2008年12月17日

ティヴォリ、ハドリアヌス帝の別荘G ヴィーナスの小神殿

2008年10月9日 ハドリアヌス帝の別荘は広大で、予定していた2時間ではとても回れそうにもなかった。海の劇場を大急ぎで通り抜け、北東を流れる川に面したテムペーのテラス(Terazza di Tempe)を抜け、ヴィーナスの小神殿(Tempietto di Venere)を目指した。

この北東のあたりは開けていて明るい場所だ。
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アッパークラスの住居などもあって美しい場所だったと思うが、建物の基礎しか残っていない原っぱが多い。皇帝の宮殿も北東の広々とした平野と川が望める高台の縁にに立っていた。

ヴィーナスの小神殿は丸い建物だが、復元された柱はその6分の1くらいだろうか。 右の木の茂っているところにも列柱があったわけだ。遠くに平野の向こうの山並みが見える。

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ヴィーナスはこの真ん中にいる。

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ハドリアヌス帝が作らせた彫刻は世界各地の逸品のコピーだが、このヴィーナスもPraxiteles が紀元前350年に制作したクニドス(Knidos)のアフロディテのコピー(の復元版)である。

ハドリアヌス帝のセンスに感心するのは、これが世界で初めての女性のヌード彫刻であることだ。ギリシャには行きたいと思っているけれど、結局は行けないかもしれない。だから、その片鱗だけでも味わうことができて嬉しかった。

時間が迫ってきてギリシャ劇場は見られないと思ったら、そこは雑草の生い茂る工事現場みたいなところで、まだ整備されていなかった。

1999年に世界遺産になったハドリアヌスの別荘は今も修復工事がすすめられている。いつになっても終わらないかもしれないと思うくらい広い場所で、タイのスコータイの遺跡を思い出した。あのときはスコータイに2泊してゆっくりと回った。また来ることがあったら(来ないと思うけれど)この北東の部分をゆっくりと回りたいと思う。
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2008年12月16日

ティヴォリ、ハドリアヌス帝の別荘F 消防士の宿舎、倉庫

2008年10月9日 ハドリアヌス帝の別荘地では残っている建物が少ない。だから、このように立派な建物(の残骸)があると皇帝のお住まいかと思ってしまうが、消防士の宿舎である。

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場所はポイキレに面したところで、遠くからでも良く見える。

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同じようにこの大きな建物も遠くから目を引く。

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この大きな四角い建物は倉庫だったといわれる。皇帝の宮殿やアッパークラスの住居ばかりではなく、倉庫や消防士の宿舎も立派に整備されている。こういう所を見ると、ここは別荘というより街であったと改めて感じる。
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2008年12月11日

ティヴォリ、ハドリアヌス帝の別荘E 美しい冬の宮殿跡

2008年10月9日 ハドリアヌス帝の別荘の中で一番魅力的だと思ったのはここだった。

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小高い丘の上なので遠くの山も見渡せる。青空の美しい日だった。

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ここはPeshiera(Fishpond)と呼ばれていて、地歩では養魚池と書いてあるが、実際はこの池のある建物全体を指す。左に残る大きな壁がその建物の外壁だ。建物は反対側の南にあるスタジアムを見下ろしている。大きな壁が残っていて堅固に造られたということが解る。

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ここには各室に暖房設備があったので、皇帝の冬の住居であったと思われる。もしかしたら、一年中ここに住んでいたのかもしれない。

というのは、列柱などの装飾が繊細で美しいからである。

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確かに有名なカノプスの池は魅力的だけれど陰気だ。セラピスの神殿も辛気臭い。この冬の宮殿の開けて明るい場所にある池のほうが私は好き。今の高級リゾート地の造りと通じるものがある。
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2008年12月09日

ティヴォリ、ハドリアヌス帝の別荘D 小浴場と大浴場群

2008年10月9日 小浴場は部屋が小さくて仕切りがあったためか全体の形が残っている。いかにもお風呂という感じだ。

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手前の溝を良く見てみよう。

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排水口かニンフェウムのようだが、これは使用人の通る通路である。このような地下通路が全体に張り巡らされている。私は閉所恐怖症なのでぞっとする。超差別的な街づくりだ。

大浴場はたくさんあるが、半円ドームがかろうじて残っている程度だ。この場所は解りやすい。

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こちらはドーリア式の柱が残っている(或いは復元されている)。

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列柱で支えられた大きな浴場だったと思われる。

ぽっかりと空いた穴の形がシュールだ。

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私の好きな写真。

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柱は外にも立っているから、大きな浴場だったのだろう。

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もちろん、この柱の上には天井があったわけだ。

開放部からは外の木が見える。この下はニンフェウムのように見えるが、建物の壁の下だけが残ったのかもしれない。

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この写真も好き。別にこのアングルを狙ったわけではない。もろ逆光なのでこれ以上外にカメラを出せなかった。

いつも思う。遺跡ってむりやり美しいと思わなければタダの瓦礫だって。
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2008年12月08日

ティヴォリ、ハドリアヌス帝の別荘C 太陽暖房付き浴場

2008年10月9日 

この建物はハドリアヌス帝の多くの浴場の中で最も古いものである。

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場所は共和国ヴィラの中なので、たぶん一般人ではなくて上流階級が使った浴場である。

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ドームに見える穴は空気抜きではなくて、ここには輝石などの装飾があったのだと思う。他の浴場にはこういうものは無かった。

さらにこの浴場にはHeliocaminusヘリオカミヌスが付いていたという。何だろうと思って調べたら、太陽暖房のことだった。そうそう、ギリシャの太陽の神はヘリオスである。

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Heliocaminusヘリオカミヌス付きの部屋はギリシャでも既にあった。しかし、[南に面した部屋]というくらいのものだった。ここハドリアヌス帝では開放部をガラスと雲母で覆って温室のようにしたのだ。だから、ギリシャよりずっとずっと暖かかったと思われる。

皇帝や上流階級のためとはいえ、2000年前にそういう技術や考え方が存在したのは凄いと思う。
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2008年12月05日

ティヴォリ、ハドリアヌス帝の別荘B ポイキレ

2008年10月9日 ポイキレは入り口からすぐの長い壁の内側の広大な場所の名で、中心には大きな長方形の池がある。

消防士の宿舎から見渡した写真だが、池は左の隅に見える。

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この光景を見たとき、空いているところに樹木を植えて公園にしたのかと思ったが、違った。もともと池のまわりは庭であった。

さて、この長い塀だが、なぜ敷地の真ん中にあるのだろうと、思った。調べてみると、これは塀ではなくて、ポルティコの外側の部分だった。

長さ232メートルの長いポルティコがなぜ造られたのか。 

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模型を見て解ったのだか、当時はポルティコは池をぐるっと周って同じものが向こう側にも建っていた。

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ここを全部歩くと1450フィート、429メートルになる。

これが、医者が食後に薦めたウォーキングの長さなのだ。古代ローマの人はなんと健康に気を使っていたのだろうと感心する。ハドリアヌス帝は62歳まで生きた。

右側の木の下に、ポルティコの列柱の跡が点々と残っている。

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奥にポルティコへ下る階段が見える。

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階段を登った左側に皇帝の食堂があり、このエリアは客室などのアッパークラスの社交的な地域だ。

そうそう、ポイキレという名前である。私ははじめ池のことかと思ったら、このポルティコのことだった。

じゃあ、ギリシア語ではポルティコのことをポイキレというのかというと、これも違った。ポイキレとは古代ギリシャ語でpainted,絵の描かれた、という形容詞。ポルティコはストアである。

ハドリアヌス帝はギリシャのアゴラにあった憧れのストア・ポイキレ(Painted Portico)をティヴォリに造ったのである。そして、壁のフレスコ画が消えてしまったのに、ポイキレという言葉が残っているわけ。

では、ハドリアヌス君はアゴラのストア・ポイキレの何に憧れたかのか? たぶん、アゴラのポルティコの絵の素晴らしさだろう。でも、このポルティコ(ストア)で哲学を教えた有名な哲学者に憧れたのかもしれない。

この哲学者たちはストア派と呼ばれる。現在もストイックという言葉として残っているが、そのストアとは古代ギリシャ語でポルティコという意味なのである。

この写真は庭側から撮ったものだが、オリーヴの木の向こうにポルティコの入り口が見える。そして、半分隠れた丸い建物、これは哲学者の間なのだ。哲学尊重の姿勢が見えるではないか。

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このあたりにはギリシャ語図書館、ラテン語図書館もあり、ハドリアヌス帝は知的な人だったかもしれないと思う。スペイン人は勉強家だし。

言語の成り立ちにはとても興味があるのでしつこいけれど、ここまで調べるとやっと面白くなる。
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ティヴォリ、ハドリアヌス帝の別荘A カノプスとセラピス神殿

2008年10月9日 カノプスはハドリアヌス帝の別荘の南の端にある。直線距離では1キロだが、あちらを見たりこちらを見たりして丘の上から歩いて来たので1時間かかった。

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遺跡は重要だけれど、松の緑と芝生の緑の中、植えられたばかりの紅葉の赤にほっとしたりする。カノプスがこの右下に見えてきた。

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奥にカリアティッドが並んでいるのが見える。この像はコピーだろうが、博物館に本物があるとはいえ、元々あった場所に復元されたコピーを見るほうが好きだ。

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逆光です。

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ひとつのカリアティッドを拡大してみると、

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プールに映る姿のなんと美しいこと。

このカリアティッドが目的だったので、いろいろな角度からじっくりと見る。

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カリアティッドはもちろん屋根を支えていたわけで、ここにはパーゴラがあった。プールがあり、滝もあるカノプスは夏に食事をする場所ではなかったかと思われる。

カノプスとは、エジプトのアレキサンドリアの近くにある街の名前で、ここにはナイルの支流を引いた運河がある。この長い広いプールのような池はそれを模したものである。

池の北端には曲線的なポルティコがある。

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右手前に列柱の跡がが残っている。こちら側にもパーゴラとかポルティコがあったのかもしれない。

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彫刻はアレスと傷ついた2人のアマゾン。ギリシャの彫刻のコピーである。私はエルメスかと思ったが、確かに盾を持っているし軍神アレスなんだろう。もっとも、エルメスと書いている著者もいる。

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私は男性の体の中で一番魅力的なのはお尻だと思う。惚れ惚れするようなお尻だ。

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重心を右足にかけてなよっとしたところなど、ミケランジェロのダヴィデに通じるものがあり、男性をも女性をも魅了する。

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前から見ると、足はそれほどなよっとしていない。むしろマッチョな感じだ。でも、正面から見ると、いつも興ざめする。何故かしら?

カリアティッドの後ろ側を歩く。

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横から見ても美しい。

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良く見ると、ドレスを着た女性だけではなかった。上半身裸で籠を頭に載せた女性(使用人とか)もいる。

さて、重要なのがこの後ろに見える半円形ドームの建物。建築用語ではエクセドラというが、前方に列柱があって、庭や表に面するように開放されている。ここハドリアヌス帝の別荘にはエクセドラが多くあるが、このように列柱が残っているのも(復元されたのかもしれないが)は少ない。

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なぜ、この半円形ドーム、エクセドラが重要かというと、これが現在のバジリカや教会のアプスの原型だからだ。壊れてしまっているが、横には祈りのための小部屋が多くあったようで、それが現在の礼拝堂に繋がるのではないかと思う。

もちろん、このエクセドラにも祈りの対象が祀られていた。セラピス神殿だった。

ハドリアヌス帝はカノプスにあるセラピス神殿を模した。つまり、ここがカノプスと呼ばれるのは、カノプス運河に見立てた池に由来するのではなく、有名なセラピス神殿のあった街の名だからだと思う。

この別荘の敷地内にある神殿は北のヴィーナス神殿とこのセラピス神殿の2つで、ヴィーナスなら解るが、なぜ、よりによってセラピス神というエジプトの神を選んだのだろう。素朴な疑問がわく。

それで、調べてみると、セラピス信仰というのは1世紀に生まれて4世紀にテオドシウス帝から禁止命令が出されるまでは絶大なカルトだった。

なぜ、テオドシウス帝がこれを禁止して神殿を破壊したかというと、キリスト教を広げるためである。つまり、破壊しなければならないほど強力なカルトだったからだ。

ハドリアヌスはこのことを手紙によって知らされていたが、そこには、キリストとセラピスが混同されて信仰の対象になっているアレクサンドリアの事情が書いてあった。

セラピスは現在のセラピストという名詞に通じるので癒しの役目もあり、それだから、民衆が熱狂したのだと思う。

セラピスという名前についてはセラという女性とアピスという聖牛のあいのこだとか、いろいろ説明があるが、一番納得できたのはこれである。

セラピスはエジプトの神オシリスとエジプトの聖牛アピスの混合神である。オシリスはエジプトの言葉でAserという。アピスはhapiである。これを繋げるとAser-hapiアセラピとなる。これがSerapisセラピスとなった。なぜこのような混合神が作られたかというと、上下エジプト全域で崇拝される対象が必要だったからで、これが大ヒットしたわけだ。

セラピスはエジプトの神としてはアピスの牛の顔をしているが、ギリシャでは動物の顔を持つ人物像は嫌われるので、ひげの男の顔である。オシリス由来の特徴は冥界の支配者を現す二股の王笏と、ギリシャ神話のハデスの犬セルベウスと同じ犬を従えているところ。残念ながら、この像はハドリアヌス帝には残っていない。

エジプトの神をこれ以上深く調べる気はないが、なぜ、こんな冥界の王のおっさんが一世紀には古代ローマにやってきて流行ったのだろう、と疑問に思う。上下エジプトを統合する神として現地で流行ったのは解るが。

それで、調べると、セラピスの妻はイシス(オシリスの妻なので自動的に)であった。宗教は、キリスト教でも爆発的な人気が出たのはマリア信仰によるものだった。セラピスは美しい妻のおかげで成功したのだろう。二人は一緒に古代ローマに進出したのである。まだキリストというライバルの力が弱い時代だった。

ローマに受け入れられるためには、ゼウスが雄牛にも変身することから、聖牛アピスをゼウスに見立ててエジプトとギリシャの融合神としたのも良かったかもしれない。

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ハドリアヌス帝の別荘で出合った人たちの80%(といっても十数人)はこの池の周りで休んでいた。昔、この水辺の緑陰が憩いの場所であったことが感じられた。

ハドリアヌス帝の小さなセラピス神殿の残骸だけで、これだけ楽しめてしまった。旅行自体はもちろん楽しいが、そのあとで知的探検旅行をすると、思い出も意味を増してきて、とても楽しい。
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2008年12月04日

ティヴォリ、ハドリアヌス帝の別荘 @

2008年10月9日 午前中にエステ家の別荘(Villa d'Este)を見て、食事をしてからハドリアヌス帝の別荘(Villa Adirana)に着いた。門から遺跡らしきものがある所まですでにハイキングコースのように木が茂っている。長いに開いた入り口を入るとそこは広大な公園が広がっていた。

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別荘なのになんでこんなに広いのだろう。こんなに広いのになぜ別荘と呼ぶのだろう。同じ質問が何度も頭に浮かんだ。

世界遺産だし、余力があったら来てみようと思っていたから、ガイドブックは[地歩]だけだった。疑問だらけの中歩き回って、鑑識が現場写真を撮って帰ってきて調べるように家で調べたら、疑問が解けて、やっと、面白いものを見たのだと解った。

まず、ここは別荘ではない。街である。ハドリアヌス帝はスペイン人で、トラヤヌス帝の死後にローマにやってきたので、お友達がひとりもいなかった。そこでここに街を造ったのだった。ローマ皇帝なので、ローマが本宅でこちらが別荘となっているが、ほとんどここで過ごしていた。

次の疑問は、ポイキレ、カノプスというような訳のわからない言葉。カノプスはエジプトの地名で、ポイキレはアテネにあるストア・ポイキレを模したので付けたものだった。

ハドリアヌス帝はローマが嫌いで、外地ばかり訪問していて自分の見た素晴らしいものをここで再現したのである。だから、統一感がないのは当然だった。

そうやって調べてみると、初めの写真の塀と思ったものは塀ではなくて、ダブル・ポルティコの外側の部分だった。内側のプールに面したほうには列柱があったわけだが、全部壊れて、外側の堅固な部分だけが残った形だった。

何も無いと思ったところも、良く見ると家の基礎の石があり、ここに小家屋がぎっしりと建っていたことがわかる。


私は有名なカリアティッドの並ぶカノプスをどうしても見たかったので、一番奥まで急いで歩いた。

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ここはここで素敵だったけれど、知識があったらもっと細かく見たと思われる場所をざっとしかまわれなかった。 

ハドリアヌス帝の別荘は一日かけて手元にガイドブックを持って見ないと面白くないと思う。今度はもっと事前に勉強して、ノートを作ってきて見ようと思う。

世界遺産なのに、団体客はゼロ。個人も2時間歩いて10組くらいだったろうか。これからもっと整備されるだろうが、説明のボードが現場に置かれたらいいのにと思う。

ハドリアヌス帝の別荘の目次

A カリアティッドの並ぶカノプス
B 広大なポイキレは何だったか?
C 太陽暖房付き浴場
D 大浴場、小浴場
E 列柱で囲まれたプールのある館、皇帝のウィンター・パレス
F 消防士の宿舎、大きな倉庫、
G ヴィーナスの小神殿
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2008年11月28日

ティヴォリに残る紀元前1世紀のシビラ神殿

2008年10月9日 ヴィラ・デステからシビラ通りを下ってレストラン[シビラ]に行った。

シビラ神殿(Tempio della Sibilla)はグレゴリオス法王の別荘の敷地内にあるように見えるが、実際は法王はこのシビラ神殿を下から眺められるように庭園を造ったわけで、19世紀になってからのことである。

もっともヴィラ・デステの館内の絵にも描かれているように、太古の昔からこの神殿は崖の下から鑑賞するようになっていたと思われる。

ほんとうは、その位置から見たかったけれど、グレゴリウス法王の別荘は周るのに時間がかかる。そこで、上から見ることにした。

レストラン[シビラ]はほんとうに神殿の脇にあった。神殿の向こうには緑の谷が広がり、美しい、の一言。

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ちょっと日陰になる場所に案内してもらえた。テーブルに座ったままで遺跡が見られるとは感激だ。

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こういう観光地のレストランはまずいのが普通だけれど、レストラン[シビラ]は地元の人も来るレストランで美味しかった。

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棕櫚の葉陰でゆっくりと食事した。

そして、シビラの神殿と隣のヴェスパの神殿を見た。

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対岸の山の中腹に見える建物、あれって私たちのホテル、トッレ・サンタンジェロではないかしら?

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部屋の窓からはシビラの神殿がこういう風に見えたっけ。

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このテラスに今立っていることに感激。感激ばかり。

右側の街のほうをみると、滝が一筋落ちている。グロッタがあり、遊歩道やテラスも見える。

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ティボリ(Tivoli)という名はテーブルという単語から来ている。テーブルのように崖の上に広がった街で、 今でも[ティボリの人] という名詞はTiburtino(a)である。滝はそのテーブルから下の谷に落ちている。

こちらにも滝がある。水煙が立ち、虹がかかっている。

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グレゴリウス法王の別荘と庭園はこの滝の下にある公園なのだ。うまく景色を利用したものだ、と思ったら、ちょっと事情が違った。

この滝は、10日の日にトッレ・サンタンジェロ・ホテルからカステッリ・ロマーニ地方に行くときに見つけた。シビラの神殿からはこの巨大な滝は見えなかった。

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ぞっとするほどの落差と水量である。運転手さんが説明してくれるには、この滝はグレゴリウス法王が造った人工の滝だという。

それまでティボリの街の中を通って洪水を引き起こしていたアニェーニ川の水を地下のトンネルで崖に誘導し、滝として落としているのだ。

そういえば、アニェーニ川はこの山の向こう側を回ってティボリの街に流れる。(シビラの神殿は2本の松の間の建物の下あたり)

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でも、グレゴリウス橋通りのあたり(中央の松の向こうくらい)で消えてしまうのだ。

グレゴリウス法王は自分の庭のために滝を造ったのではなかったのね。偉い。治水は行政にとって最も重要なことだ。

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2008年11月27日

ティボリ、ヴィラ・デステの庭と噴水

2008年10月09日 西側の階段を下りると、このような噴水が見えてきた。中央の兜を被った女性はアテナ神だろう。

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右側は双子に乳を飲ませる狼。ローマ誕生の神話。中央にオベリスクらしきものも見える。ここはロメッタ(Rometta)の噴水といって、古代ローマの建築物などを配した噴水だ。

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といっても、ぱっと見て解るのはこのトラヤヌスの記念柱だけで、小船がティベリーナ島を表し、水面はテヴェレ河を表しているということは後で解った。なぜ記念柱が小船に載っているのか不明。ごちゃごちゃしたがらくたガーデン。

さらに階段を下がると鷲と百合の紋章がずらっと並んだところへ。こちらのほうが素敵。

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白い鷲はエステ家独特のエンブレムだが、百合のエンブレムも使っている。中央に鷲があって、両隣に百合がある配置からみると、鷲のほうがメインね。

さらに下ると、こちらにも。左の百合は壊れて無くなっている。

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この別荘の主、エステ枢機卿は、失脚してしまって法王になる夢を断たれた人。この庭にエンブレムをたくさん置いたり描いたりして憂さを晴らしていたのかしら。

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それから何百年も経ち、木は大きくなり、枯れてもまた芽生えて森となり、噴水は苔むして、栄華はどこかに行ってしまった。という寂しさを感じる。

豊穣の女神。おっぱいから噴水が出る。悪趣味。

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[追記 2008/12/04]

悪趣味だと感じたが、この像のことが頭を離れなかった。どこかで見たことがあったが、どこだろう。調べてみるとエフェソス(エフェス)のアルテミス神殿のものだという。

ギリシャ神話のゼウスとレトの子供であるアルテミス、ローマではディアナと呼ばれ、絵に描かれるのは狩の女神としてのスリムなお姿だ。それがトルコに来ると多乳神になってしまうとは。

でも、私はエフェソスなんて行ったことがない。それなら、どこで見たのだろう。それに思い当たったのだ。グスタフ・モロー(結構好きなんです)のサロメの背景に描かれたグロテスクな神殿の守り神がこれだった。下半身のほうは暗くて見えなかったが、こういう風に細くなっているのね。

遠くに有名なオルガンの噴水が見える。バロック的建築物の上にも鷲がいる。

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この背景が空や木々なら美しいのに、街の建物が興ざめ。あの窓からはいつもヴィラ・デステの庭園が見えるのだ。すごい借景。

噴水の後ろに行ってみると見下ろす庭園は美しかった。

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一番高いところのテラスから見る。

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素晴らしいお天気に恵まれて本当に幸せ!

木々が輝いている。

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この奥には楕円形の噴水がある。クリスマスのババというお菓子みたいな形。

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この庭園の水は、街を通るアニェーネ河を分枝させて引いてきたり、泉を貯水タンクで貯めて流したりしている。凄い水量だ。その大掛かりな水の使い方は他には類を見ない。

でも、私には水は襲ってくる怖いものに見えてしまう。洞窟とかグロッタとかニンフェウムとかいう暗くてじめっとした場所は苦手。なので、あまり好きになれない庭園だった。

その中で、この広々とした明るい楕円形の噴水は気に入った。

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それから、有名な100の噴水の小径へ。

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誰がいつ撮っても同じ画像。

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あら、バラの花が入ってしまった。ちょっとお邪魔ね。フロリバンダの秋バラがちょこちょこ咲いていた。春の花のある季節だったら明るくてきれいな庭園なのかもしれない。

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下の景色が明るくなってきた。昼の日差し。お腹が空いてきた。 

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12時半にオルガンの演奏があるというので待っていたが、始まらなかった。こういうのは、聴かないと惜しかったと思うけれど、聴くと、なんだこんなものか、と思うものだ。

お姉さんも私も未練なくヴィラ・デステを後にして、シヴィラの神殿横のレストラン[シヴィラ]に向かった。

[追記] 世界遺産、ハドリアヌス帝の別荘(Villa Adriana)を調べていたら、面白いことがわかった。エステ枢機卿はこの遺跡から出土して彫刻などをこの庭に持って帰ったそうだ。

法王になれずに失意の中、ティヴォリのヴィラに引きこもったエステ枢機卿。ローマに親しめずにティヴォリに別荘ならぬ街まで作ってしまったハドリアヌス帝。どこか似ている。
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ヴィラ・デステ@ティボリ 建物・内装編

2008年10月9日 ヴィラ・デステは16世紀後半に造られたエステ家の別荘だが、入り口を入るとそこは簡素な中庭だった。

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もともとベネディクト派の修道院のあったところで、回廊がそのまま使われている。ここはヴィラ全体でいちばん気に入った場所。美しく撮るために人がいなくなるまで待つこと10分。

低い屋根の上の小さなオブジェがとてもすてき。

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階段を下りて内部に入ると、そこはもう貴族の館というか宮殿状態。それほど大きくない部屋なのに16世紀のフレスコ画で埋め尽くされている。

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当時の遊びは狩猟。

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この部屋だけが、アメリカン・アートの趣。

部屋の中にも泉がある。

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描かれているのは紀元前1世紀に建てられたシビラの神殿。この後見に行くけれど、本当に崖っぷちにある。

この女性たちは何かのアレゴリー?。

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右は泉のアレゴリーとか?

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左は3美神のお座りバージョン。

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裸の女性の絵は寝室に描かれることが多い。

兵隊の絵ばかりの部屋では、やる気はおこらない。

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こういう繊細なデザイン、良く見るけれど、私の好み。

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左右の白い鷲はエステ家の紋章。

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このくらいでも結構豪華なのにね。

ゆっくりと見てからベランダに出た。庭を見下ろす絶景ポイント。木が茂っていて庭が良く見えるわけではないが、遠くの景色がきれい。

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下はテーブルのある広いカフェテラス。左のアーチの下はレストランになっていて準備中だった。

庭編に続く。
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2008年11月26日

トッレ・サンタンジェロからティヴォリの街を望む

2008年10月9日 朝早くに目が覚めた。書斎でカステッリ・ロマーニ地方の本を読んだりしていると外が明るくなってきた。

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ここは西側の斜面なのでまだまだ暗い。遠くの平野は明るくなっている。

でも、明けない夜は無い。

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ティボリの街は丘の上に広がる。

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この塔の下あたりが、ヴィラ・デステだ。ローマが見える側に開けているので、こちら側からは見えない。

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この写真だけLUMIXのFZ18で撮ったが、その他のサイバーショットで撮った写真も細かいところまで良く撮れている。ソニーは青が強いかもしれない。

その下にあるのがローマ時代の遺跡、シビラの神殿。右側に見える工事中のような壁はヴェスタ神殿。

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この二つの神殿は紀元前1世紀に建てられたもので、谷に面している。

神殿の左側にテーブルが見えるが、レストランがある。お昼はここに決めた。

右のほうを見ると、美しい黄色い建物が見えた。

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ホテルの人に写真を見せて聞いてみると、有名なスポーツ衣料の会社の社長の別荘だそうだ。このあたりは今も昔もローマの金持が別荘を持ちたいところなのね。

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posted by iconologist at 20:54| Comment(0) | '08 ティヴォリ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ティボリ郊外の古城ホテル、トッレ・サンタンジェロ

2008年10月8日 ティボリの街を抜けてオリーブの丘を登るとトッレ・サンタンジェロ・ホテルに到着した。

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古いローマ時代の塔を改修してローマのマッシモ家の夏の別荘として使われていたものだ。

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この遠くの平野の先にローマがある。

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あの車で溢れたバルベリーニ広場とはなんと異なる趣だろう。私は東京に住んでいるけれど週末を山で静かに暮らすのが好きなので、ほっとする。

選んだ部屋は一番大きいスイート。別に贅沢するわけじゃないけれど、こういうロマンチックなホテルはダブルベッドばかりなので、女二人旅には部屋が2つ必要だった。

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もうひとつのベッドはリヴィングのソファを広げたもの。

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本が置かれた書斎コーナーもある。

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窓からの眺めは庭側でティボリの街は真正面には見えない。

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オリーブの林が山頂まで続いている。

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これが全部ホテルの地所。

放牧されている山羊のお尻半分。

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リヴィングにはドアがあって、開けるとルーフテラスに出た。

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ブーゲンビリアが咲き乱れている。

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テラスは二つの建物を繋ぐレストランの上にあたるが、出られるのは私たちの部屋からだけだった。広い空間を一人占めする気分は最高。一泊310ユーロでもOK。

お姉さんは早速水着に着替えてプールへ。こういうところに来る日本人は少ないが、10月に泳いでしまう日本人は皆無だろう。

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日差しは強いけれどもう10月8日。水は凍るように冷たかったらしい。(この後、熱いお風呂に30分浸かってやっと体温が戻ったそうです)

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私はテーブルで読書。

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なんて素敵なんでしょう、と思うかもしれないけれど、実はちっとものんびりできなかった。蜂がぶんぶん飛ぶのだ。壁の煉瓦のあたりに巣があるみたいだ。

夕暮れはどこでも切なく美しい。

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ティボリの旧市街がライトアップされている。右の単独のライトアップはシビラの神殿。

トッレ・サンタンジェロにはヴェネチアン・グラスのシャンデリアがいくつもあった。

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このシャンデリアの下でディナー。二人で分けたパスタ。

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これはおいしかったけれど、メインはさほどでも。明日は一日中歩き回るので早々に就寝。女二人だとやることがないので良く眠れる。
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