで時間がないので、後から買いなさいと言ってくれた。

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確かにどの部屋の壁ももティエポロ親子の絵で飾られていた。天井画を見るときのように首が疲れないので、じっくりと鑑賞した。個人の邸宅がティエポロの絵を飾るなんてなんという贅沢なのだろう。

ここは相当のお金持ちらしいが、ピアノの上に置かれた家族の写真を見ると野暮ったく、すてきな男も女もいない。子供たちもみんなブスだった。ヴィスコンティの映画に出てくるような邸宅ではあるが、やはり、映画と現実は違う。

さて、写真は禁止されていた。管理人も良い人だった。でも、ティエポロの誘惑は強く、フラッシュなしで、急いで数枚の写真をとってしまった。ちょっとぼやけているのはそのせいである。

そして、管理人は良い人だったのに、急いでいたので、チケットを買わないで(忘れたとは言わない)、ヴィラ・ヴァルマラーナを後にした。

そして、早足で山道を戻ったのに、ラ・ロトンダに着いたときに12時の鐘が鳴り終わっていた。シンデレラ的放心状態。

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無常の扉の間から写真を撮っていたら、ここでも優しい管理人さんが中に入って撮るように言ってくれた。いつも思うが、美人は得だ(爆)。

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バラで飾られた通路の向こうに、パッラーディオの逸品、ラ・ロトンダがそびえていた。この建物は階段が設けられていて他のヴィラより荘厳で近づきがたい。

しかし、ここにもパッラーディオがヴィラ建築に求めたものがちゃんとある。それは、左右対称の間取りで使いまわしの効く構造、そして、経済的なシンプルな内装。

山の上の領地の畑を見回せる場所にあり、納屋としても使え、地域の人々の交流の場であるヴィラは田舎の領主の生活のために造られたものだ。今の都会の人が田舎に持つヴィラとは全く違う。

そういうことを感じさせるこのラ・ロトンダ。遠くからだけだけれど、ここでも16世紀に作られたものに出会えたことに感謝して心に刻んできた。

[ヴィラ・ヴァルマラーナとラ・ロトンダを訪ねて]フォト・ストリーム
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2006年12月07日

パッラーディオの街として世界遺産になったヴィッチェンザ

2006年10月2日

ヴィッチェンザは今回の旅行でただひとつの初めて訪れた街である。だから、[地球の歩き方]を持って来なかったことをものすごく悔やんだ。ホテルでもらう地図は小さくてどこにどういう目玉商品があるか解らない。

しかし、結果的に私たちは最も美しい建物のある通り、Contra' Portiに一直線に向かうことができた。ホテルがすすめたレストランがこの通りの近くにあったのだ。

しかし、月曜日でこのレストランは休みで、別のレストランを探そうと入った路地がこのContra' Portiだった。驚いたことにそこにはヴェニスでよく見るゴシック形式の愛らしい建物が並んでいた。

Vicenza23Palazzo Porto Colleonismall.jpg...Vicenza5CorsoPalladio2small.jpg

おかしいなあ、ヴィッチェンザはパッラーディオの街ではなかったのかしら? しかし、私は愛らしい建物のほうが好きなので、ゴシック形式の建物の写真をとりまくりました。⇒写真集

パルマで素晴らしいファルネージ劇場の内部を見て、これがヴィッチェンザにパッラーディオが造ったオリンピコ劇場を手本にしたと知ったときから、是非見たいと思っていた、オリンピコ劇場。しかし、月曜日で休館。残酷にも鉄の格子扉が閉まっていた。

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格子の間から撮ったオリンピコ劇場。

これにがっかりして、同じ広場にあるキエリカーティ宮など、パッラーディオの作品なのに、写真を撮る気にもならなかった。この建物内は美術館で、ここも月曜で閉まっているので。

全く、月曜日はどこかの都市に当てはまるわけだが、辛い。[日曜はいやよ]とか[・・だめよ]とかいう歌があったけれど、[観光に月曜日はだめよ]!

それからパッラーディオの作品群の残る中心の広場に赴いた。だだっぴろい広場にがらんとした残骸のようなロッジャのある大きな建物があった。こがバジリカでパッラーディオの博物館になっているが、やはり月曜日のせいか、人がいないので、とっても薄気味悪い。

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実はこの建物の意味が解ったのは、日本に帰ってから、建築様式を調べていて、歴史を知ったからだった。フリッカーのサイトにアップロードする写真の説明のために調べていたのだが、はまってしまった。

それで英語で書くのに精力を使いすぎて、また日本語で書く気にならないので、そのまま貼り付けます。

BASILICA 1549-1617

The first major work by Palladio.

Doric order on the lower register and the Ionic on the upper.

The entablature put forward over the columns provides horizontal line of undulating movement with ruffling banisters.

But it is wrong to call it totally his style. He just joined in a wrecked project of remodelling the old town hall.
At the end of 15th century, there were 2 community buildings and they wanted to unite them with lots for market in form of a loggia. Once done by the competition winner but broken in few years.

Then they made proposals to famous designers and architects in vain for 50 years!

Why Palladio, called Andrea della Gondola and unknown could have made such a big success? Because he was a superb mason. The stones of the region used and it took 70 years for the accomplishment.

The point I like Palladio is that he is a pure mason who loved stones. He traveled to Rome and learened a lot from old solid and simple Roman architectue and made the base of modern buildings. His spirit remains already in 5 centuries and more.Great work!

部分の説明もあるオリジナルページ⇒http://www.flickr.com/photos/machilin/313932462/

それから宿に帰り、夕食は近くのレストランに出向き、何となく一日が終った。つまらなかったのは、月曜日だったこともあるけれど、それだけではない。パッラーディオのヴィラを見る船のツアーにはこのヴィッチェンザからは参加できないし、ホワイトハウスの原型みたいな公的な建物は面白くなかったなあ、とか思ったのだった。

だから、翌日、思いがけなくヴィラを訪問できることになったときは天にも昇る気持ちで運に感謝したのだった。
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2006年11月21日

貪欲に見てまわったパドヴァ

2006年10月1日ー2日

パドヴァは街の端と端と中央に見るべきものがあり、一日で回るのはかなり厳しいが、私は[地球の歩き方、ミラノ・ヴェネチアと湖水地方]を熟読して歩き方のシュミレーションをしていたおかげで効率的に回れた。

しかし、実は、この本を置いてきてしまったのだ。それも間違って[南イタリアとシチリア]を持って来てしまったの。私はつくづく嫌になるほどバカです。

そういうことで、ラジョーネ宮の入り口がわからず、内部の大きなフレスコ画というものを見ることはできなかった。でも、地歩のお陰で、スクロヴェーニ礼拝堂は予約して入ることが解っていた。前もっての予約が推奨されていたけれど、一番に行って当日予約をすることにした。

昼前に隣接する市立博物館に行くと、専用のカウンターがあって、一番早くて18:30だと言われた。想定内だ。この間にランチして観光してしまおう。パドヴァ・カードというどの施設も共通の券を買った。

礼拝堂の建物の前にはバラが咲いていて、ベンチでは順番を待つ人が座っている。そこにあったのが、マンテーニャ展の垂れ幕。都市によって絵が違う。
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運の良いことにパドヴァのマンテーニャ展はこの市立美術館の一角で開かれていたのだった。

ランチは日曜日で空いているところが少なかった。小さなオステリアに入ったが、なぜか映画スターの写真がいっぱい貼ってある店で、英語を話すアメリカかぶれみたいなオヤジさんがいて、パッパデルロはバンコックのセントラルデパートのイタリアンのほうが洗練されていた。(この重いパスタのせいで、夜は柿ピーしか食べられなかった)

日曜日は広場に人が大勢出ていて(今回初めて群集というものを見た!)、カフェ・ペドロッキは昔の文人のかわりにスノッブで行儀の悪い人たちが占領していて、面白くないので、植物園に行くことにした。

植物園は街の端にあって翌日に回そうかと思っていたのだが、ここは世界遺産になったヨーロッパ最古の植物園のひとつなので、えいっと行くことにした。

私は嬉しかった。こんなに素朴な植物園は身のまわりにない。柵はさび、門柱の上のアガパンサスの形をした金属性の飾りも真っ黒。そうそう、当時高級品で、客を歓待する象徴として門柱の上につけられたパイナップルが、ここにもあった。

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ゲーテが賞賛したという棕櫚は、どこにもないと思ったら、大きな専用のガラスの建物に入っていた。

それから、この地区にあるもうひとつの目玉、サン・アントニオ聖堂の辺りに行った。ここはイタリアの聖地でもっとも有名なところだが、先回しっかりと見たので中には入らなかった。参照⇒[奇跡の街、パドヴァ]

中に入ったのは手前の小さな礼拝堂、サン・ジョルジョ礼拝堂だ。礼拝堂はどこもフレスコ画がぎっしりとつまっていて、一歩も動かないで頭を回すだけで見られるので好き。

それから、大好きなドナテッロの傑作、ガッタメラータ騎馬像をじっくりと見た。これが、ルネッサンスの画家たちがパドヴァまで見に来て、研究した作品なのだ。彼らもこうやってこういう角度で見たんだな、と感動する。

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先回泊まったドナテッロというホテルが見える。ここは巡礼でない限り、泊まるのに楽しいところではない。

それから、昔、K姉さんとスクロヴェーニ礼拝堂に向かった道を戻った。ここは昔ながらの古臭いところで、駅からも遠いこの場所はだんだん廃れていくような感じがした。

つまり、また端から端まで歩いたわけで、自分の健脚に感心したのであった。

スクロヴェーニ礼拝堂の内部についてはこちらの91年の日記に書いたとおりだ。見ることができるのは15分だけで、その前に控えの間で15分間ヴィデオを見せられる。いつからイタリアはこういう厳しいシステムになったのかしら、と不思議な感覚がした。

確かにジョットは素晴らしいし、こここそが彼が最も多く関わった作品だけれど、待たされたせいか、管理されたせいか、2度目のせいか、感激が薄くなってしまった。勿体ないことである。

今日はパドヴァを一往復したわけで、疲れたが、がんばって歩いてホテルに帰った。食欲はなく夕飯は抜いた。

しかし、このホテルのこの部屋にはなんとジャグジーがあったのだ。2人で喜んで入り、泡をたてて写真を撮ったが、危ないところが見えてしまったりしたので、何度も取り直した。M子はこのときから風邪をひいたのだと思う。

翌日は地歩でかすかに覚えていた、ドゥオモ脇の礼拝堂に行った。歩いて5分のところで開館前についてしまってしばらく待ったが、この礼拝堂が素晴らしかったのである。

ロマネスクの建物の中にぎっしりと詰まった1300年代のフレスコ画はメナブオイさんの作品だが、画家の名前を知らなくても素晴らしいものは素晴らしい。

それに、フラッシュなしなら、写真が撮れた。M子が、「ここもそのうち写真禁止になるわよ」とけしかけるので、パチパチと撮った。

たとえば、この[ユダの接吻]。ジョットの大柄な構成美(ユダの衣装が大きくの黄色で中央にあるところなど)は感動するが、これだっていいじゃないの。

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弟子たちが横ではなくて縦に続いていて、光輪だけが見え、大勢の兵士の頭の並び方はフィレンツエのフラ・アンジェリコの作品のようだ。

これも面白い。[最後の晩餐] ユダがこちら側にいる図はいくつもあるが、このユダはおまけに黒い光輪をかぶされている。キリストにはキリスト特有の赤い十字の入った光輪がかぶせられて、これもわかりやすい。

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ダ・ヴィンチではないので、寝ているのは(寝ているのではなく泣いている)のはヨセフだ。

女みたいなヨセフは降架のときも立ち会うわけで、これをマグダラのマリアにすり替えてしまうのは危険だ。ダ・ヴィンチコードとはこの場面を利用してマグダラのマリアの存在を知らせようとした(ダ・ヴィンチに聞かないと解らないが)だけである。

世界遺産の植物園を中心としたフォトストリームを見てね!
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2006年11月20日

世界遺産の街、フェッラーラの散歩

2006年9月30日

前回の1991年にはフェッラーラーはまだ世界遺産に選ばれていなかったが、この15年の間に歴史的建造物が変化するわけがない。

たとえばこのドゥオモのファッサードは昔と同じ、内部が気味悪く暗いのも同じ。

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しかし、観光客は増えていて、ドゥオモの真向かいのカフェにはきれいな大きなテラスができていた。ちょっと期待してそこでパスタを食べたけれど、おいしくなかった。今回の食事の中でいちばん観光地的な店で食べてしまった。

カフェにはアメリカ人の団体客が多く、みんなデブなのに、なぜかサラダを頼んでいた。デブなりの健康志向かもしれないが、食後に出されたクッキーを食べ続けていたから、無駄な努力だ。

ドゥオモの横側のポルティコの痛み方は進んでいた。ここにある古くからの店が発展も改良も阻んでいるのだろうか。といってもこの広場での主役は観光客用の露天市場なので、誰も気にしないということか。

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スキファノイア宮に行ってみると、中庭があってオープンカフェになっていた。ここはエステ家の人々も集った中庭だそうだ。

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M子も私ものんびりするのが好きだが、こんなところで長居していてカステルロを外すのはいけないと、中心部に戻った。

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いつもぎりぎりの判断なので、街は暗くなり始め、閉館が迫っていた。それでも内部のすばらしい壁や天井のフレスコ画を鑑賞することができた。繊細な趣味はヴェニスの宮殿の装飾にも似ている。

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最後まで粘って見てまわってカステルロを出た時、太鼓の音がして、中世の衣装を着た人々と旗手たちが入ってきた。なんと出口のところの広場でパーフォーマンスが始まるのだった。サタデー・ナイトのショーだったのである。ぎりぎりに来なければ出会わないことで、とてもラッキーだった。


しかし運の悪いことに私たちは旗手達の後ろ側にいた。この子たちには出演者としての自覚はなく、兄貴分たちが世話を焼いていた。しかし、待っているのに飽きてふざけはじめる。そして女の子たちが踊るときには前に行って見ているのである。

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だから、ショーも良く見られなかった。写真を撮ろうにも自己中な観光客が前に出ていくので彼らの尻を撮らなくてはならない。いらいら。するとM子が「いらいらすると癌になるよ」と諭したので、ちょっと反省した。気を取り直して移動して遠くから撮った。

夜は近くのレストラン、Bagattinoに行った。昼間がまずかったので期待しないで行ったら、ここの海の幸のタリオリーニが今回のパスタでは一番美味しかった。そして安かった。さらに、最後に頼んだデザートがイル・コントに書いてなかったので、とても安かった。

フォト・ストリームによる散歩はこちらで
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2006年11月10日

フェッラーラのホテル

2006年9月30日-10月1日

フェッラーラも今回どうしようか迷った街だった。というのは1991年にK姉さんと寄ったときにお姉さんが転んで救急車で運ばれるということがあったからだ。

しかし、事故は帰りの駅で起きたのでフェッラーラのせいではない。コスメ・トゥーラのようなフェッラーラ派の絵画はわざわざ見なければよい。

フェッラーラの街は世界遺産にも選ばれたし、今回はホテルに一泊してゆっくりすればよいだろう。そう考えて、思いっきり高級なホテルにしてみた。といっても、ミラノのあの2度と泊まりたくないDei Cavalieriより安いのだ。と、自分に長い言い訳をして、Annunziataのスイートを予約した。

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Annunziataは街のど真ん中の市庁舎広場に面している小さなかわいいホテルだ。6室あるスイートは別棟でプリスチャーにという名がついている。覚えにくい名前だ。そこには鍵を持っていって自分であけるのだという。

店の並ぶ通りに面した入り口の鍵をあけると、そこは古い街からは想像できない現代的なアートホテルだった。ある彫刻家の作品だけで飾られているのである。

朝食は本館でとるのだが、それがこの旅行で1、2を争う素晴らしさ! チーズの種類は一番多かった。たぶんニセモノだが、キャビアもあったのよ。

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フェッラーラに泊まったのは土曜日だったので、市庁舎広場ではフェスタがあったらしく、片づけをしていた。ホテルのまん前だから騒音が酷かっただろう。別棟のスイートにしておいて助かったと思った。
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2006年10月18日

ファルネーゼ劇場@パルマ

2006年9月30日

土曜日の朝、フェッラーラに向かう前に、公園を往復1時間歩いてまで行きたいところがあった。それが、ファルネーゼ劇場、17世紀の初めに造られて現在も使われている劇場だ。

「オペラをやっていない劇場に行っても仕方ない」と人はいう。でも、そういう人って日本ではオペラを観に行ったり、CDで聴くこともしない。

春に団体でパレルモのマッシモ劇場に行ったときの添乗員もそう言ったが、私は自由時間に行って、ものすごく感激したのだった。

がらんとした劇場だって、耳を澄ませば、飾った人たちのお喋りや拍手や開演前に弦楽器が調音する音まで聞こえて来る。要するに、想像力よ!

その感激をもう一度、とファルネーゼ劇場にやってきた。ピロッタ宮のピロティで入り口を訪ねると、だだっぴろい石の階段を上がったところだという。

真っ白い階段の上に茶色いゲートウェイが見えてきた。私は日本人であるせいか、木でできたこの巨大な入り口に感激する。

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内装もすべて木製である。マッシモ劇場のあの赤い絨毯やフレスコ画の華麗な劇場と比べてなんと簡素なのだろう。

こういう内装はイタリアでは初めて見たが、設計者はあのパラディオがヴィチェンツァに造ったオリンピコ劇場を手本にしたという。

パラディオはヴィラを作ったので派手に思われるが、ヴィラと言っても当時は田舎の夏の家で、お金をかけない簡素な内装がモットーであったのだ。そういうところを私は尊敬してる。

劇場内の写真撮影は禁止なので、数人の見張り(イタリアの見張りはみんな本を読んでいるだけ)が椅子を離れた隙に舞台から撮った貴重なお写真。

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しかし、実はここが使われたのは1732年まででそれ以降は老朽化のために使われなかった。木製の内装はその点が厳しい。さらに、連合軍の爆撃で完璧に壊され、現在の内装は戦後に原型に忠実に造られたものだった。

でも、17世紀の初めにフィレンツエのコジモ2世が旅の途中で寄るからということでお造りしたけれど来てもらえず、しばらくしてコジモ家の令嬢とファルネーゼ公爵が結婚したので柿落としをしたという切ない空気はあったような気がする。
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2006年10月17日

静謐なドゥオモ広場@パルマ

2006年9月29日

この小さな広場の周りにパルマの教会建築がつまっている。観光客はまばらで、地元の人はコーナーにある人気のジェラテリアK2に並ぶ。美味いジェラートを食べながら眺める中世の教会はオツなものであった。

ロマネスク=ゴシックの傑作、アンテラーミのデザインした洗礼堂。

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ここがパルマで一番の場所であり、今回もここが目的だった。アンテラーミの彫刻でぎっしりと埋まった内部については前回詳しく書いたので省略。


12世紀のロンバルディア形式のドゥオモ。中世の簡素な建築、ピンクの大理石が絵のように美しい。2頭のライオンも立派で、よく残っていたと感心する。

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人と比べるとライオンの大きさが解る。

しかし、この内部の装飾はバロックの騒がしい荒々しい絵なのである。クーポラに描かれたコレッジョの[聖母被昇天]が有名だが、私はカトリックではないので、聖母も昇天するというストーリーに共感できない。

といっても、コレッジョはパルマ派の代表的な人であり、マニエリズムのパルミジャーのよりはマシなので、聖ヨハネ教会まで行くことにした。ここにはコレッジョの[キリストの昇天]がある。[キリストの昇天]はまあ、仕方ないと思う。

聖ヨハネ(SGE)教会はルネッサンス=バロックのファサードが愛らしい。

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中には回廊もあるが、床の下が墓になっているし、ここはファーマシーだった(昔の修道院はファーマシーであることが多い)せいか、とても陰鬱。ちょっと霊感のある私は湿った空気の中に癒されなかった病人の怨念を感じてしまう。

教会内部は暗く、クーポラのモザイク画はほとんど見えない。フラッシュなしで撮ってきて、光度を調整してやっとこの程度。ヨハネ伝に書かれている、彼が見たキリストの昇天の様子が描かれている。周りの人は11人の弟子(12−ユダ)

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はっきりと見える絵を探して来た。しかし、これはやはりバロックの荒々しい絵であった。

なぜ、コレッジョはモリモリのふくらはぎや上腕を強調するのだろう。[聖母被昇天]では女の脚に興味があるのかと思ったが、男の脚も好きみたいだ。こういうものは遠くにあってぼやけて見える程度で良いのだった。

昔別れた男と会うと、昔と同じ理由でふたたびイヤになる。絵も同じだった。
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パルマで選んだホテルはVerdi

2006年9月29−30日

91年とほぼ同じ場所を巡る旅程作りで最後まで迷ったのが、パルマに泊まるか、マントヴァに泊まるかということだった。

それは結局は、マンテーニャのフレスコ画を見にゴンザガ宮殿に行くか、アンテラーミの洗礼堂を見にパルマに泊まるか、どちらにするかということ。

マンテーニャの好きな私はマントヴァの方が良かったが、初めてのM子にはアンテラーミの洗礼堂だろうと思う。

そこでなぜパルマの印象が悪かったか考えてみた。ホテル自体も雄鶏が鳴き叫んで不愉快だったが、街から遠く離れていてタクシーを使わなければならなかったこと、と、駅からの往復で延々と街中を歩いたことだと思った。

そこで、前日のミラノでは街中なので、パルマでは公園に面した小さなホテルを選んだ。邸宅を改造した20部屋しかないホテルで、VERDIというが、音楽とは関係ない。パルマはヴェルディが生まれた街なのである。

道を迷って、犬と散歩をしていたマダムに聞くと、「ヴェルディはこの街で一番のホテルよ。マリア・ルイジアなんかより、駅前の大きなホテルなんかより、ずっと素敵なホテルよ」と案内してくれた。

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ステンド・グラスをはめ込んだガラスのドアの向こうに見えるのが公園。古いヴェネチアン・グラスのシャンデリア、趣味の良いほっとするホテルだ。

客はアメリカ人ばかりだった。日本人観光客は来ないけれど、先月、この街の会社が招待した日本人グループが泊まったのよ、と言っていた。

それは街まで公園を突っ切らなくてはならないからだろう。アメリカ人たちは自転車を借りていたが、私たちは歩いて行くことにした。

デュカーレ公園は、訳せば公爵公園だから、新宿御苑みたいなものだ。

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こんな小さな街にこれほど整備された美しく広大な公園があるとは驚きだった。高い木々やマロニエの並木の間を20分歩くと旧市街に続く橋に出る。

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橋の際に立つピロッタ宮殿のピロティを抜けると街が見えた。私たちは結局、ここを2往復したので合計2時間以上歩いたわけだけれど、快晴の秋の日(結局最後のミラノを立つ日まで雨は降らなかった)、素晴らしい場所を歩けるのは幸せだ。

運の良いことにホテルの隣にあるサンタ・クローチェというレストランが地元の人も行く人気のレストランだった。テラスで食べるプロシュート。ウチの家族は全員生ハムに目がないので、申し訳ないと思った。

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でも、毎日食べることになったので、その後はもう家族の恨めしげな顔を想像することはなくなった。慣れとはそういうものだろう。


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ホテルの窓から朝焼けが見える。

時差は感じないようにしていても、体のどこかに残っていて、こうしてしばらくは早起きしてしまった。

胃のほうも、機内食は酷かったしミラノの夕飯はおにぎりだったので食べれると思うが、受け付けないものだ。この旅行でずっと惜しいと思ったのはここパルマで半分残したフィレ・ステーキであった。

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2006年10月13日

憧れていたパヴィアの僧院

2006年9月29日

ミラノに寄る度に、今度こそパヴィアの僧院に行こうと思っていたが、ミラノの友だちは「え〜、パヴィアぁ」と言うし、先回は運悪く悪天候で行かれなかった。確かにぽつんと離れたところにあってとても行きにくい場所なのだ。

しかし、今回は多分最後のミラノ、いやもしかして最後のイタリアかもしれないので、パルマに行く途中に寄ってもらうことにした。中はガイド付き観光なので見る時間はないが、せめてあのファサードだけでも見て来たいと思った。

パヴィアは川が流れるのどかな平地である。川は堤防越しに見える程度の細い川だが、北のマッジョーレ湖から流れてくるティチーノ川だ。遠くのほうに、僧院全体が見えて来た。とても大きい。

草むらの中の細い道がまっすぐ正門に通じていて、その先に門があった。

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観光客はいない。昼間の閉館時間なので柵も閉まっている。でも、これは織り込み済みで、ともかく、ファサードを見ることができればそれで満足しようと思った。

しかし・・・、ファサードの半分は修復のために覆われていたのだ。これだけが楽しみだったので、とてもがっかり。柵の間にデジカメを入れて一枚撮った。

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ファサードは確かに美しいけれど、このくらいのものはイタリアの多くの街で見ることができる。ファサードがぺたっと美智子妃殿下のお帽子のように張り付いている煉瓦の本館の大きさこそが、このパヴィアノ僧院の醍醐味なのかもしれない。

そこで、周りから見たいと、塀の周りを回ってみた。しかし、煉瓦の塀が高くてやっとひとつの搭の先が見えた程度だった。まあ、これで、この僧院の広さが解ったのだが・・。

塀の周りには本当に何にもなく、自転車に乗ったおじさんとすれ違ったが、ヴィスコンティの映画、[郵便配達は2度ベルを鳴らす]の冒頭のポー河の堤防の道を思い出した。そういえばポー河も近いのであった。そういえば、パヴィアという街は昔ヴィスコンティ家のあったところだった。

パヴィア市のホームページを見ると、小さいほうの中庭はすてきな庭園だ。まだもう一度見に来たいとしつこく思うけれど、それは将来とてもヒマになってパヴィア市に一泊することがあれば、ということにしよう。
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2006年10月12日

ドゥオモの尖塔の屋根を歩いて

2006年9月28−29日

ミラノを起点と終点にして北イタリアの街を回る10日間の旅程を作った。ミラノには10数回来たけれど、この街を目的に来たのは初めてイタリアに来た1989年以来である。

宿泊したのは今回で4回目だが、過去2回はサルヴァ・ジェンテやD・MAGASINEでの買い物だけに慌しく動いていた。

しかし、今回は違う。これが最後のミラノだと思うので(2004年の日記にもそう書いたけれど)、もう一度ドゥオモの屋根に登ってこようと思ったのだ。

ミラノの空港から街に入って来たとき、同行者のM子が「イタリアの街でこんなに魅力のないところは初めてだわ」とぽつんと言った。確かに、広い道の半分に車が駐車してあるので、駐車場の間を抜けるような感じで、お世辞にもすてきな街とは言えない。

そこで、宿に着くなり、M子にミラノの目玉商品、ドゥオモを見せに行った。このために、今回は共和国広場のパラスではなく、歩いて5分のところにあるDei Cavallieriというホテルを選んだのだ。サービスが今までで一番悪くて(想像どおり!)2度と泊まらないが、ドゥオモを夜に歩くには便利なところだった。

残念なことに正面は下半分が修理中だった。

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しかし、横面はこんなに美しい。この上の部分が歩いて登ると到達する場所である。そしてガレリアも輝いている。

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美しいガレリアの横の大きなハンバーガーショップでミネラル・ウォーターをしっかりと仕入れ、ホテルに戻った。

夕食は成田のコンビにで買っておいたおにぎりで軽く済ませた。機内では一睡もせずに映画と数独をしていたので、時差も感じずに朝まで眠った。朝はこのホテルのただひとつの花丸、ルッコラのサラダを食べて気分良くミラノの街に出た。

ドゥオモの正面広場を見ながらまず、ブレラ美術館へと歩いていたら、ふと昔との大きな違いに気が付いた。広場が美しいベージュ色なのである。前はドゥオモのすぐ前にまで入っていたタクシーがない。タクシーを降りるとわっと寄ってきたジプシーはいなくて、鳩も少ない。これが街の美化というのだろうか。

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スカラ座の角を曲がってブレラ美術館に行く通りに入る。一歩中に入ると昔からの普通の通りだ。

これは出るときの写真。やっと朝日が中庭に差してきたところ。朝一番の美術館は人がいなくてとても良い。

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ここでは例のマンテーニャの足の裏から見た[死せるキリスト]が貸し出し中だった。マントヴァのマンテーニャ展に行っているのだという。今回の旅程ではずしたマントヴァにやはり行っておくべきだったかと思ったが、M子は「私はマンテーニャは特に好きではないし、[死せるキリスト]は嫌いだからよいわ」と言った。

M子はベッリーニが好きなので、幾つかの絵を見て喜んでいた。ベッリーニの聖母は確かにしとやかで素敵だけれども、ベッリーニはいつも同じような牧歌的風景に青いマントがめだつマドンナを描いた。

私に言わせれば、想像力に欠けた売り物の絵だ。天使や聖母や幼子の顔が気持ち悪いとかいわれて理解されなくても、想像を爆発させるマンテーニャのほうが私は好き。

しかし、幸いなことに、マンテーニャ展はマントヴァだけではなかったのである。マンテーニャ500年というイヴェントが9月18日から来年1月まで多くの都市で開かれていたのだ。私たちが訪ねたパドヴァやヴェローナでマンテーニャ展を見られたことは、マンテーニャを尊敬している私にとっては思いがけないプレゼントだった。

ドゥオモにはリフトで登った。リフトで上がると、ちょうど裏正面の部分を歩ける。ミラノの古い街の部分の瓦屋根が見えるところだ。

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もう2度と上がらないと思うので、心に留めながら写真を撮った。

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スライド・ショーはこちら。 

そして、パルマに向かうためにホテルに戻った。

帰りの10月6日にもふたたびリナシェンテのビストロの透明の屋根からドゥオモの尖塔を見て感激した。しかし、今、このブログを書いていて思い出したのだが、ドゥオモの中には入らなかったのだ!! どこの街に行ってもドゥオモに入る私が忘れていた。それほどこの建物の外観は素晴らしいということにしておこう。
posted by iconologist at 11:28| Comment(0) | '06 ミラノと北イタリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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