2014年03月11日

サンタ・プデンツィアーナ教会

2012年3月24日 今日も初めて訪れる場所が多いので、朝早くから張り切る。 

誰もいないパンテオン前の広場は古い絵を見ているようだ。

582.jpg

サンタ・プデンツィアーナ教会には開館の少し前に着いた。

585.jpg

2世紀のピウス1世の時代に造られた建物の上に4世紀に建てられたローマで最も古いキリスト教信仰の場所である。

586.jpg

後ろの鐘楼は13世紀のもので、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の鐘楼と似ている。

しかし、8時半をとっくに過ぎても誰も出てこない。

584.jpg

ロートアイアンの柵の前にはなぜか、アジア系の人たちが数人開門を待っている。

あとで知ったのだが、ここはフィリピン人のための教会と定められているのだった。

583.jpg

ファサードの剥げたフレスコ画を眺めたりしていたら、鍵の束を持ったシスターが坂の上から現れて門を開けた。

建物は道から階段を降りたところに建っている。

600.jpg

長いことローマン・バスがあった場所だとされていたが、浴場に必要な設備が発見されないので逸話かもしれないとも言われる。

屋根の下とドアウェイの上にフレスコ画がある。

591.jpg

修復されたり、されなかったりで、自然に残っている。

面白いのはこのフリーズだ。11世紀に作られたもの。

588 - コピー.jpg

中央が神の羊、キリストで、右側の女性がサンタ・プデンツィアーナ、左がサンタ・プラッセーデ、二人は姉妹である。いわゆる処女で処刑されて聖女になった人たちだ。

教会の基となった古い家はDOMUS PUDENTEと呼ばれ、元老院議員のプデンテの家であったといわれる。そこにペテロが7年滞在して娘の姉妹たちとも会ったといわれる。

しかし、この聖女たちは存在しなかった可能性が強い。
最近カトリック教会の聖人カレンダーから除去されている。

古い教会なので、その始まりはまだまだ論議中である。
事実かもしれないし、レジェンドかもしれない。



posted by iconologist at 13:04| '12 ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月10日

ヴィットリオ・エマヌエーレ記念堂の最上階からローマを眺める。

2012年3月23日、ヴィットリオ・エマヌエーレ記念堂は中段のテラスから最上階にはエレベーターで上れた。

4頭立ての馬車を操る勝利の女神像。

DSC_1509 エマニュエーれから.jpg

東側

西側

DSC_1505-1.jpg

夕日を背にして詩的である。

この間を歩いて遮るものの無い景色を堪能する。

DSC_1506-1.jpg

DSC_1512.jpg

北のヴェネツィア広場側は街並みが広がっている。

楽しいのは南側

DSC_1507-1エマニュエーれから.jpg

DSC_1514 アラチェリから.jpg

DSC_1511 アラチェリから.jpg

DSC_1510 アラチェリから.jpg

コロッセオもフォロ・ロマーノも、パラティーノの丘も全てが視野に入る。
posted by iconologist at 15:43| '12 ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月09日

ヴィットリオのテラスから見るトラヤヌスのフォロとカエサルのフォロ

2013年3月23日 邪魔だと言っていたエマヌエーレ2世記念堂だが、このテラスにはアラチェリ教会の外から歩いて入れるようになっていて、便利だった。

東側に広がる景色。

DSC_1503-1.jpg

フォーリ・インぺリアーリは木立に隠れて見えないが、トラヤヌス帝のフォロが良く見える。

半円形のトラヤヌスのマーケットが見える。

DSC_1503-1 - コピー.jpg

木立の上にフォーリ・インぺリアーリの数本の円柱も見えていた。

こちらはカエサルのフォロ、フォロ・ジュリア−ノだが、こういう角度で見られる場所は少ない。

DSC_1504 フォロロマーノ.jpg

3本の柱はウェヌス・ジェネトリクス神殿の跡。
手前は西側のポルティコの跡。西側のポルティコはフォーリ・インペリアーリ通りの下にある。

カエサルは自分の祖先はウェヌスだとしてウェヌス・ジェニトリクス神殿を作った。
ジェニトリクスとは生物学的母親という意味。

DSC_1504 フォロロマーノ - コピー.jpg

このフォロはカエサルの死後に壊れ、再建するも壊れ、遺跡はディオクレティアヌス帝の時代に造られたものの残骸である。


posted by iconologist at 17:06| '12 ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月08日

サンタ・マリア・イン・アラチェリ教会

2012年3月23日 サンタ・マリア・イン・アラチェリ(アラコエリ)教会はカピトリーニ美術館の隣にある。手前のカンピドーリ広場に上る階段の緩やかさと比べると急で長い階段だ。

322.jpg

それにしても、このふたつの建物ほどの不調和はイタリアにはめづらしい。
ヴィットリオは〔ローマの休日〕でオードリーが走ったヴェネツィア広場から見ればきれいだが、横から見ると邪魔である。

サンタ・マリア・イン・アラチェリ教会のファサードはロマネスク様式だ。

321.jpg

こんなに大きなレンガのファサードは他に類がないと思う。

当初この教会はこの丘にあった修道院の一部として建てられ、サンタ・マリア・イン・カンピトリーオと呼ばれていた。 

それが、間もなくサンタ・マリア・イン・アラチェリと呼ばれるようになった。

中世の逸話に基づく話なので私は省略するが、アラチェリとはARA CIELOを繋げたもので、ARAは英語でいうAltar, 祭壇。CIELOは空(=天国)である。

丘の上に建つシンプルでがっちりした建物は天国の祭壇という名前がふさわしいとは思う。
古いリトグラフを見るとヴィットリオが無く、アラチェリが最も高い。
これなら、確かに、アラチェリ、天国の祭壇という感じがする。

18世紀の絵では幅広い階段は行列などの儀式に活用されていたようで、今ではヴィットリオの裏側に追いやられてしまったが、歴史のある教会である。(前のリトグラフと比べると窓の外側のゴシック的装飾が剥げ落ちていて、今と同じ外観に戻っている)

DSC_1499 サンタマリア・アラチェリ教会.jpg

上から見ると階段の高さだけでなく、その幅広さがよくわかる。

この124段の階段は14世紀にコーラ・ディ・リエンツォの指示で造られたのだった。
(その横で殺されるとは、何という運命だろう)

教会内部は主にゴシック様式だ。

DSC_1500 サンタマリア・アラチェリ教会 - コピー.jpg

完成が18世紀だから、バロックも入る。
長い年月をかける教会建築はひとつの様式で統一することは不可能である。

それで教会内部はどうしてもごちゃごちゃした印象となる。

DSC_1500 サンタマリア・アラチェリ教会 - コピー - コピー.jpg

円柱は古代ローマのもの。ローマ2000年の歴史が詰め込まれている。 

すてきなもの、発見。

DSC_1502 サンタマリア・アラチェリ教会.jpg

このシャンデリアの縁取りはたいへん気に入った。

天井は枠天井になっていて、立派な造りだ。

 DSC_1500 サンタマリア・アラチェリ教会.jpg

1571年のレパントの海戦の勝利を祝ったものだ。

床の大理石細工はシンプルなものだ。

コズマ風と書いてあったので期待していたが、コズマーティ様式は12世紀末からで、この床はもっと古い。

DSC_1501 サンタマリア・アラチェリ教会.jpg

8世紀ごろの作品だとすれば建設以前のことだ。
壊したビザンチン様式の修道院の建物から持ってきたのだろうか。

両側の円柱も古代ローマの遺跡から出たものだが、これも前の建物の柱を利用したのだろう。


posted by iconologist at 08:54| '12 ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月07日

カンチェッレリア宮殿の回廊

2012年3月23日

カンチェッレリア宮殿を見ると、ローマにではなくてフィレンツェにいるような気になる。

577.jpg

16世紀初頭に建てられたこの宮殿はローマで最初の新(当時は)ルネッサンス建築である。

簡素に見えるが、歴代法王が税の限りを尽くした内装がされており、人民には公開されていない。

今も法王庁が使っていて、世界遺産に指定されているHOLY SEE(sedeの意)の建物のひとつだ。
HOLY SEEとは小さな治外法権独立国家みたいなもので(緩いが)アメリカ大使館の入る建物もそのひとつに指定された。

でも、中庭の回廊は公開されているので見に行くのである。

578.jpg

ローマで一番美しい回廊とか、書いてあったので期待していたのだが、車が何台かとまっている。

579.jpg

ま、仕方ない。HOLY SEEの偉い方とかはここに駐車するのだろう。

580.jpg

ううむ、ごちゃごちゃしたものがある、と思ったら、ここでレオナルド・ダ・ヴィンチの機械展をやっているのだ。

580 - コピー.jpg

ま、仕方ない。いろいろな文化に利用しなくちゃ。

そういうときはきれいな面を見よう。

581.jpg

ブラマンテもこの建築にかかわったとされているから、回廊はブラマンテが設計したかもしれない。

誰が設計しても同じだと思うのは、一番の魅力がこの花崗岩の円柱だからだ。

581 - コピー.jpg

44本のドーリア式の円柱はこの場所にあったサン・ロレンツォ・イン・ダマーゾ教会のものを使ったのだが、もともとは古代ローマのポンペイ劇場の柱だった。

ポンペイ劇場といってもポンペイにあったのではなく、すぐ近くにあった。
バジリカが建てられた380年頃はまだこんな立派な円柱がごろごろしていたのだろう。
posted by iconologist at 16:15| '12 ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月06日

ブラマンテの回廊のカフェで昼食

2012年3月23日

ブラマンテの回廊で当時の美しさを残しているのは2階なので、ここをゆっくりと歩けるだけで幸せだ。

564.jpg

567.jpg

ここにカフェがあってお茶することができるなんて、さらに幸せである。

DSC_1493-1.jpg

DSC_1494 ブラマンテ キオストロ.jpg

お茶だけにしようと思ったら、しゃれたメニューがあって食事もできるようなので、頼んだ。

DSC_1496 ブラマンテ.jpg

DSC_1495 ブラマンテ.jpg

DSC_1497 ブラマンテ.jpg

とても上等な味だった。

他に人のいないブラマンテの回廊で春の日差しの中でランチができた。
密かにとても感激していた。
posted by iconologist at 16:34| '12 ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会 ブラマンテの回廊

2012年3月23日

この回廊はブラマンテが1500年にローマで初めて手掛けた回廊である。

565.jpg

並ぶ柱の美しさに心打たれる。

572.jpg

石の縁は丸く、500年の歳月を感じさせた。

柱の間から向う側を見る。

562.jpg

古い屋根が味わい深い。ここは2階(first floor)である。

下を見ようと思っても無粋な強化プラスチックの屋根があって見えない。

561.jpg

一階に降りてみると、中庭はイベント会場になっていたのであった。

575.jpg

きっと庭があったと思うが、床になっている。

中に入れなかったので遠くからフレスコ画を見る。

575 - コピー.jpg

左側はキリストの生誕、他もマリアを中心とした絵だ。

このプラスチックのテントは常設なんだろうか。
いつかもう一度来たら、良い眺めが見られるのだろうか。

posted by iconologist at 16:13| '12 ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会

2012年3月23にち

アルテンプス宮からナヴォナ広場の北側を通ってサンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会に向かった。

この北側のカーブの下が発掘作業中だった。

557.jpg

昔の競技場跡が見えてくるのだろう。

サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会のあたりは道は細く、暗い。

558.jpg

559.jpg

建物と建物がブリッジでつながっている。

夏は多少緑で覆われる外壁もむき出しでさびれている。

560.jpg

味があるけれど、急がないとサンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会の午前中の開館時間に間に合わない。

しかし、着いたら扉ががっちりと閉まっていたのだ。
あとで調べたら、2010年から週に3回だけ月水土の午前中に開館になったという。

ま、いいや、バロック建築の教会には興味がないし、お目当てはラッファエッロが描いたフレスコ画だけだったから。

そこでさっさと一番の目的だったブラマンテの回廊に向かったが、ここで一枚くらい教会正面の写真を撮っておくべきだった。これじゃあ、どの教会かわからないじゃないの!

ブラマンテの回廊については次にゆっくりと書くとして、ここに上ったら、サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会のクーポラがすぐ前に見えて、得した気分になった。

573.jpg

おまけに、左側にサンタ・マリア・デラニーマ教会の尖塔も見えた。

571.jpg

この高さでふたつを一緒に見られるところは余り無いだろう。得した気分になった。

さらに、回廊を歩くと、人々がガラス窓を覗き込んでいるコーナーがあった。

563.jpg

なんと教会の内部、それもキージ礼拝堂のアーチが見えるように作られている。

これこそ、私の見たかったラッファエッロのフレスコ画、Sibille(巫女たち)である。

563 - コピー.jpg

ガラス窓の前にはちゃんと〔SIBILLE]と書いてあった。

教会内部には入れなかったがお目当てのフレスコ画を見られて、おおいに得した気分になった。

教会には絵を目当ての観光客だけではなくふつうの信者さんもいるから、名作があっても金をとれない。
多くの教会では回廊の入口で料金を取っているが、そこからこのように教会内部を見せてくれるサービスは初めてだ。
posted by iconologist at 15:38| '12 ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月05日

ローマ国立博物館アルテンプス宮(8) 美しいロッジャ

2012年3月23日 ローマ国立博物館アルテンプス宮(8) 美しいロッジャ

私は回廊が大好きで追っかけをしているのだが、回廊というとどうしても中世のイメージがある。

このアルテンプス宮の美しい回廊内部はやはりロッジャと呼ぶのがぴったりだ。

524.jpg

ここにこんなに素晴らしい絵の描かれたロッジャがあったとは知らなかった。

526.jpg

ヴィラ・ジュリアでの感激が思い出される。

527.jpg

ヴィッラ・ジュリアの天井よりは低いが、絵の繊細さは勝る。

庭側の柱などにも絵が描かれている。

525.jpg

とにかく美しい完成された空間だ。

奥には噴水だったと思われるアルコーブが見える。

525 - コピー.jpg

そのとき、不思議なものを発見した。

2匹の山羊の頭をした海獣である。子供の足には蹄があってパンの子供たちだ。

525 - コピー - コピー.jpg

これで、礼拝堂の太陽神とともに描かれていた動物が山羊の頭を持つ海獣であると確信できた。

520 - コピー.jpg

要所要所に現れるこの海山羊たちはきっとアルテンプス家と関わりがあるのだろうか。

もしかしたら、紋章かもしれない。

と思ってオフィシャル・ページを読むと、grapes と deer's headがアルテンプス家の紋章であるという記述があった。

しかし、どう見ても、deer,鹿ではなくてgoat山羊の頭である。
山羊は頭だけでなく、尾が魚のものも、普通の四足の山羊もいる。

山羊でよいのなら、ブドウと山羊の頭がアルテンプス家の紋章であるのが、天井の絵などを見ると納得がいく。

やたらと多いプッティたちもアルテンプス家エンブレムの一要素なのかもしれない。
posted by iconologist at 18:45| '12 ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ローマ国立博物館アルテンプス宮(7)極彩色の天井

2012年3月23日 ローマ国立博物館アルテンプス宮(7)極彩色の天井

アルテンプス宮の中には極彩色の木製天井の部屋があった。

533.jpg

どこか日本の居城の天井板を思わせるデザインだ。

531.jpg

でも、もちろん違う。その下の壁には細かいフレスコ画が描かれているし。

この部屋の天井は菊の御紋が並べられているようだ。

528.jpg

529.jpg

フレスコ画は前から剥げていたのか、戦いの絵や天使のスタッコがつけられている。

フレスコ画が半分見えるところが後代のセンス(の無さ)を物語るが、もしかしたら、塗りつぶされていたのを塗料を取り除いたら見えたのかもしれない。
posted by iconologist at 16:08| '12 ローマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
,
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。