2012年01月13日

15 計量職人(Mensores)たちのホールのモザイク@オスティア・アンティーカ遺跡

ポルタ・マリーナに続く道を戻ると、左側は何もなさそうな野原が広がっていた。
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右手の木々の辺りが三叉路から西に伸びる道だろう。

遠くまで行くことが、まずは目的なので、この道を行く。
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草に覆われているので細い道に見えるが、ずうっと続いている。
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また広い石畳になってきた。
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奥の木立を目標に歩いた。

ううむ、美しいファサードが現れてしまった。
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ここは共和国を讃える神々を祭った神殿群があったところで、ヘルメスもその神の一人だ。
でも、中に入る時間はない。

そうしたら、広い空間にモザイクが現れた。
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Mensores、計量職人たちのホールという場所だ。

オスティアの貿易の中心である穀物の計量作業がはっきりとわかるモザイクは貴重だ。

左側には穀物の袋を担ぐ奴隷が描かれている。
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背の小さい人物が枝のようなものを下げている。絵画上のサイズで子供ではない。
これは枝葉ではなく、穀物の袋についていた木札で、9つある。

モザイクには余計なものは描かれていないので、9という数字に意味がある。
9袋で計量器がいっぱいになったと思われる。

右側は計量器と計量職人たち。左の男が持っているのも棍棒ではなく、計量道具だ。
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組合広場に多く描かれていた計量器の実寸がこれでわかる。

穀物の袋9個分にしてはまだ小さく描かれているかもしれない。

さて、面白いのが上に書かれている文字だ。

V・・・SEXHAGIHIと読める。
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SEXはみんなの好きなセックスではなく、古代ローマの単位SEXTARIUS(SEXと省略)である。
1パイントに相当する。

となるとその前にあるVはローマ数字の5で、
消えているところに100を表すC・・か1000を表すM・・があったと思われる。

一袋でも400〜430セクスタリあるのだから。
500セクスタリでは中途半端だから、VMSEX、5000セクスタリ。

ジェラール・ミノーの解読では、
H(odie)
AGI(tata)
Hi(c) というラテン語に相当する。

HODIEはカンタータの題でもある、THIS DAY
AGITATAは、成し遂げた
HICは、此処。 vos es hicがYou are hereである。フランス語の此処はiciで近い。


全体的には、[今日ここで5000セクスタリを成し遂げた]



2012年01月06日

14[図像学的ディテール]アスリートの部屋@海の門のテルメ@オスティア・アンティーカ

13 アスリートの部屋の中央にある台。
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上にあるものから見ていくと、勝者に与えられる冠、棕櫚の葉

棕櫚の葉は右側にもある。立てかけてあるフープも見える。

さて、このフープが立てかけてある彫像から見ていく。これはHERMである。
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HERMというと、HERMESを連想させるが、それにかなり近い。
しかし、旅人などの守り神として翼のついた靴を履くエルメスより古い時代のものだ。

HERMとは語源的には長方形の柱のことで、十字路に立てられる指標であった。
そして、この顔はHERMESなのだが、若い男性ではなくひげのある老人の顔をしている。

HERMにはあるべき位置に男根が描かれているのだが、目をこらしてもこのモザイクには見あたらない。
エルメスは昔は男根崇拝の対象で、HERMの男根には常にオリーブ油が塗られていたという。

HERMは競技場の絵にも描かれていた記憶があるが、競技とどういう関係があるのかはわからない。

中央のテーブルの下には3つの興味深いものがある。
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皮のボール、壷、3つの鉤のようなものがついた輪。

まずは、皮のボール。これをBUCKY-BALlだという人もいる。

現代のサッカーボールも黄金率の5角形と6角形が用いられている。

しかし、中央下の5角形らしきものは崩れた6角形の下の部分が隠れているからだと思う。


3つの鉤のようなものはSTRIGILという。

絵ではデフォルメされていて大きいが、実際はこの右の二人の男が持っているものだ。
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鉤のように見えるが、STRIGILは体をこするものなので、先端は平らである。

3つがセットになっているが、実際は大小がある。体の部分によって使い分けるからだ。

となると、前の写真のテーブルの下にある壷には油が入っていなければならない。

石鹸ができる前は、油を塗ってこのSTRIGILで汚れを擦り取って体をきれいにしていた。

化粧を落とすためのオイル・クレンジングと同じ方法である。

大急ぎで撮ってきた写真を詳しく見ていくと面白い発見がある。
これが私の冬の楽しみだ。

2012年01月05日

13 アスリートの部屋@海の門のテルメ@オスティア・アンティーカ

海の門のテルメの床モザイクのうち、当時のようすを最もよく伝えるのが、アスリートたちのモザイクだ。

多くの浴場には必ずアスリートたちの部屋があった。

スポーツ・ジムのようなものだが、現在のジムとは違って自由にトレーニングをする場所ではなく、体育教室があり、競技も行われた場所であった。

ちなみにこのスポーツ・ジムの伝統は、トルコには引き継がれなかった。

この人は円盤を投げるところ。
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屋外の競技場の絵にも必ず描かれるトランペッター。
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でも、この人は競技の開始を告げる役ではない。

なぜかというと、冠をつけているから。5本も針がある豪華な冠。
彼自身も音楽の競技の勝者なのであった。衣装も豪華だ。

小さなダンベルを持つ人はトレーニング中なのか、
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これを持って幅跳びをしたのではないかという見解もある。

右上の横向きの人たちは運動はしていない。
手に鉤のようなものを下げている。Strigil(次の回にまとめて説明する)。

面白いのはこの3人。
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両手を挙げているのが勝者である。

右側がレフリーで、敗者が抗議をしているところ。
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部屋のぐるりに描かれたアスリートたちはもっと大勢いるが、壊れていて何をしているところか、鮮明ではない。

さて、面白いのは中央の台の上やまわりにあるオブジェだ。
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続く。

2012年01月03日

12 海の門(Porta Marina)のテルメ@オスティア・アンティーカ

海の門といっても門は跡形も無く消えていて、先にはだだっ広い野原が広がっていた。
道は海に続いていたはずで、ともかくオスティア・アンティーカの街の外れまでは来れたようだ。

振り返ると、野原のはるか向こうに歩いてきたデクマノス大通りが見える。
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野原をちょっと歩いてから戻っても時間には余裕がありそうだ。

低い壁を乗り越えてみると、そこには幾何学模様の残る部屋があった。
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なにやら、アプスのようなものが見える。大きな建物があったのだ。
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実は、このアプスは洪水で町が埋もれた後にも地上から顔を出していて、それを目印に18世紀から発掘が行われていた。

イギリス人の発掘家の手紙には多くの彫像がイギリスの収集家に渡ったと書いてある。
そのうち、[ヘラクレスの4つの労働]の彫刻は今、ヴァチカン美術館にある。

彫刻の中にトラヤヌス帝の妻Portinaと妹Marcianaの彫像があったことから、このテルメは一般人用のテルメではなく皇室用のテルメではなかったか、と思われる。
(Ostia Antica Onlineの地図ではTerme del Palazzo Imperialeとなっていた)

美しい幾何学模様の床が広がる。
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野の花は風情はあるのだけれど、モザイクが心配・・
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このような単純なモザイクは浴室をつなぐ廊下である。

モザイクは盗掘の対象とならないので長い間眠っていた。
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1970年代からの発掘と修復保存により今、私の目の前に現れている。
すばらしいことだ。

この後、モザイクに関しては、さらにうれしい驚きが待っていた。

13 [アスリートの部屋、Palaestra]に続く。

11 アレクサンダーとへリックスのバー(Caupona)@オスティア・アンティーカ

カピトリウムを過ぎるとデクマヌス大通りは二股に分かれる。

右の道はごちゃごちゃと壁の残る場所へ入っていく。

左の道のほうが広く、遠くまで伸びている。こちらがデクマヌス大通りの本線だろう。
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沿道にぽつんと真っ白ないわくありげな台があったが、陽が傾いて来たので先を急いだ。
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左の松のあたりが道の分かれた所。

沿道には低い壁があるだけで、モザイクの残っている場所はここだけだった。
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ちょうど真ん中に陽が差して、見えにくいが、二人の人物の上に名前が書かれている。
[アレクサンダーとへリックス]

両方の手をあげ、勝利のポーズをとるふたりは、それぞれ、有名なアスリートだった。2008年10月16日 505 Caupona di Alexander Heli.jpgこちらがアレクサンダー。

もうひとつのモザイクは二人の人間が棒のようなものを持ち体をくねらせている。
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踊りだというが、デフォルメされた競技かもしれない。

この場所はモザイクに記された名前をとって[アレクサンダーとへリックスのバー]と呼ばれるが、当時もそう呼ばれていたかはわからない。

ともあれ、ここが海の門(Porta Marina)の脇にあったことは確かで、繁盛したと思われる。

もうひとつ確かなことがモザイクから判明する。

ヴィーナスとエロスのモザイク。
ヴィーナスは鏡を見ている。いつも鏡を見ては顔を作っていた自称美人の知り合いを思い出す。
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エロスはヴィーナスのまとっていた薄布をはがしている。ポン引きの本領発揮。

この2名がバーのモザイクに描かれるというのは、娼婦宿があったということ。

バーの奥手に入り口があるというのが、可笑しい。

日本人のヴィーナス像は、ミロのヴィーナスやボッティチェルリの[ヴィーナスの誕生]を基礎としているので美しい愛の象徴であるが、そろそろ考えを変えるべきだ。

ヴィーナスは稀代のあばずれで、奔放な性愛の象徴なのよ。

そういえば、自称美人の女も夫を無視して奔放に遊んでいたなあ。
美人でも自信のない女は褒められてちやほやされるとすぐに落ちる。
私も美人だが、自信があるのでお世辞では落ちない(鼻息)。

2011年12月26日

10 カピトリウム@オスティア・アンティーカの遺跡

オスティア・アンティーカは河の氾濫によって消滅した街なので、ほとんどは土台と壁の一部しか残っていない。

だから、急にこのような立派な建物が現れると驚く。
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現代の議事堂の建物のように広い階段がついている。

私は疑い深いので、劇場と同じように修復された新しいものかと思ってしまう。
でも、正真正銘の(爆)な瓦礫である。
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手前の広場の両横には列柱がある。
階段の上の柱は特に太い。これは建物の上まで伸びていたと思われる。

ここは公共の建物が集まる中心部。FORO。

隣にはCURIAがあった。(CVRIAとラテン語の表示がある)

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CURIAとは評議会、あるいはトリビューンのようなもの。
このFOROが市制の中心であったことは間違いない。 


カピトリウムは神殿で、祭られていたのがゼウスとユノの夫妻とミネルヴァの3名だから、この街一番の荘厳な神殿であったと思われる。

ちなみに、道を挟んで反対側にはアウグストとローマ(ローマの女神)の神殿があるが、ずっと小さい。

このローマの彫像は幸いにも現場で発見された。

もちろん、ゼウスもユノもミネルヴァもすばらしい彫刻で祭られていたはずだが、残ってはいない。

斜め前から見たカピトリウム。
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白い柱はこの神殿前のテラスの屋根を支えていたものだという。

横には3つの窓の模様のようなものがある。装飾だったのか、何だったのか。
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カピトリウムは全体がレンガでできている。
これは1分後の写真だから、たぶん、近くだったと思うが、
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とても繊細な仕事だ。

こういう古代の建築がちゃんと立っているのを見ると不思議な感じがする。

2000年前のオスティアの人々と同じように階段を登る自分が不思議な感じがする。

2011年12月18日

8交易人組合の広場@オスティア・アンティーカ Part I

Piazzale delle Corporazioniは交易人組合という日本語になっているのでので使ったが、実際に組合があったかどうかはわからないので、Corporationという広義の単語がよいと思う。
劇場の裏側にある広大な広場である。同じ時期に一体として建造された。
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松林のある中央部は、当時は彫像などのある庭のような場所であった。
(ケレス神の祭壇は後世に造られた)

その3辺にポルティコのある歩道があってモザイクが残っている。
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左側は区分けされた区画でここにも個性的なモザイク画が残っている。
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後にパーティションとして木の壁が造られたようだが、建設当初はどのようだったのか、また、何のために造られたかはまだ解明されていない。

日本のサイトでは交易人の事務所だと書いてあったが、裕福な交易人の事務所としては区画はごく小さく、モザイクも粗末である。商業活動の場とは想像できなかった。

この広場は劇場の横幅とおなじで観客席から見渡せるように造られている。
庭を囲む形になっているから、人が集まって楽しむ夜店のような場所だったとすれば納得がいく。
(ちなみに、他の人は誰もそんなこと言ってません! 参考にしないように)

これからひとつひとつ見ていくモザイクには確かに交易の品や船や所有者の名前などが書かれているが、宣伝あるいは寄付の見返りかもしれない。

区画は約60ある。東側から見ていく。

字だけが書かれたモザイク。
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上の2行は名前で、下はSTUPPATORES、ロープ用の麻紐のトレーダー

2隻の船と灯台らしきもの
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文字 LIGNARIORVMから木材トレーダー

穀物を計る樽と男。右手のしゃもじのような物が何かは不明。
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穀物の計り(measure) 
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形はそれぞれ多少異なるが、多くのモザイクに描かれている。
当時の貿易の中心は穀物だったのだろう。

2匹のドルフィン。といってもドルフィンを食べたのではなく、海のイメージだと思う。
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奥の幾何学模様
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前後の模様が異なる。この広場は2度に渡って嵩上げされている。
奥の幾何学模様のほうが古い。

繊細なモザイク。2隻の船の帆がくっきりと描かれている。
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2匹の魚、中央は塔か。テキストにはカルタゴ近くの都市の名前が記されている。

3匹のいるか。ひとつにはアモールが乗っている。
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上の2つの丸の中には女性が描かれている。

シチリアのカザーレ荘のモザイクでは女性の年齢で四季を表していた。
そうとも思えるが、2つだからなあ。

右の女性は高いシニョンが消防士の宿舎のモザイクにあったアフリカの女性に似ている。
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いるか。
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続く

2011年12月07日

7 ロームルスとレムスの祭壇@オスティア・アンティーカ

これはオスティア・アンティーカで出合った最も素晴らしい美術品。
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場所は交易人組合の広場近くで、壁の残骸の中。

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後ろの壁に掲げられたサイン
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これだけしか、手がかりがないので、じーっと見ると、わかった。
ここは[ロームルスとレムスの祭壇のあるチャペル]の跡だ。

なるほど、ローマ誕生の物語が描かれている。
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メス狼に育てられる双子の有名なシーン。
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このメス狼は優しく双子のほうを向いている。
右下に寝そべっているのはテベレ川の精、ティベリウスだ。葦を持っている。
双子が捨てられたのがテベレ川岸。

では、上は成人してからのロームルスとレムス
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杖を持っているが、羊飼いとして育てられたからだろうか?

いや、それにしてはこの歩幅が広すぎる。
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私は杉下右京さんと同じく、小さなことが気になる。
となると、自分たちの王国を造るべく父の元を出たときではないだろうか。

さらに、二人の目線が左側の鷲に注がれていることに注目した。
鷲はゼウスの持物で、神の使いであるが、なぜここにいるのか?

調べると、ロームルスとレムスはどこに国を作るかという点で対立する。
ロームルスはパラティーノの丘、レムスはアヴェンティーノの丘を主張する。

その決め手となったのが、神の使いである鷲の数で、レムスには6羽の鷲が舞い降りたのに対し、ロームルスには12羽の鷲が舞い降りた。
ということで、二人の目線の先に鷲が描かれたのだ。

となると、鷲の後ろはパラティーノの丘だ。
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そして、その上の人物はパラティーノの象徴。
右下のティベリウスと対称の位置にある。

次に注目したのはこのレリーフ。
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リボンで飾られていることから祝宴である。
女性と男性がいるので結婚式だと思われる。

注目したのはこの兜、軍神マールスのものだ。
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となると、隣の女性はヴィーナスということになる。
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右に息子のエロスがいるし・・

この祭壇は現在はローマの美術館にあって、そこでもタイトルは[マールスとヴィーナス]になっている。
でも、なぜ、ロームルスとレムスの祭壇に彼らがいるのだろう。

調べてみると、ロームルスとレムスの父親は軍神マールスなのであった。
にわかに信じがたいが・・・

でも、母親はヴィーナスではなく、巫女のレア・シルウィアなのである。

レア・シルウィアとマールスの結婚を題材にした絵もあるが、後世のものだ。
当時はやはり、軍神マールスのお相手はヴィーナスでなければ格好がつかなかったのだろう。

そうなると、このレリーフの意味もわかる。
2008年10月16日 461 - コピー.jpgいたずら天使たちがマールスの馬車(下に輪が見える)や持物で遊んでいるところだ。

では、こちらのレリーフは何を表しているのか?
天使たちはいるが、いたずらしている雰囲気ではない。
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リボンはあるけれど華やかという感じでもなく・・

そこで注目したのがこの斜めになった甲冑
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頭や脚は見えないが、3人の天使が持ち上げているから遺体である。

左の天使が棒で遺体を差しているように見えるが、棒ではなくて天国との境界だと思う。
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となると、右の2人の天使が掲げているメダルのようなものは、神格化へのお墨付きか。

調べてみると、優れた軍人であったロームルス王の最後は秘密のベールに包まれている。
歴史学者は暗殺されたと書いているが、当時は突然姿を消し、神となったことになっている。

ということで、4枚のレリーフが両親の結婚から誕生、成人、死まですべてロームルスとレムスに関わったものであったと解った。

野に置かれたレリーフには説明がないが、こうして写真を撮ってくることができ、後から調べれば、かなりわかる。

久しぶりに解読を楽しめて、今日はとてもよい気分だ。

美術館に行っても、ここまでの解読は書いてないわよ(鼻息)。
解釈が間違っているかもしれないけれど、私は100%自由人だからOK。

2011年12月06日

5 劇場とケレス神殿@オスティア・アンティーカ

夏には音楽祭が開かれる劇場の外観は新しく立派なものだった。

中央のメイン・エントランスから入るとこのような光景が広がっていた。
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ギリシャ劇場ではたいてい背景に白い列柱があるが、ここから見える列柱は劇場の一部ではない。
ケレス神殿(ケレス=CERERE=デメテル)の柱で、中央の入り口を入ると正面に祭壇がある。

それで、この記事の題にふたつを並べた。
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もちろん、この柱の上には神殿の屋根があったのだ。
もちろん、当時はこんな松林はなかったと思うが、劇場の背景としては完璧だ。

斜めから見たところ。
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細長いところが舞台で、木製の床があったという。

古い壁が一部で残っている。上にあるのは仮面劇のお面。
2008年10月16日 458.jpg前からここにあったかは知らない。

階段席の一番下の白い大理石製の3段は貴賓席である。
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もっともこの貴賓席を含め階段席のほとんどが新しく造られたものだ。
オリジナルは3つしか残っていなかった。

でも、オリジナルでなくても、この美しいフォルムは素晴らしい景観だし、古代を味わうことができる。
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古代遺跡の中で一番好きなのが劇場だが、この広がりが魅力なのかもしれない。

緑色の草の生えているところはオーケストラ・ボックスだが、水中競技(水球とかなんかでしょうか?)が流行ると、ここはプールとしても使われたという。
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水は中央の入り口から通路にパイプを通して入れたという。

真っ直ぐオーケストラ・ボックスに通じるメイン・エントランスというのは意外に他に無いものらしい。
普通は側面に2箇所あるのだそうだ。
今までそんなこと気づかなかったけれど、今度、ちゃんと見てみよう。

それにしても、古代のオスティアの街に3500人から4000人を収容する劇場があったということはその繁栄を雄弁に物語るものだった。



2010年04月01日

4 ネプトゥヌスの浴場@オスティア・アンティーカ遺跡

ネプトゥヌスが描かれていることで、ネプトゥヌスの浴場と名づけられたこの施設は、壁の一部、コリント式の柱、モザイクの床が残っている。

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冷浴室、温浴室、熱浴室などに分かれているのがよく解る。

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この手前がネプトゥヌスのモザイクだ。オスティア・アンティーカ遺跡のモザイクの中でいちばん大きく美しいものだ。

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でも、残った壁の上に作られた展望台の陰になってしまう。人影のうち、ひとつは私です。

そこで、夕方にもう一度写真を撮りに戻った。

これが中央にある4頭立ての海馬に乗るネプトゥヌス。三叉の槍を持っている。ギリシャ神話ではポセイドン。

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海蛇の尻尾をもった動物は、馬だけでなく、虎、牡牛、ガゼル、山羊などもいる。

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中央には半人半魚のトリトンがいる。

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いるかに乗るのはエロス。

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ネプトゥヌスが美貌のネレイス、アンフィトリテに求婚するときに創ってプレゼントしたいるかは二人を取り持つ愛の魚。星座にもしてもらっている。

別の部屋にその美貌の妻、アンフィトリテが描かれている。

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先導する少年のような天使ヒメナイオスは愛の象徴の松明を持っている。

アンフィトリテはネプトゥヌスを嫌って脱走しようとしたというが、トリトンがタンバリンを鳴らしているので、おめでたい婚礼のシーンかもしれない。

右側はモザイクが壊れ、緑に覆われている。たぶん、左の魚蛇と同じものが描かれていると思う。全部が解らないところも想像力をかきたてて面白い。

大理石は黒色はポルタサンタ産。白色はルーニ産。



2010年03月19日

3 消防士の宿舎@オスティア・アンティーカ遺跡

2008年10月13日 Caserma di Vigili消防士の宿舎はネプチューンの浴場の裏手にある。
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古代都市では警察はなくても消防はあった。犯罪より火事のほうが大問題だった。

40-50 ADの古いモザイクが残っているのがVia dei Vigil消防士の小路だ。Viaというと道だが、道にモザイクを施すはずはない。以前は浴場の床だったところに左側の石畳の小路が作られたのである。

右側の家もモザイクの床の上に建ったようだ。こういう、時代ごとの丁寧な発掘に頭が下がる。

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幾何学模様と交互に描かれているのは盾。戦闘用のものかもしれないが、火消しのときに使う道具だろうか。

中央に4匹のドルフィンが描かれている。他の部分は損傷していて見づらいが、人間の顔である。

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モザイクに描かれているものには何らかの意味がある。頭に羽根の付いた男性は風を表す。帆船に必要なものだ。

ワニを伴った男性はエジプトを表し、アフリカを表す女性の顔、オリーヴの冠を付けたスペインのシンボル。

下の写真のイルカの左上は人の顔ではなくて3本の脚だが、これはシチリアを象徴する3つの岬。

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エジプト、アフリカ、スペイン、シチリアの4つが描かれている理由は、貿易の相手国だからである。当時、少し北にこれらの国と交易する港が建設中だった。

中庭には皇帝信仰の台座がある。

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書いてある言葉はほとんど読めないが、一番左がどうにか読める。

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MAURELIOはMはMarcoの略、AURELIOはアウレリウス皇帝(121-180) CAESARIはセカンドネーム。Caesari Marco Aureio。

5つの台にはそれぞれ皇帝の名が称えられているが、そのうち2つはここを建造したアウレリウス皇帝のもの。

従って、その前に描かれた生贄の雄牛を殺す場面のモザイクも、小路に残っているモザイクより100年以上後のものだ。

左から、

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下の写真では左側に祭壇が見える。男がここに捧げ物を置くように支持しているみたいだ。

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かなり保存状態が良く、間近で見れて良かった。

★消防士の宿舎はさらに奥に続く。次回(2011年3月予定)にゆっくりと見る予定。

続く

2 御者組合の浴場などの施設

2012年3月に写真を撮る予定。

2010年03月18日

1 石畳の広い道、デクマヌス大通り@オスティア・アンティーカ遺跡

2008年10月13日 オスティア・アンティーカ遺跡に入るとすぐ左には糸杉に囲まれた一角がある。糸杉は墓に植えられる。根が横に張らずにまっすぐ下に伸びるので墓を壊さない。

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このネクロポリスはまだローマ門の外である。

[ローマ門]から港の[海の門]まで約1キロの大通りは[デクマヌス]と呼ばれる。石畳の美しい広い大通りだ。

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右手にはまず、馬車を停める場所や、御者たちのための施設がある。たいへん機能的にできている。それから、アーケードやショップが並ぶ。

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ひとつひとつのショップの大きさがわかる。

掘り下げていない場所も多く残る。

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オスティア・アンティーカの遺跡とポンペイの遺跡の大きな違いがこの緑だ。最盛期には5万人の人口を擁した街はティベレ川の土砂に埋まって、その跡は緑の野原になったのだ。

中央に樹が生えるほど巾の広い大通り。

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中央部にメインとなる施設や寺院や劇場などがある。

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柱が残っている場所はほんの少し。それも復元されたものかもしれない。

中央部を過ぎると道はややカーブして、細くなる。

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どんどん、時間は過ぎていくが、この先まで行ってしまって大丈夫だろうか。ちょっと不安ながら[海の門]に向かう。

[海の門]といって別に門があるわけではない。西に傾き始めた太陽を背に今来た方向を見る。

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このあたりは荒れ果てていたのか、ほとんどがぺんぺん草の茂る野原で木々はほとんどない。立派な壁もないし、普通は、何にも無いと帰ってしまうところ。そこをしつこく歩き回ったおかげで、素晴らしいモザイクを見ることができた。

これから、大通りの両側や南北の道(カルド)の両側に並ぶ遺跡やモザイクをひとつひとつ記録していく。(続く)
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